書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『必要か、リニア新幹線』橋山禮治郎(岩波書店)

必要か、リニア新幹線

→紀伊國屋書店で購入

「今、求められるべき思考法を教えてくれる良書~リスク社会論の実用的な好例として」


 いい本に出会ったと思った。論ずべきテーマについて、今まさに求められるべきスタンスから論じている良書だと思った。

 昨今、ワンショットのテーマについて、面白おかしく極論めいた結論だけを抜き出したタイトルの新書が巷にあふれている。それらの多くは、新しいテーマを分析しているという点では価値があるものの、見方が偏ってしまっていることが多い。いわば、結論ありきなわけだ。それに対して本書は、筆者の主張を明確に打ち出してはおらず、むしろ以下のように記されている。

「本書はリニア中央新幹線の建設構想に対して、一義的に「賛成」とか「反対」を主張することを意図したものではない。筆者の強く望みたいことは、国民にとって最善な判断がなされることである。」(はじめに)

 むろん読み進めていけば、その立場はおのずと明らかになっている。だが、本書においては、それが「明言」されることはなく、徹底的に賛否両論を併記し、それぞれの可能性を十分に比較検討したうえで、そこはかとなく自らの主張を提示されているのである(もちろん説得的な理由を添えて、である)。

 翻って、いつの頃からかこの国の社会(科)学者たちは、マックス・ウェーバーのいう「価値自由」の意味を取り違え、「学者たるものは自分の意見を入れずに、淡々と事象のみを観察すべきである」と思い込んでしまってきた(事実、私もそうした教育を受けてきた)。

 いまだにそう思い込んでいるものも多い中で、本書は、今日の数々の社会問題に対して、社会(科)学者がまさに取るべきスタンスを教えてくれている。

 

 さて、肝心のリニアの問題である。この文章を記している2011年6月末の段階では(そしてそれは本書が書かれた段階でも同じだが)、もちろんまだ本工事は始まっていないものの、すでにJR東海が建設費の自己負担を打ち出したことで実現に向けて動き出しているといった状況である。

 本書を手に取った本当の理由が、鉄道に関する書籍なら何でも一度は立ち読みしてしまうというファン心理であったことからしても、あるいは、新幹線に代表される高速鉄道が戦後日本のナショナルシンボルであったことからしても、リニア新幹線の開通に心躍る気持ちがするのは事実である。

 

 だが日本社会は、「もう一度、世界一の技術力を見せつける機会だ!」といったロマンティックな夢を抱く段階から、現実的な選択肢を冷静に比較検討するような、成熟した段階へとすでに突入しているのではないだろうか。

もちろん、徹底的な両論併記をなした上で、本当に必要だと思われるものならば堂々と作ればよい。だが、高度成長期もバブル経済もはるか昔に過ぎ去った今日においては、よりシビアにその「費用対効果」を検討する視点を多くのものが持ち合わせていなくてはならない。

 この点では、本書で取り上げられているいくつものデータが役に立つし、さらに重要なのは、原発事故以来、ようやく人口に膾炙し始めた「リスク社会論」の思考法である。

 すなわち、高度な科学技術や複雑な社会システムが発達した近代成熟期の今日において、われわれが直視すべきは「危険」よりも「リスク」である。前者は科学技術の発達においてゼロにできるかのように思われてきたものだが、「リスク」はいかなる選択をした後においても付きまとう潜在的な可能性のことである。

 リニア新幹線の例で言えば、それを建設しようがしまいが、ネガティブな結果が持たされる可能性は潜在的には存在し続けるのだ。

 仮に建設したとしても、当初の需要見込みどおりに旅客数が伸びなければ、大幅な赤字に陥り、やがて利用者の料金が上がったり、その分を補填するために、地方における在来線が廃止されたりすることもありえよう。仮に、現在、東海道新幹線を利用している旅客数を全体として維持できたとしても、新しいリニア新幹線と既存の新幹線とを同時に維持していくコストがかかり続けることは代わらない。

 

 だが一方で、もちろん建設しなかった場合にも「リスク」がつきまとう。静岡県は近い将来に東海地震の発生が予測されており、もし東海道新幹線が長い間不通になれば、東京と大阪を結ぶ大動脈を失うことで日本経済は大きな打撃がこうむることは間違いない。

 あるいは妥協策として、中央新幹線をリニアではなく現状と同じ新幹線方式で建設することも考えられるが、この場合とて、最先端の鉄道技術の開発から徹底する覚悟が必要となる。

 本書は、「100%絶対の正解」を提示するのではなく、それぞれの選択肢が抱えた問題点を比較検討した上で、「まだまし」なベターな結論を志向しようとする点において、まさに「リスク社会論」のすぐれた実用例と言える著作と思う。

 ただ一点だけ、社会学者として気になるのは、以下の記述である。

「筆者が確信を持って言えるのは、

▼目的と手段が両方とも正しければ、必ず成功する 

▼しかし目的と手段のいずれにか欠陥や誤りがあれば、必ず失敗する

という経験則が存在することである」(はじめに)

 もちろん、一般読者向けにあえてわかりやすくした記述であろうことは差し引くとしても、やはり社会現象に「必ず」はないのではないかと思う。むしろそのことが「リスク社会論」の根幹でもある。社会学者の立場からするならば、社会現象は押しなべて「意図せざる結果」なのであって、むしろ人智を超えた社会的なメカニズムが思わぬ結果をもたらしてきたからこそ、社会学者は社会を研究し続けるのだと思う。

 リニア新幹線もそして原子力発電所の問題も、今、日本社会にいる人々が、突きつけられている重要な問題であり、「100%絶対の正解」もないが、いずれ何がしかの決断をしなければならないことになろう。本書は、こうした重要な決断をする際に、大いに示唆に富む一冊だといえよう。


→紀伊國屋書店で購入