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『忘却のしかた、記憶のしかた-日本・アメリカ・戦争』ジョン・W.ダワー著、外岡秀俊訳(岩波書店)

忘却のしかた、記憶のしかた-日本・アメリカ・戦争

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 「忘却のさせられかた、記憶のさせられかた」とも読めた。本書は、『敗北を抱きしめて』の著者ダワーが、1993年以降に発表したエッセイ・評論に、それぞれ自ら書き下ろした解題をつけた論集である。そのときどきに書いたものは、そのときどきの社会的背景や著者自身の環境などがあって、読み返すと何年か前の自分に反論したくなり、本書のように1冊にまとめることができないことがある。それを可能にしたのは、「訳者あとがき」に書かれているように、「歴史家としてのダワー氏の姿勢の一貫性である」。だからこそ、過去と現在との対話ができるのである。


 本書の要約が、表紙見返しにある。「冷戦の終焉、戦後五〇年という節目において、またイラクアフガニスタンでの新しい戦争が進行するなかで、日本とアメリカは、アジア太平洋戦争の記憶をどう呼びおこし、何を忘却してきたのか-」。「ポスターや着物に描かれた戦争宣伝や修辞、ヒロシマナガサキの語られかた、戦後体制のなかで変容する「平和と民主主義」、E・H・ノーマンの再評価など……。過去をひもとき、いまと対置することで「政治化」された歴史に多様性を取りもどす、ダワーの研究のエッセンスが凝縮された、最新の論集」。


 本書の特色のひとつは、最初の章に「第一章 E・H・ノーマン、日本、歴史のもちいかた」をもってきたことだろう。著者は、「動乱の一九六〇年代に歴史家としての道を歩み、その出発点で孤高の歴史家ノーマンと出会った。日本ではひろく名を知られながら、反共マッカーシズムの犠牲になり、英語圏では封印された研究者である」。博士論文を書き終えてまもない著者が編集したノーマン選集への序論(1975年)を抄録したのが、この第一章である。「ノーマンは、米上院公聴会で「信頼できない人物、たぶんは共産主義者スパイ」だと非難されてのち、一九五七年四月四日に、カイロで自殺した。当時四七歳」。「戦後や占領後の学界の傾向は、「明治国家の権威主義的な遺産」というノーマンの考えにたいし、根源的な敵意をもっていた」。


 「訳者あとがき」では、著者がノーマンから引き継いだ資質を3つにまとめている。「ひとつは、比較史学という手法である。西欧の古典史を学び、数カ国語を自在に操ったノーマンは、時代と地域を縦横に往還して参照する特異な手法を発展させた。それは、ある国の歴史を閉ざされた「物語」としてえがこうとする「一国史観」の対極にあり、欧米など特定の時代や地域を標準とし、そのモデルとの対比で「達成」や「遅れ」を測る発展史観とも対立する」。「ダワー氏は、軍国化した日本の近代史を、後進性ゆえの「突然変異」として異端視したり、日本よりも「進んだ国」には無縁の歴史として排除したりするのではなく、欧米にも「ありえた歴史」ととらえる」。


 「二つめは、歴史という繊細で複雑な「継ぎ目のない織物」(ノーマン)に対する忠誠である。ノーマンが、ミューズのなかでいちばん内気な歴史の神クリオに誓いをたてて、その単純化や図式化を拒んだように、ダワー氏もまた史実にのみ忠誠を誓い、他のどのようなイデオロギーにも拝跪(はいき)しない。その結果、史料に向きあう姿勢はいちじるしくリベラルでしなやかな一方、歴史を稔じ曲げようとする不実にたいしては、仮借ない批判を浴びせる」。


