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『日本軍の治安戦-日中戦争の実相』笠原十九司(岩波書店)

日本軍の治安戦-日中戦争の実相

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 本書は、「プロローグ」の最後に目的が書かれ、「あとがき」では明らかにしたことを3つにまとめ、2つの問題を指摘していてわかりやすい。


 目的は、つぎのように書かれている。「日本軍が華北を中心に展開した治安戦においてどのようなことをおこなったのか、日本軍の占領統治の安定確保を目的とした治安戦が、どのようにして中国側で三光作戦といわれるものになったのか、そして日本軍の意図とは逆に多くの農民を中国共産党八路軍の方へ追いやり、抗日戦争を激化させる結果になったのはなぜか、それらの実態と全体像を明らかにすることなくして、日中戦争の実相に迫ることはできないであろう。本書では、治安戦を「おこなった側」の加害者・日本兵の論理と、「された側」の被害者・中国民衆の記憶とを照合させながら、日中戦争の実相に迫っていきたい」。


 その結果、著者、笠原十九司は、「第一に、日中戦争(一九三七年七月-四五年八月)における日本軍の治安戦の全体像を、日中戦争全体の展開に位置づけて明らかにした」。「第二に、中国では三光作戦(三光政策)といわれる治安戦について、華北山西省における燼滅掃蕩と収奪作戦、河北省における無住地帯化と経済封鎖作戦、山東省における細菌戦を事例に取り上げて、加害者の日本軍の論理と被害者の中国農民の記憶の両側面から事件を照射する方法をとおして、実相に迫る叙述をおこなった」。「第三に、読者の方々はお気づきであろうと思うが、本書には治安戦に加えてサブ・ストーリーがある。それは、「天皇制集団無責任体制」にもとづく、無謀でデタラメともいえる戦争指導体制についての批判と、これまで論じられることのなかった日中戦争における海軍の戦争責任の追及である」。


 そして、著者が問題として指摘しているのは、「一つは、治安戦という作戦用語をつかって戦闘をおこなった日本軍兵士の意識と経験について」であり、「もう一つは、治安戦は過去のことではなく、現代の戦争であるということである」。


 「天皇制集団無責任体制」については、つぎのように説明している。「日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も参謀本部陸軍省の対立があり、前述のように陸軍に対抗して海軍拡張を目論んだ海軍が日中戦争を華中、華南に拡大させるのに積極的役割を果たしたのである。陸軍は陸軍で、軍中央と現地軍との対立、齟齬(そご)があり、現地軍が軍中央の統制を無視して作戦を独断専行する下克上の風潮が強かったことは、本章[第1章 日中戦争のなかの治安戦]において上海戦、南京攻略戦を事例に述べたとおりである」。


 このほかにも、本書から学ぶ基本的なことが多々あった。たとえば、なにかと問題にされる「数」であるが、中国と日本とでは、観念が違うことをつぎのように説明している。「中国の文献には「初歩的な統計によれば」「不完全な統計によれば」「ある統計によれば」ときには「不確かな統計によれば」とまで断ったうえで細かい統計数字が記されている。中国の学会や集会、会議などでの報告をきいていると、中国人は数字を形容詞としてつかっているのだと筆者は思う。事件や事柄の規模や程度をイメージさせるのに統計数字がつかわれるのであって、そうわりきって聞けばなるほど効果的な表現方法である。統計というと調査方法や厳密性、信頼性を問う日本人とは感覚が異なっている」。


 また、個々人の回想録にかんしても、それぞれの立場から信頼できる部分と限界があることを、つぎのように説明している。「鈴木[啓久]の回想録が貴重であるのは、第二七歩兵団長という上級指揮官の立場、それも師団長とは違って作戦現場、工作現場で直接指揮する立場にあったことである。下級指揮官や兵卒の回想録や証言には、軍隊組織の特色から彼らは部隊の作戦について全体を知る立場になかったという限界がある。戦場体験記として貴重であるが、彼らは鈴木啓久のように作戦の目的や展開過程、結果について的確に知ることができる立場にはなかったのである」。


 それにしても、本書からわかる日本軍のおこなったことは残虐性だけでなく、その後遺症の大きさである。日本軍がおこなった細菌戦については、「被害者の家族・親戚やその周囲の人々もペストによって死亡したのは日本軍の細菌戦が原因とは分からず、罹病者とその家族がペスト流行の元凶として悪魔であるかのように差別され、迫害されつづけてきた」。「華北の抗日根拠地において、平均して五〇人に一人以上の割合で日本軍に強姦され、そして性病をうつされた」。軟禁されて強姦され続けた女性のひとりは、戦後「「かつて日本兵とあまりに長く一緒にいた。おまけに日本兵のために子どもまで産んでやった」という理由で「歴史的反革命」という罪に問われ、三年間牢獄に送られるという処分まで受け」、「「村の恥」として非難され迫害された」あげくに、「文化大革命がもっとも激しかった一九六七年、彼女は首を吊って自死するという悲惨な最期をとげた」。


 対日協力者は「漢奸」「売国賊」として、「抗日戦勝利後、国民政府側においても、中華人民共和国側においても厳しい漢奸裁判がおこなわれ、日本軍人や日本人よりはるかに多くの中国人が処刑された。国民政府司法行政部の報告によると、各地で行われた漢奸裁判の結果、三万一四〇八人が起訴され、有罪が一万四九三二人(うち死刑三六九人)、無罪五八二二人、その他一万六五四人となっている。これにたいして、日本の法務省の調査資料によれば、中国国民政府によって裁かれた日本人BC級戦犯裁判において、八八三人が起訴され、有罪が五〇四人(うち死刑一四九人)、無罪三五〇人、その他二九人となっている。中華人民共和国政府がおこなった撫順戦犯裁判と太原戦犯裁判においては、死刑判決は一人もなく、四五人が戦犯として起訴され、有罪判決を受けた以外は全員が起訴免除となり、一九五六年に帰国を許された。最高刑の禁固二〇年を受けた者も、一九六四年を最後に全員が満期前に帰国をゆるされた。これらの数字からも、漢奸裁判が日本人戦犯裁判よりもはるかに厳しくおこなわれたことがうかがえよう」。


 このような中国側の日本人戦犯にたいする寛大さは、つぎのように説明されている。「周恩来総理の、日本人戦犯を一人も死刑にしないで、粘り強く長期にわたって「認罪学習」をさせ、「侵略戦争で罪行を犯した人が十分に反省し、その体験を日本の人々に話す。我々中国共産党が話すよりも効力があると思わないかね。日本の人民もきっと納得する」という指示にしたがって、金源管理所長以下、関係者たちの忍耐づよい努力の結果、戦犯たちは供述書を書くようになったのであった」。


 周恩来の思惑は外れ、日本人戦犯が帰国後、日本人に話すことはあまりなかった。そのため、本書に書かれているような具体的な話を、戦場を体験していない日本人はほとんど知らない。それどころか、信じようとせず、嫌悪感を抱き、本書の「プロローグ」の事例を読み終えることもないだろう。とくに日本の若者へは、実相を知らせる前に史実を受け入れる準備をしてもらうにはどうしたらいいのかを考える必要がある。戦後責任をまともに考えてこなかったツケが、いま日本の若者に降りかかろうとしている。東アジア社会のなかで日本人が暮らしていくのに、戦争認識の問題が大きな足枷になり、それがますます大きな問題になる可能性がある。昨今の中国などの反日運動を、歴史的に考えることによって、道は開けるのだが、・・・。

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