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『ラオス史』マーチン・スチュアート-フォックス著、菊池陽子訳(めこん)

ラオス史

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 日本の約3分の2の国土に、わずか632万人(2008年)が居住するラオスに注目するのは、それなりに訳がある。因みに、ラオスは、6億を超す東南アジアのなかでも、シンガポールブルネイ東ティモールを除けば、人口のもっとも少ない国である。


 ラオス人民民主共和国の歴代の国家主席や首相の名前を、ひとりも知らなかった。それでも、専門は「東南アジア史」と言ってきた。19世紀末にフランス領インドシナ連邦に編入され、インドシナ戦争を経て1975年に共和制国家が成立したが、ベトナムの「付け足し」のような感じで、とくに関心はなかった。ところが、東南アジアの大陸部の歴史を知ろうとしたとき、国民国家の担い手になった低地の主要民族だけではなく、高地の「少数民族」に目を向けなければ、地域としての歴史も、それぞれの国民国家の歴史もわからないことがわかってきた。その「少数民族」の比率が高く、地形的にも高低差の大きいラオスが、東南アジアの大陸部を理解する要のひとつのように思えてきた。さらに、このような国家が「生き残る」ことが、今日のグローバル化社会に生きる個々の人びとにとって重要なことではないかと考えるようになった。


 本書は、「ラオス語以外で書かれた初の本格的なラオス通史」である。著者は、「国民国家ラオスを支えるナショナルアイデンティティーの形成にとって歴史叙述がいかに必要とされているか」、「序章」でつぎのように述べている。「ラオスは東南アジア諸国の中でも包括的ナショナルアイデンティティーの構築をイデオロギー的に支えるナショナリストによる歴史叙述が最も発達していない国となった。このことは、ラオスの歴史家にかなり重い課題を課している。近代ラオスの構造はもろく、ナショナルアイデンティティーのための確固とした支えを、おそらく包括的で一元的な歴史叙述に求めているからである」。


 「したがって、私はラオスの歴史叙述には、現在国際的に国民国家であると認められている国家の存在を支える「語り」が、今この時点で求められていると考える。この点において、私の考えていることはラオス国内だけでなく国外の難民社会におけるラオス人の願望、信念、確信をも反映していると信じている。もちろん、私が書いた歴史はラオスの人々に向けたものではない。そういう歴史はラオス人歴史家だけが書くことができる。この歴史は、国外に離散したラオス人の西洋化した子供たちを含め、外からラオスを眺める人々のために書かれたものである」。


 本書を読むと、ベトナムの「付け足し」でもなければ、自主性を奪われ、ただたんに従属していただけではないこともわかってくる。フランス植民支配下の状況は、つぎのよう説明されている。「直接統治の県においてさえフランス人官吏の数は非常に少なく(遠隔地にある小さな県ではたった3、4人であった)、フランスの統治は実質的に間接的であった。これは、ラオ・トゥン[山腹ラオ]やラオ・スーン[山頂ラオ]などの少数民族管理においてよりはっきりしていた。たとえば、ラメット族の場合がよく知られているが、上メコン内の県に居住するラメット族の小集団に対してフランスはラメット族のムアン[くに]を創設し、ラメット族の村長を任命した。そのムアンはラオ人のチャオ・ムアン[地域の支配者]の管轄下にあったルー族の徴税人によって監督された。そして、そのチャオ・ムアンはほとんどがベトナム人である県の行政職員に報告をした」。


 また、1975年に立憲君主制から共産主義の人民共和制に体制が移行したときは、ベトナムのように「革命」的ではなかった。「前国王のサワンワッタナーを国家主席(大統領)顧問に、そしてスワンナプーマーを政府顧問に任命することで、王制から人民共和制への移行に伴う急激な変化を緩和させるための努力もなされた。前皇太子のウォンサワンは最高人民議会の構成員に任命された。前政権の指導者たちは、こうして、彼らの威光と人気を新政権に付与するために利用された。ルアンパバーン王家の王子であるスパーヌウォンが新生共和国の国家主席の地位に就任したこと、そしてほんの少し歌詞を変えただけの前政権と同じ国歌と、ラオス王国政府の旗(頭が3つある象の図柄)に代わって前ラオ・イサラ[自由イサラ]旗の採用が決定されたことで、さらに継続性が強調された」。そして、「1976年中頃までに、[首都]ビエンチャンに住んでいた2万人の中国人と1万5000人のベトナム人の半数が、資産を金(きん)に換え、身に付けて去った」。


 本訳書の原著は、1997年に出版された。その最後は、つぎのような文章で終わっている。「ちょうどラオス王国体制下でもそうであったように、ラオス人民革命党は、国民が統合とアイデンティティーの意識を強く持つようになることを最優先にしていた。政治文化全体の発展に関していくらかの進歩は見られたが、少数民族の生活水準向上という約束を果たせなかったことと地域主義によって、せっかくの成果が損なわれる恐れがあった。政府が国民和解に立ち向かうことに気乗りしなかったのは、教育を受けたラオス人はラオスよりも海外に多く居住しているからで、一方、国のほうは、ある国への依存から他の国へ-アメリカからソ連ベトナムへ、さらにタイ、中国、世界銀行へと依存先をそっと移していた。ASEANへの加盟は、ラオスに逃げ場と脅威の両方を提供した。逃げ場というのは、加盟国としてラオスに地域的な援助が与えられるという意味であり、脅威というのは、経済的統合が加速化することでラオスの独自性が大きなタイ文化に吸収されてしまうかもしれないという意味である。しかし、ヨーロッパ連合の中でルクセンブルクが他とは異なる存在として生き残っている以上、東南アジアの中でラオスもまた同じような意味で「生き残る」ことができるであろう。ラオスに準備ができていようといまいと、将来的に地域の他の国々とより密接に一体化していくことは避けられないであろう」。


 さらに、2010年の日本語訳出版に際して書き下ろされた「終章」は、つぎの文章で終わっている。「行政の至る所で汚職が蔓延しているので政府予算が吸い上げられ、保健、教育、社会サービスの分野は資金が欠乏している。NGOや2国間援助がその隙間を埋めているが、党のエリートがその問題に取り組もうとしないのを見て援助供与国ががっかりしてしまう恐れがある(2008年、スウェーデンラオスに対する援助計画の終了を発表した)。もしも将来の経済発展の恩恵、特に期待の水力と鉱物からの歳入がより公平に配分されるべきであるとしたら、改革とそれをやりとげる指導体制が絶対的に必要である。しかし、ラオス人民革命党がその任務を成し遂げるために不可欠な政治的意思を持ちあわせているということを示す兆候はほとんどない」。


 著者の「ラオスへの愛着ゆえの厳しさ」をもって、こう書かざるをえないのは、本書を通読すればわかるだろう。だが、たとえ、国家としてのラオスが生き残ったとしても、そこに居住する「国民」が生き残れるとは限らない。そのことは、このグローバル化時代の格差拡大社会のなかで、どこの国民も同じことが言える状況になってきている。ラオスの将来は、他人事ではないことを認識することが必要だろう。また、有力一族の主導権争いが統合の弊害になっている国は、東南アジアなどどこにでもある。グローバル化時代の国民統合とはなにか、近代の国民統合とは違う次元で考える必要がありそうだ。

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