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『英霊-創られた世界大戦の記憶』ジョージ・L・モッセ著、宮武実知子訳(柏書房)

英霊-創られた世界大戦の記憶

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 「戦後日本の「ねじれ」を解く鍵がここにある!」「欧州の「戦後」、すなわち第一次大戦後ドイツで展開された戦没者崇拝をめぐる左右勢力の攻防。靖国問題を読み解くためにも欠かせない一冊」。本書の帯に、こう書かれているが、その意味がわかり本書を手に取って理解しようとする日本人は、残念ながらそれほど多くないだろう。


 訳者、宮武実知子は、「訳者解題」で、つぎのように本書を読む時間と空間の背景によって、そのとらえ方が異なってくることを述べている。「原書の初版は一九九〇年である。ドイツ語訳は一九九三年、東西ドイツが統合されて間もない時期に刊行され、ドイツ語訳者は、冷戦終結後の気分を反映させた自分の文章を随所に挿入していた。だが同じ頃に日本語訳が出ていても、今[二〇〇二年]ほどの感慨をもって読めなかったかもしれない。「戦後」五〇周年頃から盛んになった歴史教科書論争は、二〇〇一年夏に決行された小泉純一郎首相の靖国神社公式参拝とあいまって、国際問題にまで発展した。さらに、その直後に起きた米国同時多発テロとアフガン空爆パレスティナでの自爆テロイスラエルの「対テロ戦争」は、死者の「記念」や「大義」のための闘いについて切実な問いを投げかけた」。


 わたしたちが本を読むとき、まず著者が書いた背景と意図を理解する必要がある。つぎに、読むときの時空を考え、なんのために読み、なにをその本から学ぼうとしているのかを明確にする必要がある。そうでないと、わたしたちは、とんちんかんな読み方をしてしまう。


 いまの日本人が、戦争について考えるとき、まず戦争とは「先の戦争」の第二次世界大戦(「アジア・太平洋戦争」「大東亜戦争」)のことである。しかし、本書を読めば、ヨーロッパでは戦争といえば第一次大戦(世界大戦ではない!)のことであり、第二次大戦はその延長線上にすぎないことがわかる。そして、国民国家のために戦死した人びとが、どのようにして「英霊」になったかがわかる。ちなみに、本書の原題を直訳すると、『戦没兵士:世界大戦の記憶の再形成 Fallen Soldiers; Reshaping the Memory of the World Wars』となる。


 本書の帯にある「靖国問題を読み解くためにも欠かせない一冊」として理解するためには、この問題を近代の世界史の問題としてとらえる必要がある。日本の「靖国問題」は、ナショナル・スタディーズのなかで、戦後の問題として議論されてきた。しかし、本書を読むと、「国民国家の防衛という神聖な任務を全うした」戦没者をどう祀ればいいのかという、近代ナショナリズムの共通問題があることに気づく。そして、問題を解決することは、つぎの戦争のために不可欠なことだったことがわかる。


 この戦没者祭祀の問題は、ヨーロッパではキリスト教信仰と結びついていったことが、つぎのように述べられている。「こうしたナショナリズムにおけるプロテスタントの機能は、死の問題に眼を向けた時に、最も明らかとなる。フランス革命戦争やドイツ解放戦争に始まる英霊祭祀の発展にともない、兄弟・夫・友人の戦死は生け贄となった。その際、少なくとも公的には、得られたものは個人が失ったものより重いとされた。祖国のための死を正当化する戦争目的が信じられたばかりでなく、死そのものが超越された。つまり戦没者は、キリストを模して、真に神聖なものとなったのである。戦没者の祭祀は国民に殉教者をもたらし、彼らが永遠の眠りにつく場所を、国民的崇拝の聖地とした。戦没者を記念する戦争モニュメントは、自国の青年の強さと男らしさをシンボル化し、後に続く世代への模範となった。そうした祭祀は平時においても、戦争の栄光と挑戦とを想い起こさせた」。


 こうした祭祀は、「近代的な戦闘行為の開始と新たな国民意識によって」変化していった。第一次大戦の大量死によって、戦争墓地や戦争モニュメントが国民的崇拝の聖地となり、兵士個人の身分にかかわりなく戦没者は英雄になっていった。そして、無名戦士の墓が戦没者祭祀の中心となって、群衆が参加できる式典が催されるようになった。軍人や志願兵、傭兵だけで戦っていた時代と違い、徴兵制によって兵士になることが国民の義務となった時代のなかで、国のために戦い死ぬことを躊躇しない国民を育成するために、戦没者祭祀は国民国家の重要な行事となった。


 ナショナリズムと結びついた「戦争の記憶の再形成」は、平和主義へ向かうことはなく、第二次大戦へと人びとを導いていった。1918年にベルリンで生まれ、33年ドイツのナチ化にともない国外に脱出した著者、モッセは、この戦間期をつぎのように説明している。「戦争体験の神話は、野蛮化の過程の中心を占めた。戦争の記憶を変質させ、受容しやすくしたからである。そうして、ナショナリズムに力を貸し、戦後状況に最も効果的な神話やシンボルを備えさせた。戦争体験の神話は、第一次大戦を第二次大戦へと媒介し、国民を刷新できる無傷の連続性を確立させようとした。だがこうした全てにもかかわらず、いかにナチが力を尽くしても、一九三九年の時点で、戦争への熱狂も新たな一九一四年世代の登場も、ほとんど見られなかった。それでもやはり、そうした神話が投影された政治意識や死生観は、多くの人に不可避な戦争を受け容れる覚悟を決めさせた。戦間期という時代は大部分、戦争の延長線上にあった。戦争体験の神話と対をなせるような、有効な平和主義運動は皆無であった」。


 ところが、第二次大戦後には、大きな変化があらわれた。「第一次大戦戦没者記念碑は、戦争体験そのものを引き合いに出した。だが、第二次大戦後の警告記念碑(マーンマル)は、戦争の帰結をシンボル化した」。イギリスでは、第二次大戦末期に、戦没者祭祀について、大々的に議論された結果、「記念碑は集団よりも個人を記念し、あらゆる戦争への警告を含まねばならぬ、との見解が影響し」、「国民の大半が戦後も長く楽しめる公園や庭園のような記念施設を望むと立証され、実用案が支持された」。


 本書を読むと、日本の戦没者祭祀の問題が、近代国民国家の共通の問題であるとともに、日本独自の信仰と結びついた問題であることがわかる。「靖国問題」をはじめ近代に解決できず現代に先送りされた日本の戦没者祭祀の問題は、ヨーロッパでの第一次大戦後と第二次大戦後の戦没者祭祀のあり方の違いが顕著に示すように、なんのためのものかを明確にする必要がある。それは、二度と戦争をしないために、どのような記念碑を建て、どのように祭祀をおこなうかである。「軍国主義的伝統や軍事的事件を賛美するような」、つぎの戦争に国民を動員するためのものでは、断じてない。建立にかかわった政治家の名前が大書され、各種団体の資金源になるような記念碑は、論外である。日本の戦没者祭祀の問題は過去の問題ではなく、いまの日本が戦争にたいしてどのように考えているかを示す現代の問題である。


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