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『酒中日記』坪内祐三(講談社)

酒中日記

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「文壇飲酒人類学、飲んで飲んで飲み倒す日々の記録」

 私は本書を、発売されてすぐに神保町の東京堂で見かけていた。しかし装丁が同じ坪内祐三の『酒日誌』とそっくりだったので、もう持っている本だと思って手に取らなかった。さすがに東京堂は坪内をリスペクトして旧著を平積みにしたりするんだ、などと勘違いしていた。しかしその1週間後、今度は横浜地下街の有隣堂で、森まゆみの『女三人のシベリア鉄道』と並べて面陳列してあって、さすがに「あれ?」と思って手に取ってみたら、講談社から出た新刊である。そうか、講談社の『小説現代』の連載(ここ半年ほど愛読していた)が単行本化されたのだと間抜けな私はやっと気づいた。それにしても同じ小ぶりの版型で、似たような格子模様風(?)の包み紙に包まれた『三茶日記』、『本日記』(いずれも本の雑誌社)、『酒日誌』(マガジンハウス)と本書(講談社)の4冊を一緒に並べてみると、これら坪内祐三の日記シリーズは、出版社の違いを超えて4冊で一組の工芸品であるかのように美しくて(多田進の装丁)、思わず見とれてしまう。いや美しいというだけでなく、軽くて手に馴染みやすくて、とても読みやすく造本されているのがうれしい。

 内容もいい。ただひたすら、何月何日の何時に、どの店で、誰と、何を肴にして、何の酒を飲み、どう帰ったかが中心に書かれ、そこから少し時事ネタや相撲や音楽や文学の話に脱線するだけなのだが(2006年暮れから2009年10月いっぱいまでの3年間の、各月ののうち十日ほどが選ばれている)、一度読み出したら坪内独特の文章のリズム感に巻き込まれるような感じになって止まらなくなってしまった。例えば、「四月一日(火) 草森さんショックのイキ君をなぐさめるべく七時半に『ロックフィッシュ』で待ち合わせ。ハイボールで三杯ずつ飲んだあと(実は私は七時に店に入ったから既に二杯飲んでいた)、八時少し過ぎ『アイリンアドラー』に向かう。十一時少し前、銀座をあとにし、タクシーで新宿、『猫目』を覗くと島田さんが飲んでいる。しばらくしたら『ぴあ』の安藤さんが同僚とやって来る。さらに『小説現代』のテラちゃんもやって来る。で、気がつくと今日もまた午前三時。」(114-115頁)といった感じで、まるでこっちにまで酒の酔いが感染するかのような勢いで自らの飲酒生活がこまごまと描かれる。

 それにしても、こんなシンプルな内容の本がなぜ面白いのだろうか。少なくとも帯に書かれているように「とにかく毎日飲み歩くから、人が人を呼び、いろんなことがつながってくる」からではないと思う。私の印象は全く正反対である。本書の興味深いポイントは、坪内祐三の活動範囲の「狭さ」にある。飲酒する店や飲み物や一緒に飲む相手が徹底的なまでにワンパターンなのである。飲む店は、銀座界隈なら「ロックフィッシュ」、「アイリンアドラー」「ももこ」、「よし田」、「きらら」、「お多幸」、新宿だと「ふらて」、「猫目」、「風紋」、「こう路」、「ASADA」、神保町なら「八羽」、「浅野屋」、「ランチョン」、自宅で食べるのは弁松の幕の内弁当、飲む酒はハイボールか焼酎。飲む相手として出てくる名前は、亀和田武、北島敬三、矢作俊彦嵐山光三郎、親友・月の輪書林、『ぴあ』のA藤さん、新潮社のUK君、『エンタクシー』のイキ君、『小説現代』のテラちゃん、文春のH青年ら。定例的なイベントとしては、新宿「しん亭」で月1回の読書会、月1-2回ほどの『SPA!』連載の福田和也との対談、そして月1回の五反田古書会館での早稲田の教え子と行く古書探しなどがあり、それ以外にも判で推したように、飲み屋で観戦する大相撲中継浅草名画座での古い東映映画の鑑賞、唐組のテント公演への顔出し、芥川賞直木賞の受賞パーティーや講談社エッセイ・ノンフィクション賞の授賞式への参列と文壇ウオッチングなどがある。

 

これらの出来事が少しずつずれたリズムで(月1回、隔月、年1回など)互いに重なりあいながら反復されるのが、この日記独特のリズムを形作っているのだ。だから行動がワンパターンだからといって本書が単調な記録だというわけではない。むしろ本書は、その一日一日が全く異なった日としてドライブ感を持って生き生きと描かれている。たとえば上の日記に出てくる『ぴあ』の安藤さんは、出てくるごとに気分次第でA藤さんとかAさんに変わってしまうし、新潮社のUK君はK青年になったり金さんとかキムちゃんになったりもする。つまり遠くから眺めれば単調な繰り返しにしぎないように見えても、接近してよく見ると各々が少しずつ違いを持った模様のように精密に描かれているのだ。

 

それは彼が、ここで相撲や歌舞伎や東映映画といった特定のジャンルを繰り返し見て、そのワンパターンさのなかにある、ほんの小さな差異の味わいに敏感になろうとしていることを想起させるだろう。そこにこそ私は坪内祐三の批評者としての特徴を感じる。わたしたちの社会はつねに新しい出会いや新しい音楽や新しい映画を求めて、その前のめりの姿勢の余りにある種の退屈な気分に陥っているのに対抗して、彼は新しい飲み屋や新しいイベントを求めるのでなく、徹底的に同じパターンの行動を繰り返すことによって、より深いところで一つの文化を味わいつくそうとしている。それを実践している姿を読者に示すという意味で、本書もまた優れた批評書になっているのだと私は思った。


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