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『出口王仁三郎 帝国の時代のカリスマ』ナンシー・K・ストーカー(原書房)

出口王仁三郎 帝国の時代のカリスマ

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「起業家としての宗教家」

日本では、ベンチャー起業家はしばしば宗教家のように、つまり熱狂的な支持を集めるが、同時にきわめてうさんくさい存在であるように見られている。しかし、本書が示すのは、その逆も言えるということである。すなわち、日本の新興宗教の担い手は、まさに「起業家」に近かったのだ。



出口王仁三郎(1871~1948年)と、彼を指導者として擁した大本教は、その後現れた無数の新興宗教の雛形のような存在である。著者ナンシー・ストーカーは、出口王仁三郎の伝記的事実を洗い出しながら、戦前から戦中にかけての大本教の勢力拡大について論じていく。王仁三郎らの思想的基礎には、平田篤胤に遡るいわゆる「新国学」があった。彼らは、伊勢を中心とする明治の新政府において「抹消」(原武史)された、出雲大社を中心とする神道に親しんでいた。そのことが、大本教を西洋化への抵抗と、農本主義的なナショナリズムへと向かわせることになる。と同時に、国家からは危険思想とみなされ、弾圧された。



しかし、それ以上に、ストーカーが強調するのは、大本教独特のメディア戦略である。実際、本書で示される図版は、何とも奇妙である。王仁三郎はときに弁財天のコスプレをして、自らの女性性をアピールする。あるいは、身の丈ほどもある巨大な筆を操って書をしたため、芸術の必要性を高らかに訴える。それらはキッチュきわまりない。だが、そのキッチュなコスプレは、それ自体として、天皇(伊勢)以外の神の系譜を奉じる国学的思想と密接に連なっているのだ。そして、そのようなメディア戦略(宗教の消費文化化)が、大本教の勢力拡大に資することになる。



さらに大本教は、国粋的であったにもかかわらず、後にはエスペラント語の普及を日本で最も強く支持する団体となる。土着的な愛国主義とインターナショナルなエキュメニズムが、王仁三郎においてはごちゃごちゃに結びついてしまっているのだ。さらに、京都の綾部および亀岡に拠点を構えた彼らは、都市化に疲弊したひとびとにとっての受け皿にもなり、有機農業をはじめエコロジカルな食生活の重要性を訴えた。だが、そのことは、複製技術を用いた消費者運動というきわめて近代的・都市的なスタイルによってはじめて可能となっている。地域共同体の復興を、ことさらキッチュなメディアや消費文化を通じてやるという構図は、日本では今でも反復されているが、大本教はその先駆けのような存在だと言ってよい。



ストーカーは、そうした諸々の矛盾が、王仁三郎の起業家的なふるまいと人間的魅力のなかに畳み込まれていることを示す。それは言い換えれば、少々の思想的矛盾は、メディア戦略と大衆の支持の前では何ほどでもないということである。このように整理すれば、大本教が、熱狂とうさんくささが同居する現代日本のベンチャー起業家の問題にも通じていることがわかるだろう。新興宗教は、一般的には、ネガティブなイメージを持たれている。しかし、それが20世紀以降、良くも悪くも、日本の社会における重要な運動体となってきたことも疑う余地がない。出口王仁三郎大本教は、その運動の起点に位置している。それゆえ、本書は広く読まれるべきである。




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