『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』細谷雄一(新潮選書)
本書は、サザンオールスターの「桑田佳祐の嘆き」からはじまる。「ピースとハイライト」のなかの歌詞、「教科書は現代史を やる前に時間切れ そこが一番知りたいのに 何でそうなっちゃうの?」が紹介されているが、現代史云々の前に、歴史そのものが敬遠され、無関心になってきている。政治化してウソっぽく、ややこしいからである。
本書の目的は、長い序章「束縛された戦後史」の最後のほうで、「「イデオロギー的な束縛」、「時間的な束縛」、そして「空間的な束縛」という三つの束縛から戦後史を解放して、よりひろい器の中に「戦後史」を位置づけし直すこと」にあると述べ、「はじめに」の最後でつぎのように説明されている。
「いま、あまりにも歴史を学ぶことが窮屈になってしまった。圧迫感を受け、正義を強要され、歴史を学ぶことに嫌悪感を抱く人が増えているのではないか。むしろ、本来は、歴史を学ぶことでわれわれは、自らを狭窄(きようさく)した視野から解放し、固定観念を打ち壊すことができるはずだ。それは大きな喜びである。知らないうちにわれわれは、色々な束縛に囚われてしまっていた。歴史を学ぶことで、そのような束縛から自らを解放するためには、思考の柔軟性、視点の多様性、価値の開放性が求められる。それらによって、何重にも束縛されていた現代史を解放できるはずだ」。「その結果としてわれわれは、現代史を学ぶ喜びや心地よさを深く感じることができるのではないか。そのような喜びや心地よさによってはじめて、われわれは、自ら主体的に歴史を学ぶ意義を感じることができると思う。ぜひとも本書を通じて、束縛から解放されて、広い視野のなかで、現代史を学ぶ意義を感じて頂ければこれほど嬉しいことはない」。
本書は、「あとがき」に著者が書いているように、「政治外交史分野の優れた先行研究に大きく依拠しており、私自身が何か新しい学問的貢献をするものではない。ほぼすべて先行研究に書かれていることである」。また、本書の結論である「通常は切り分けて考えている「世界史」と「日本史」を統合させる必要がある」というのも、目新しいことではない。ナショナル・ヒストリーにこだわり、優先して考える人びとがいることから、なかなか世界のなかの日本の重要性が理解されないのである。
本書の重要性は、著者の経歴から「日本人の歴史認識」が他国に通用しないことを充分理解したうえで、広い視野の下、比較的長い時間的幅でわかりやすく書かれていることである。その経歴は、つぎのように説明されている。「私はこれまでオランダ、イギリス、アメリカ、フランスと四つの国の大学で、国際政治学や外交史を学んできた。これまた、国際政治学者の世界でも、歴史学者の世界でも、稀なことであろう。それぞれの国で、歴史の見方に大きな違いがあることに驚いた。他方で、それらの諸国である程度共通した歴史認識が存在することにも気がついた。このように、複眼的に歴史を眺めると同時に、国際社会での一般的な二〇世紀史に関する理解についても意識することになった。このような独特な学問的な遍歴を辿ってきた私が描く戦後史は、おそらく多くの方が理解するそれとは異なるのではないだろうか。そのように考えたことが、私が本書を刊行したいと感じた大きな理由だった」。
著者が国際主義にこだわるのも、以上のような理由からで、本書裏表紙にはつぎのように書かれている。「「軍国主義」より致命的だった「国際主義」の欠如とは?」。「なぜ今も昔も日本の「正義」は世界で通用しないのか-世界史と日本史を融合させた視点から、日本と国際社会の「ずれ」の根源に迫る歴史シリーズ第一弾。日露戦争、第一次世界大戦の勝利によって、世界の五大国となった日本。しかし、国際社会に生じた新たな潮流を読み違え、敗戦国へと転落していく。日本人の歴史認識を書き換える、タブーなき現代史」。
その「ずれ」の例として、満洲事変がつぎのように取りあげられている。「非戦闘員を対象とした無差別の戦略爆撃は、一九三〇年代に日本が率先して実行し、その破壊力と人的被害を知らしめる結果となった。そして、同時に、このことが戦間期に育まれていた戦争放棄への動きや、平和主義思想の浮上、そして戦争違法化への取り組みを葬り去る結果となる」。また、「一九二九年七月二七日に四七カ国がジュネーヴに集まって締結した「俘虜の待遇に関する条約」に日本は調印しながらも、その後に軍部の反対により批准が実現しなかった」。「軍部は軍事作戦上の観点のみからこのジュネーヴ条約への対応を検討しており、国際法や人道的な観点からの考慮は皆無に等しかった」。
もうひとつ、日本に欠けているのは、地域主義である。その例として、本書で取りあげている村山談話をあげることができる。「「植民地支配や侵略的行為」に言及し、また「深い反省」が示され」た談話は、「誠実な態度で歴史に向き合おうとしながらも、結果として困難な問題の解決を図ろうとして、外交問題化させてしまった」。その理由は、つぎのように説明されている。「歴史認識がそれぞれの国のアイデンティティと深く結びついている以上、そもそも国境を越えた歴史認識の共有がいかに難しいのかという意識が、おそらく村山首相には欠けていたのだろう。国家間の問題においても、十分な誠意を示せば決着がつくと感じていたのかもしれない。ところが歴史認識問題という「パンドラの箱」を開けた結果、むしろ中国でも韓国でも歴史認識問題を封印して、凍結しておくことがもはや不可能になってしまった」。同じことは、尖閣諸島の国有化についてもいえる。だが、短期的にはマイナスでも、いつまでも凍結しているわけにはいかない。村山談話を「英断」と評価できる状況にもっていくことこそが、東アジア地域の課題だろう。
東アジアの安定と発展が、個々の国家、人びとにとってどれほど重要であるかが認識されれば、それぞれの国益より優先され、国家間で争うことを回避することができるだろう。このことは、近代に形成された欧米中心の国際秩序とは違う、東アジアの共同体を意味することになる。すでにASEAN(東南アジア諸国連合)は、近代法などに基づく欧米とは違う独自の価値観で経済共同体へと向かっている。日本は、国際社会との「ずれ」だけでなく、近隣東アジア社会との「ずれ」がより深刻であるといえる。世界史と日本史の融合のなかで、東アジア史が埋没すると、事態はより深刻になる。東アジアで、日本の「正義」が通用していない理由を、東アジアの人びととともに考える必要がある。