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『フィリピン独立の祖 アギナルド将軍の苦闘』渡辺孝夫(福村出版)

フィリピン独立の祖 アギナルド将軍の苦闘

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 本書は、「資料に基づいているが、学術的論考を試みたものではなく、平易な読み物(物語)を意図したもので」、「東南アジアでもっとも日本に近く、日本との長い交流の歴史がある」フィリピンへの関心を高めてほしいという、著者、渡辺孝夫の願いが込められている。著者は、日本輸出入銀行マニラ首席駐在員など長い海外勤務があり、フィリピンにたいして身近で、親しみを感じていることから、関係資料を集め、現地を訪ねて、本書をまとめた。


 著者の言うとおり、本書は学術書ではないため、今日の学術的評価と違っていたり、地名・人名のカタカナ表記などが間違っていたりで、たんなる物語として読むしかない。もっとも、日本の高校世界史教科書では、アギナルドが日本に亡命したなどという明らかな間違いがあるなど、フィリピン革命について正しい理解がされていないのであるから、研究・教育者でもない著者に、正確さを求めることには無理があろう。ちなみに、日本の高校世界史教科書にもっともよく出ているのが、フィリピン革命を代表する3人、アギナルド、リサール、ボニファシオのうちアギナルドで、大学入試センター試験にもよく出題される。しかし、フィリピンでは、国民第一の英雄はリサール、民衆史観で人気があるのはボニファシオで、アギナルドの人気はいまひとつである。


 本書では、フィリピンで「称賛と批判が相半ばしている」「アギナルド将軍に焦点を合わせ、フィリピンの変動の歴史をたどって」いる。アギナルドとは、どのような人物であったのか。『山川 世界史小辞典(改訂新版)』(2007年)で、その項目を見てみよう。「1869~1964 フィリピン独立革命政府の大統領(在任1898~1901)。マニラ近郊カビテ州の町長だったが、秘密結社カティプーナンに加入して1896年の決起に参加、97年ボニファシオ兄弟を粛清、処刑して最高指導者となった。スペインと和約を結び香港に亡命したが、98年アメリカ-スペイン戦争中にアメリカの協力で帰国して独立を宣言。アメリカへの併合後は抵抗して戦ったが、1901年に逮捕されると帰順を誓い引退。フィリピン独立運動指導者としての評価は今日でも定まっていない」。


 まず、94歳まで長い「余生」を送ったことがわかる。志半ばで亡くなったリサール(1861~96)やボニファシオ(1863~97)と対照的である。今年のNHK大河ドラマの主人公は坂本龍馬(1835~67)である。初詣がてら、霊山護国神社明治維新史跡公園にある坂本龍馬の墓を詣でた。上に木戸考允勅撰碑・妻幾松の墓、下にパール判事記念碑が瀬島龍三らの名とともにあった。墓の側にある坂本龍馬中岡慎太郎銅像は、円山公園にあるものよりかなり小さい。この史跡公園には、池田屋騒動、禁門の変天誅組と生野の変などで命を落とした志士1356名の御霊が祀られている。リサールやボニファシオと同じく、30代で亡くなった者も多い。実際に政権のなかで手腕を振るったわけではないため、汚点も少なく、偶像化されやすい。それにたいして、アギナルドは革命を未完に終わらせ、逮捕後アメリカへの帰順を誓った。すでに過去の人となっていた1935年のフィリピン初の大統領選挙に出馬し、当選したケソンに4倍もの大差をつけられて惨敗した。生存中に、「英雄」になることはなかった。


 歴史上の人物の評価は、時代や社会によって変わってくる。リサールは、フィリピン革命をエリートの革命であるとしたアメリカ植民地政府によって、改革主義者として英雄にされた。それにたいして、1950~60年代のフィリピンの反米運動のなか、大衆の革命であったとする民族主義者によって、その民衆の代表としてボニファシオが評価された。そして、近年では、リサールは改革主義者ではなく、革命家であったとして、民族主義者にも受け入れられる英雄として、再評価されてきている。


 さて、アギナルドはどのような文脈で、フィリピン人に評価されることになるのだろうか。貧富の差など階級間格差の是正を求め挫折した革命運動で、有産階級の代表とみなされたアギナルドは、依然貧富の差が大きいフィリピンで認められることはむつかしい。「新しい時代を構想」し、「日本統一の演出者」となった坂本龍馬を、いまの日本人が求めているからもてはやされているのかもしれない。では、アギナルドに、いまのフィリピン人はなにを求めるのか。その答えは、未来を見据えるフィリピン人が出すことだろう。そして、日本人はそんなフィリピンの英雄論を通して、フィリピンの歴史や文化を知り、著者の願い通りフィリピンへの関心を高めていけばいいのだが・・・。

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