書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『鷗外の思い出』小金井喜美子(岩波文庫)

鷗外の思い出

→紀伊國屋書店で購入

「妹から見た鷗外」

 明治の文豪というと、夏目漱石森鷗外の名前が必ず上がってくる。確かに作品も多く、人口に膾炙している。特に漱石は今でも人気がある。それに比べて鷗外はどうだろう。『高瀬舟』や『舞姫』は今でも多くの人に読まれているのだろうか。私は授業で中学3年生に『山椒大夫高瀬舟』を読ませ、高校生に『舞姫阿部一族』を読ませることが多い。それぞれ明確なテーマがあるので、生徒たちは結構一所懸命に読んでいる(ようだ)。

 作品を通して知ることのできる作者の姿は限られている。評伝を読めば大体の形は分るのだが、もっと臨場感溢れた作者の生き様を知りたいと思う事がある。そんな時に、近親者の書いたものが役に立つ。小金井喜美子は鷗外の妹である。星新一の祖母と言った方が分りやすい人もいるだろう。彼女の『鷗外の思い出』は、作品には表れてこない鷗外の一面が見えて非常に面白い。

 代々津和野藩の御典医として仕えてきた森家も、明治維新と共に没落する。その家を再興するための期待を一身に集めて生まれてきたのが鷗外である。当然妹である喜美子は兄の事を「私などは幼い時から、お兄様は大切の方と、ただ敬ってばかりいるのでした」と思っていて、鷗外の最初の妻である登志子の妹が鷗外に甘えている姿を羨む。簡単に甘えられる存在ではないのだ。だが、鷗外が妹に細やかな愛情を見せる場面もある。

 鷗外は家族の期待通り優秀な軍医となるが、かの有名なエリス事件が起こる。『舞姫』はもちろん虚構であるが、多分に鷗外の経験が生かされていることは間違いない。エリスというドイツ人女性が存在し、日本に鷗外を頼ってやってきた事も事実だ。鷗外の弟篤次郎と喜美子の夫の小金井良精がエリスを説得して帰国させるが、喜美子は書く。「思えばエリスも気の毒な人でした。留学生たちが富豪だなどというのに欺かれて、単身はるばる尋ねて来て、得るところもなくて帰るのは、智慧が足りないといえばそれまでながら、哀れなことと思われます。」

 明治32年に鷗外は九州の小倉第12師団勤務となる。鷗外が左遷だと思っていた事が鷗外自身の手紙によって良く分る。「学問力量さまで目上なりともおもはぬ小池局長」と述べ「謫せられ居るを苦にせず屈せぬ」と書いている。左遷ではなく鷗外の勘違いだという研究もあるようだが、それよりも鷗外が左遷だと思っていた事が大切だろう。

 喜美子は鷗外にとって、文学を語る相手でもあったようだ。彼女の作った歌の添削もしている。喜美子は数々の翻訳も手がけている。鷗外が文学上偉大な人物であったために、その陰で余り目立たないが、中々の才能の持ち主である。彼女が鷗外の妹でなかったら、もっと注目されていたかもしれない。それにしてもやはり私たちの心を打つのは、鷗外が死んでから30年も経って詠まれている次のような歌だ。

 「ながらへてまたかかるもの書けるよと笑みます兄のおもかげ浮かぶ」

 「命ありて思ひだすは父と母わが背わが兄ことさらに兄」

 この作品には、そんな作者の想いがたくさん詰まっている。


→紀伊國屋書店で購入