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『9・30 世界を震撼させた日-インドネシア政変の真相と波紋』倉沢愛子(岩波書店)

9・30 世界を震撼させた日-インドネシア政変の真相と波紋

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 「9・30」と聞いて、すぐにわかる人はそれほど多くないだろう。それが、「世界を震撼させた日」であると言われても、怪訝に思うだけである。本書の核心は、そこにある。これほど重要な日であるにもかかわらず、事件が起こったインドネシアでも多くが語られず、それが日本を含む世界に大きな影響を与えたことがほとんど知られていないのはなぜか。本書は、そのなぞに挑もうとしている。


 9月30日に、なにが起こったのか。本書表紙見返しに、簡潔にまとめられている。「一九六五年一〇月一日未明に、ジャカルタで軍事政変が勃発、半年後の一枚のスカルノ大統領が発したとされる命令書により、権限はスハルトへと移った。中国では文化大革命が起き、東南アジアにアセアンが成立し西側反共主義陣営の結束を固め、日本は大規模な経済進出の足掛かりをつかんだ。政変を主謀したとされたインドネシア共産党は非合法化され、党員は逮捕され殺され政治犯にされた。国内全土に大虐殺の嵐が吹き荒れ、インドネシア経済を担っていた華僑への迫害がエスカレートしていく。膨大な一次史料と先行研究を踏まえ、いまだ謎に包まれた事件の真相を追求し、インタビューと現地取材を通して、事件の波紋の全体像を活写する」。日本では、「9・30事件」として知られる「事件」は、実際には10月1日に起こっている。にもかかわらず、「9・30」と呼ぶのはなぜか。この呼称にも、この事件の「真相」が隠されていることが、本書からわかる。


 著者、倉沢愛子は、本書執筆の背景をつぎのように説明している。「この一連の虐殺事件に関しては、インドネシアではまったく抹殺され続け、「あたかも何もなかったかのように」沈黙が強いられてきた。そして欧米諸国もそれを支えた」。「そのような状況が大きく変わったのは、一九九八年に、虐殺の責任者であるスハルトが三二年間の独裁の末に倒れ、「民主化」が始まってからである」。「筆者も二〇〇二年から、自らの足で虐殺者、被害者、そしてそのすぐ周辺にいた一般市民たちに対して集中的な聞き取り調査を始めた。それまで三〇年間にわたってジャワ農村の社会史を研究してきた筆者は、そのフィールド調査の過程で、村落の当局者によって調査の対象からは常に排除され、接触もままならない人たちが村のいたるところに数多く存在することが無性に気になっていた。事件の犠牲者の家族や元政治犯たちである。それは「喉に刺さった小骨」のように不愉快に私の体に残り、いつか九・三〇事件を大々的に明るみに出していかないと、村落の社会史は理解し得ないことを常々痛感するようになっていた」。


 この大きな変化を享受したのは、著者だけではなかった。本書を通読すると、ごく最近書かれた参考図書・論文が目につく。事件から50年が経とうとしている現在、アメリカ国務省文書をはじめ、各国の公式文書の解禁時期が重なったことも執筆を容易にした。だが、「著者からのメッセージ」で、「その真相をいまここに解き明かしたい」という意気込みを挫くように、まだまだ公開されていない資料があり、沈黙を守る人びとがいる。本書は、最新の研究状況を踏まえ、「真相」への第一歩を踏み出しただけかもしれない。しかし、その一歩はひじょうに意味ある重い一歩であることが、本書を通じて伝わってくる。


 そして、この事件の真相の解明は、わたしたち日本人にとって無縁ではない。著者は、「あとがき」をつぎのように締めくくっている。「この本を通じて私が訴えかけたかった一つのことは、多くのインドネシアの住民がこのようなとてつもない苦しみを被っている中で、「内政干渉」という便利な言葉を理由に日本も欧米諸国と横並びで口を閉ざしたことである。共産主義者であるポル・ポトの虐殺に対しては大声をあげて批判した国々が、である」。「九・三〇事件のあとインドネシアスハルト新体制が確立するとともに、この国への大規模な日本の経済進出が始まった。高度成長を遂げた日本の経済がその余力のはけ口を必要としていたとき、インドネシアは日本企業にとってかっこうの投資市場となり、それを支えるための政府の経済援助(ODA)も大量に投入された。これを契機に、やがて日本は世界の経済大国へと上り詰めていくことになるのである。共産主義者が逮捕・虐殺され、強いナショナリストであったスカルノが排除されたことによって初めて可能になった大転換であった。そのように考えるとき、この事件は私たちが長いあいだ享受してきた富や繁栄と無関係ではなかったのだということを改めて痛感し、深いため息を禁じえない」。


 当時大学生だった著者にとって、九・三〇事件は「決して「歴史」ではなく、「同時代の」出来事で、しかも遠い世界のことではなく、自分たちの住む日本と深く結びついた出来事だった」。だが、当時小学生だったわたしにとって、同じ年に始まったアメリカによるベトナム北爆は、週刊漫画雑誌の巻頭を飾っていたこともあって「同時代の」出来事であるが、九・三〇事件は「歴史」で、しかも東南アジアに関心がなければ見すごしていた事件だろう。この差は、わたしたちにとってひじょうに大きく、問題としなければならない。わたしたちは、じつに都合よく自分たちの勝手で、記憶する歴史と忘れる歴史を選別し、次世代へ繋げている。日本と中国や韓国とのあいだの歴史認識の違いは、その選別の結果であり、問題となることで歴史を見直す機会を与えてくれた。しかし、九・三〇事件は、すくなくとも日本でも見直す機会があまりなかった。1965年という年は、アジア太平洋戦争敗戦後20年目にあたる。戦後再編成の時期と一致し、日本だけでなく世界が仕切り直しした時期でもある。この事件をインドネシアの「内政」だけで見ることができないことは、本書を通じてわかる。世界史のなかで本事件を考えるためにも、デヴィ夫人をはじめ生き証人がいる日本からこの事件を捉えることは、日本人の責務と言っても過言ではないだろう。著者は、それを自覚し果たしている。


 本書で取りあげられた虐殺事件が、長編ドキュメンタリー映画アクト・オブ・キリング THE ACT OF KILLING」になった。日本でも、今月から全国で順次公開される。そのパンフレットには、つぎのような説明がある。「男は粋なスーツに身を包み陽気に微笑んでいる。残虐なシーンのないこの映画が、しかし、私たちを最も慄然とさせる映画になった-」。「これが“悪の正体”なのだろうか-。60年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺。その実行者たちは、驚くべきことに、いまも“国民的英雄”として楽しげに暮らしている。映画作家ジョシュア・オッペンハイマーは人権団体の依頼で虐殺の被害者を取材していたが、当局から被害者への接触を禁止され、対象を加害者に変更。彼らが嬉々として過去の行為を再現して見せたのをきっかけに、「では、あなたたち自身で、カメラの前で演じてみませんか」と持ちかけてみた。まるで映画スター気取りで、身振り手振りで殺人の様子を詳細に演じてみせる男たち。しかし、その再演は、彼らにある変化をもたらしていく…」。その字幕監修を、本書の著者がおこなっている。

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