『日中対立-習近平の中国をよむ』天児慧(ちくま新書)
「中国とどうつき合うか?」 著者、天児慧は、2010年9月の「中国漁船衝突事件」以来、「大学の仕事以外に、日中問題を考え、書き、喋ることが筆者の日常で最も大きな比重を占める仕事となった」。それまでの数年間、「日中関係の前途に大きな希望を膨らませ始めていた」だけに、「できるだけ早く行き詰まった日中関係を打開する一石を世に投じたいとの思いが強くなった」。
本書の概略は、表紙裏開きに、つぎのように記されている。「転機は二〇一〇年だった。この年、中国は「東アジア共同体」構想を放棄し、「中華文明の復興」を掲げて大国主義へと突き進みはじめる。領土問題で周辺国との衝突をためらわず、とりわけ尖閣諸島をめぐって日本との対立が先鋭化した。変化の背景には、共産党内部での権力闘争があった。熾烈な競争を勝ち抜き、権力を掌握したのは習近平。G2時代が現実味を増すなかで、新体制の共産党指導部は何を考えるのか? 権力構造を細密に分析し、大きな変節点を迎える日中関係を大胆に読み解く。内部資料などをもとに、中国の動向を正確に見究める分析レポート」。
著者は、中国を専門とする研究者として、まず、中国が直面しているジレンマを、つぎの4つに整理している。「第一に、経済成長優先路線とそれが生み出した経済格差、蔓延する腐敗、劣悪化する環境公害などさまざまな分野での不平等社会のジレンマである」。「第二に、中国がこれまで重視してきた国際協調路線と、急激な台頭に伴って生まれてきた「大国主義」的思考にもとづく対外強硬路線の間のジレンマである」。「第三には、「中国的特色」「中国モデル」論などにみられる伝統的文化歴史へのこだわりを強める中国特異論と、世界のリーダーとして世界が共有する価値や国際公共財への積極的な関わりが求められる普遍主義とのジレンマである」。「第四は、中間層、市民の台頭、各階層の利益の多様化などに見られる多元社会・開放社会と、統治に関しては共産党体制を堅持し政治の多元化を認めようとしない一党体制のジレンマである」。
つぎに、中国の日本にたいする複雑でデリケートな感情問題を、つぎのようにまとめている。「古来から周辺国・日本に多大な影響を与えてきた大国としての優越意識、近代史の中で台頭するアジアの大国・日本に追い越され屈辱・犠牲を強いられたという意識、第二次世界大戦以後は急速に復興・発展を実現し、アジアの大国として蘇った日本に警戒し脅威を感じる意識、改革開放時代は発展のために支援を受け「学ぶ対象」としてみとめざるをえなかった意識、そして今日台頭しGDPで日本を追い越した中国が、「失われた二〇年」と言われる日本に対して、ある部分でようやく「見下ろす」ことができるようになったという意識、しかしなお社会の「成熟」という面からみればなお大きく遅れているという意識、これらの意識が渾然一体になった状態こそが、中国の対日意識といえるだろう」。
そして、「新しい日中関係を築くために」、つぎの4点を提起している。「①日中の多層的な相互依存関係、多重的な利益共有構造を構築し、ゼロ-サム的な武力行使は自らも手痛い打撃を受けるという認識を共有する。経済ではすでにプラス-サムの関係が生まれているが、他の領域、とくに安全保障領域でもこのような関係を構築していく必要がある」。「②政府間レベルでは実利思考をとくに最優先し、「挑発しない、挑発に乗らない」という姿勢をはっきりさせ、そのことを相手側にも常に発信する」。「③日中政府間の「危険管理枠組み」を構築し、日常的に機能させる。とくに、相互の立場を主張する「場」にしないで、立場の相違はあっても「相互抑制」「紛争未然防止」を重視し、その実現を目的とした情報の交換、率直な意見交換などを行なう」。「④メディアによる安易な反中、反日の雰囲気を煽る報道をできるだけ慎み、尖閣諸島問題とナショナリズムの癒着をできるだけ避ける努力をする。とくに、危機管理の枠組みでは、非公式メディアを含め動向をしっかりと把握・分析し、「衝突回避」のための事前対応を怠らないようにすることである」。
