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『遠野モノがたり』小坂俊史(竹書房)

遠野モノがたり

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「遠野には「何か」がある」

 岩手県遠野市といえば、良く知られた場所である。およそ100年まえに柳田國男がまとめた『遠野物語』の舞台であり、それもあってか多くの文化人がこの地を訪れたり、また、平地と山地が適度に混ぜ合わさった小宇宙的な盆地は、まさしく「日本の原風景」と称されたりもする。


 だが、そうしたよく知られた面を超えて、この町にはさらに「何か」があるのだ。私も2度訪れたことがあるのだが、何度でも行きたくなるような、そう思わせる「何か」がある。

 1度目は純粋な観光として、2度目は東日本大震災後に被災地支援のためのボランティアで訪れたのだが、実は内陸の遠野市は、現在でも岩手県太平洋沿岸部に対する支援の一大拠点となっているのである。沿岸の各地域までおおむね一時間程度でアクセスできるという地の利もあって、過去の災害時にも同様に遠野が拠点となったことがあり、今回もその教訓が生かされているのだという。

 また、その際には、ボランティアに携わる地域住民の方々の意識の高さに驚かされた。一般に日本の地方は、大都市偏重のあおりを受けて保守的かつ閉鎖的でなかなかよそ者や変化を受け入れないことが多いのだが、遠野市のボランティア拠点は、全国からボランティアたちが集結し、その人たちとも上手に連携を取りながら、きわめて機能的に動いていたのを思い出す。

 そのほかにも、市内中心部のショッピングセンターが閉鎖された際に、自治体が受け皿となってそれを立て直した事例があったりと、遠野の魅力は、決して古き良きものだけではなく、むしろその一方で革新的な取り組みを続けることのできる意識の高さにもあるように思われた。

 さて本作は、以前この書評でも取り上げた傑作マンガ『中央モノローグ線』の作者である小坂俊史氏が、実際に2年間、遠野市に移住した際の体験が元になったマンガである。

 作中では、『中央モノローグ線』で中野に在住するメインキャラであったイラストレーター「なのか」が遠野に移住したという設定で、その他2人の地域住民と座敷童子の合計4人のモノローグ形式で描かれている。

 そしてやはり、本年(2011年)5月に遠野にて作者が記したあとがきにも、「あまりにもざっくり言えば この町には“何か”があるのです」とあるように、私と同様の、言語化しがたい遠野の魅力を感じ取ったことが、作者に本作を書かせる動機となったようだ。

 前作『中央モノローグ線』同様の、ほのぼのとしたトーンで大きなメリハリのない展開が楽しめるのだが、しかし残念ながら、遠野の「何か」を完全に得心するところまでは本作では描けていないように思う。実際に現地を訪れた時に、言語化できない「何か」を感じるから、遠野にはリピーターがつくのであり、そのように人々が「何か」を感じる様子は伝わってくるのだが、肝心の「何か」が明示されないままのため、やや消化不良感を覚えるのが正直な感想である。

 とはいえ、捉え難い「何か」に果敢にチャレンジしたことは評価に値するし、その点で本作は期待の若手作家の、努力賞の作品とでも評することができるだろう。

 もう少しだけ筆を滑らせて余談を記すならば、おそらくは、前作と同様の描き方をしたことが遠野の「何か」を描き損ねた原因であり、逆説的にむしろそこから得られた認識利得もあるように思う。

 それは、『中央モノローグ線』と『遠野モノがたり』を読み比べた時に思いついたことなのだが、両者に共通するのは、「よそもの」の目線から描かれているということである。それが後者よりも前者にフィットするのは、都市の文化、あるいは特に東京の文化というものが、基本的には「よそもの」によって担われているからだと思われる。

 作者自身も山口県から上京してきた経験を持つようだが、『中央モノローグ線』では、JR中央線の各駅になぞらえた女性キャラクターのいずれもが、その町にとっては「よそもの」として描かれている。それは単にほかの町から職場に通ってくるというだけではなく、実際にはその町に住んでいても、むしろ新宿にあこがれて地元に密着したがらない武蔵境在住の女子中学生キョウコの例まで含めて貫徹している。

 東京や都市の文化を描くのならば、こうした「よそもの」目線のほうが実態にも適しているのだろうが、やはり地方の町を描き出すのには、不向きなのかもしれない。

 地方の町を描き出した傑作マンガとしては、『YOUNG&FINE』や『フラグメンツ』といった山本直樹の一連の作品を思い出す。そこでは、「よそもの」も登場しながらも、地域住民の目線も十二分に取り入れられていた。だが、どうもそこで描かれているのは、日本の一般的な地方のありようであり、遠野の「何か」を描き出した作品については、今後も登場が待たれるところである。


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