 「三つめは、歴史に大書されることのない無名の人々への愛着である。丸山真男がその追悼文で「無名のものへの愛着」と指摘したように、ノーマンの書く文章には、国家単位でおきる出来事の記述から漏れ落ちる無数の人々の暮らしにたいする畏敬と愛惜がにじんでいる。『敗北を抱きしめて』でダワー氏がその資質を遺憾なく発揮したように、浮かんではすぐに消える「蜉蝣(かげろう)」のような雑誌や漫画本、流行歌や替え歌にも歴史家として気を配るのは、そうした移ろいやすい「史料」の断片にこそ、当時生きた人々の思いや感情が切実に刻印されていると考えているからだろう」。


 著者は、「アジア太平洋戦争における日本の振るまいにかんする、おなじみの右翼側による否定のすべてがふたたびニュースになり、今回は二〇一二年一二月の安倍晋三首相の登場によって、それが加速化されている」ことを憂えている。それも、日本への愛情をもってのことであることは、「日本の読者へ」のつぎの文章からわかる。「日本の帝国主義軍国主義の過去の汚点を消しさろうというキャンペーンは、一九五二年、長びいたアメリカによる日本占領がやっとおわった時期にまでさかのぼる。それは六〇年にわたってますます強く推しすすめられ、おわる兆しはない。一九七〇年に始まり二〇一二年におわった教職の期間に、私が同僚や学生、ジャーナリスト、ふつうの物好きな知人から最もよく受けた質問は、あえていえば、「どうして日本人は、自分たちの近現代を否定せずにはいられないのか」というものだった。それにたいし私はこう答えた。それは「日本人」一般にはあはまらない。日本の戦争責任にかんする主要な研究の多くは日本人の研究者やジャーナリストによってなされ、書店でもひろく手に入れることができる。平和にたいする日本の戦後の献身は模範的なものだ。日本政府は、とりわけ中国と韓国にあたえた侵略と苦痛をみとめ、謝罪する多くの公式声明を出してきた。-だが、どんなにこうした反論をしても、ほとんど効き目はなかった」。本書からも、著者が「戦争と記憶について日本における考えがいかに「多様であるか」について」、「英語圏の読者につたえようとしたのか」、よくわかる。


 著者は、「こうした多様な声が、「愛国的な歴史」の喧伝に専心する有名な日本人の甲高いレトリックや主張、シンボリックな行為(靖国参拝のような)によって圧倒されてしまうこと」が、国益を損ねていることを、つぎのように述べている。「こうした類(たぐい)の愛国的な偽りの歴史には、ひねくれた矛盾がある。公に宣言する目標は「国家への愛」をうながすことでありながら、一歩日本の外に出てみれば、そうした内むきのナショナリズムが日本に莫大な損失をおよぼしてきたことは歴然としている。それは、戦争そのものによる害とはちがって、日本の戦後のイメージに、消えない汚点を残すのである。中国人や韓国人の激昂した反応は大きな注目を集めるが、それは彼らだけにかかわる問題ではない。わたしたちはアメリカでも英国でも、オーストラリアでも欧州でも、日本の信頼性が侵食されるのを目にしている。国連ですら、批判の合唱に加わった(ここに書くように、国連はふたたび、とりわけ慰安婦問題にかんして、日本に引きつづき義務をはたすことができていないと非難した)」。「日本が一九五二年に独立を回復して六〇年が過ぎたが、その日本がいまも、近い過去と折りあいをつけて、隣人や盟友から全信頼をかち得ることができないことは、深く悲しむほかない」。


 「「歴史」が「記憶」としてどのように操作され、社会にひろまるのかという問題であり、さらには、過去から何かを選びとって記憶することが、他のことを忘れたり、わざと無視したりすることと、いかに分かちがたいのか」、本書から多くのことを学ぶことができ、それが近隣諸国との関係を「悲劇的な物語」にしてしまっていることに気付かされる。しかし、「日本のネオ・ナショナリストの政治家」には、著者の嘆きと憂慮はなかなか伝わらない。伝えることができるのは日本国民だけで、それを各自が自覚することによって、永遠に続くかのように思える「歴史問題」から日本国民は解放されるだろう。

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