さらに、中国が直面している4つのジレンマの克服のために、日本の存在が大きな意味をもっていることを、つぎのようにまとめている。「第一に、経済成長路線とそれが生み出した「社会的負」のジレンマである。...日本は税制度、医療保険制度、普通教育制度、省エネ対策、循環型社会システムなどの充実により、また自然環境保護の重視、法制度の充実などによって、長きにわたって「調和社会」を実現してきた。しかも、一九六〇年~七〇年代の日本は、現在の中国と同じような事態に直面し、それを克服してきた経験と知識をもっている」。「第二に、大国化と国際協調のジレンマである。そして第三に、中国特異論と普遍主義のジレンマである。これらのジレンマに関しても、日本の高度経済成長期に、「エコノミックアニマル」「日本型経営」などの日本特異社会論がはびこったが、やがて国際協調、普遍主義への融合を主としながら、逆に日本特異論の優れた側面を十分に活用しながら、国際社会に適合してきたことが参考になる」。「さらに第四の開放社会と一党体制のジレンマに関しても、「戦後五五年体制」と呼ばれる自民党の事実上の一党体制が一九九一年まで続いた。それでも、「表現の自由」「野党勢力の役割増大」など安定的漸進的に民主の実質化が進んだ。これらの日本経験は、もちろんすべてではないにせよ、多くの重要な部分でこれからの中国にとって、とりわけ将来「成熟社会」に向かうために大いに参考になるだろう」。
他方、日本にとっても、中国はなくてはならない存在になってきていることを、3点あげている。「一つ目は、いうまでもなく日本の製造業の生き残りとして、比較的安価で優秀な労働力が確保できる中国の重要性である」。「二つ目には、日本にとっての巨大な「市場」としての中国である。そして三つ目はポジティブで創造的で優秀な中国人若手人材の活用である」。
最後に、「あとがき」で「肝心なことは、双方とも自分の主張を一方的に繰り返すだけでなく、相手の主張にも耳を傾け、あるいは国際社会を意識しながら日中関係のあるべき姿を考え、展望することであろう」と述べ、「両雄並び立つ」創造的な両国関係の実現を目指すために、今後の重要な課題として考えておくべき3点をあげている。「第一に、こうした中国以外の国との関係改善・強化を進めることは日本の外交基盤を強化することになり重要であるが、そのことで日本が率先して反中国包囲網の形成を進めているとの印象を絶対に与えないことである」。「第二に、現在日中関係の最大の障害になっている問題は本論でも繰り返した尖閣をめぐる「主権問題」であるが、中国側はこれを第二次世界大戦の「歴史問題」と関連づけることにより、韓国、台湾、ひいては米国の賛同を得て、日本への攻勢を強めようとしている。...日本外交にとって微妙で重大な段階にある現在、歴史問題に関わる言動は慎重にすべきであろう」。「第三に、これからの日中関係を考える場合、さまざまなインフォーマル・ネットワークを強化・発展させ、その上で、そうしたネットワークの情報や意見が、直接・間接に政策決定者(機関)にとどき、政策に反映できるよう、意思疎通のパイプを開拓し充実させていくことである」。
「尖閣問題」について、著者は、つぎのような「長期的な視野に立った解決のためのアイデアを提起」している。「日本が「尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも日本の領土」という主張は譲らない。中国も台湾も「中国の固有の領土」ということも譲らない。ならばいっそのことこの両者を包み込むアイデアを考え出したらどうだろうか」。「一つの島嶼を、日本側は「尖閣諸島」と呼び、中国・台湾側は「釣魚列島」と表現する」。「漁業・資源開発など経済活動に関しては当事者間で相談して決定する」。「海底資源に関しては「共同開発」を原則的に推進し、さらに領海の航行は双方が特別に配慮する」。このアイデアのおおかたは同意するが、巨額の資金と高度な技術が必要となる海底開発については、再考の余地があるかもしれない。日中関係だけでなく、資金も技術力も充分でない東南アジアの国ぐになどと中国との問題を考えると、資金も技術力もある中国が圧倒的に有利になる。巨額の資金と高度な技術を必要とする開発はおこなわないことを原則とし、開発する場合は当事国以外の国ぐにが主体となっておこない、開発しようとする資源の乏しい国が優先的に使うことができる、というのはどうだろうか。当事国同士の共同開発は、紛争の種になる危険性が高いし、事故が起き自然・環境破壊が起こる可能性も大きいように感じる。
著者が何度も強調するように、「双方にとって、相手側は必要不可欠な存在であるとの認識をしっかりもち、相互信頼関係をはぐくみ、強めていくことこそ重要であるという認識を基本的な立脚点に据えるべき」であり、そのためには「現状維持が最善の策」であろう。