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『ジョルジョ・モランディ ― 人と芸術』岡田温司(平凡社)

ジョルジョ・モランディ ― 人と芸術

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「モランディを観るための人」

 絵画を前にすると、人は多弁になる。〝寡黙〟な作品ほどそうかもしれない。自分から前へ前へと出て行くような、派手で押しの強い作風のものなら放っておいてもいいのだが、いつまでも後ろに引っ込んでいているようなものは、かえって解説したり弁護したりしたくなる。

 モランディはとりわけそういう気持ちを誘う画家だ。この人ほど「もの言わぬ」という形容のぴったりくる芸術家はいない。抑制された光。地味でおとなしい色合い。突出感のない構図。何より、そこに描かれた瓶や壺の無表情なことときたら。そもそも芸術とは〝ものを言う〟ための行為なのではないのか。言葉や記号や情念の横溢した、まさに「外に・出す=ex-press」ための作業なのではないか。なぜ、この画家は私たちにもっと訴えかけてこないのか。

 モランディ研究の第一人者岡田温司による本書は、そんな問いに答えようとする試みである。最初のとっかかりとなるのは、なぜどの絵も同じなのか?との疑問である。たしかにモランディは似たような構図で、似たようなモチーフの作品を執拗に描き続ける。でも、そこには実は微妙な違いがある。いや、同じようであるからこそ、微細な違いが目につく。その違いに「気づく」という心理状態そのものが、モランディ的世界の入り口になっているらしい。

 モランディを見るとは、まず「モランディを観るための人になる」ということを意味するのだ。著者の言葉遣いを見ても、たとえば画面の瓶や壺が「少しずつ左右にずれながら、たがいに相手のことを気遣うかのようにして並べられている」(p.18)とか「微妙にトーンの異なる三つの白い色面は、本当に壺がそこにあることを証言していると言えるのだろうか。あたかも半透明の霧のなかにかすんでいるかのように見えるその白い色面は、ことによると、かつてあった(が今はない)壺たちの亡霊なのではないだろうか」(pp.19-20)といった〝読解〟が行われている。

 このような言葉遣いは、ともするといたずらに〝詩的〟で、どこかいかがわしい印象批評のような印象を与えるかもしれないが、モランディの画面を見比べながらこうした〝読解〟に耳を傾けていると、そういうふうにしか語り得ない何かがそこで起きているのがわかってくる。たしかに瓶や壺は「相手のことを気遣う」のであり、またそれらは「かつてあった(が今はない)」というような、不思議な存在の形を与えられている。

 鍵となるのはおそらく線の扱いである。ある時点以降のモランディの作品には「定規を使って引いたような線は一本もない」(p.27)。著者はそのあたりを次のように説明する。

つまるところモランディは、事物の異化効果や違和感にではなく、反対に、事物と事物、事物と人間とのあいだに取り結ばれる、さまざまな関係性のあり方に興味を示すようになるのである。そうすると、おのずと硬い輪郭線は画面から姿を消すようになっていく。(p.28)

 モランディが「硬い輪郭線」を排除したとするなら、私たちの視線や視界からも「硬い輪郭線」は除かれねばならないだろう。つまり、「硬い輪郭線」を持った言葉で語っているうちは、私たちもモランディをとらえきることはできない。境界を滲ませ、ふたつのものの間の領域にとどまるようにしてこそ、私たちは彼の画面を語ることができる。そのお手本が先ほどの著者の説明であった。

 こうして「モランディを観るための人」となった私たちは、やがて画面の向こうへと導かれる。モランディという人の、その人生がそこにはある。モランディは作風が〝寡黙〟だっただけではなくその人生もまた静かで穏やかなものであったが、著者は精神分析的な枠組みを使ったり、残された書簡を精読したりしながら、彼の人生にときとして訪れる静かな波を記述しようとする。

 作品から人へ。そんな本書の流れの中で筆者にとって印象深かったのは、橋渡しとなっている第三章「過去の救済」であった。この章で明かされるのは、禁欲的で執着的で世捨て人のごとく自世界に没頭しているかと見えるモランディが、案外、研究熱心でもあり、発表されたばかりの論文をもとに数百年前の美術作品の技法を、自作の制作に生かそうとしたといったことである。

 とりわけおもしろかったのは〝白の発見〟の話である。1914年、モランディとさほど年の離れていないロンギという若い美術史家がある長い論文を発表した。ピエロ・デイ・フランチェスキという長らく忘れ去られていたルネサンスの画家を扱ったこの論文は、モランディに大きなインスピレーションを与える。というのも、このピエロは「白の上に白を重ね、白の隣に白を置くことを好んだ画家」(p.90)だったからである。白の上に白、白の隣にも白――そのように白を中心に画面を構成するには、光とトーンの絶妙なコントロールが必要となってくる。これがモランディの心をとらえた。彼は終生このような白と光のテーマに取り組むことになる。ロンギは自らの研究手法を「純粋造形批評」と呼び、ジャンルやテーマを越えて、純粋に造形的な観点から画家の発掘をこころみたが、そうした批評家的なフォルマリズムが制作者であるモランディにも強い影響力を与えたというのはたいへん興味深い。

 本書はこの春に予定されていた『ジョルジョ・モランディ展 ― モランディとの対話』に合わせて刊行されたものである。残念ながら、震災の影響でこの展覧会は延期となってしまったが、あくまで延期なので遠くないうちに日本でも久々にモランディの作品をまとめて観る機会があるはずである。今のうちに「モランディを観るための人」となって準備をしておくのも悪くはない。

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