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『破獄』吉村昭(新潮文庫)

破獄

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「脱獄の天才」

 毎年夏休みで日本に一時帰国するが、今回はJRを利用し故郷の北海道を一周した。網走での暑い一日、流氷館や網走刑務所博物館を訪れた。犯罪者が更生のために苦しんだ場所を、興味本位で訪れる事は気が引ける所もあったのだが、宿においてあったお菓子の袋に書かれていた「見るのは良いが、入っちゃいけねえ」に誘われ、ガイドさんの解説に引き込まれ、興味深い見学となった。

 中に、天才的な脱獄囚の話が出て来た。彼が破った独房も見られたし、天井の梁を逃げていく等身大の人形も展示されていた。最後に売店に寄った時、この脱獄囚をモデルにした、吉村昭の『破獄』と出会った。この囚人の背景も知りたかったし、脱獄の方法の詳細にも興味があったので読んでみたが、この作品から全く別の事を多く学んだ。

 脱獄の方法についての興味は、驚きと共に充分に満たされた。頑丈な手錠や小さな窓を腐食させるために、毎日みそ汁を少しずつ吹きかけていた事や、独房の壁の隅を使って数メートルの壁を登ったり、刑務所の外壁を斜めに走り上がって越えたり、彼の天才的なアイディアと人並みはずれた体力は、想像を絶するものだった。看守に向かって吐かれた「人間の作った房ですから、人間が破れぬはずはありませんよ。」という言葉には強い現実味がある。

 だが、この直接的な好奇心とは別に、二つの事を考えさせられた。一つは、人という存在の原点だ。主人公の佐久間は、虐待されると看守を脅す。あなたの当直の日に逃げますよ、と。そうなれば看守は責任を取らざるを得ない。それに怯えて佐久間に譲歩し、脱獄の条件を揃えてしまう者や、一層厳しい環境に佐久間をおき、そのせいで反発を買い結局脱獄されてしまう者がいる。

 しかし、府中刑務所長は違った。佐久間を「人」として遇しようとする。そこには「佐久間が看守たちの心理をするどく見抜き、やがて自分の思うままに引きつけてゆく神技とも思える能力には、感嘆すらおぼえた。」という心理が働いているだろう。札幌刑務所の戒護課長も「かれは、自分の内部に佐久間に対する畏敬に似た感情がきざしていることに気づき、狼狽した。」とある。結局人を力で抑えつけることはできない。力に頼った者は、力に屈することになる。佐久間は府中刑務所からは脱獄しない。

 もう一つ興味深かったのは、第二次世界大戦前後の刑務所行政であり、北海道における戦争被害である。自分の故郷でありながら、北海道の被害について私は殆ど何も知らなかった。根室が爆撃によって市街地の70%が焼失し、釧路も大被害を受け、室蘭、函館等もかなりの被害と死者が出ている。道路建設やニシン漁に囚人たちを使ったことや、食糧事情が厳しい中でも、暴動を防ぐために囚人たちには必要な食糧をきちんと与えていたことなども、知る事ができた。

 資料を緻密に読み込んで書く吉村だからこその面白さが、至る所で見られる。天才的な脱獄囚の人生を追いながらも、吉村が描きたかったのは、歴史に翻弄される人々の姿であり、それを通して浮き上がって来る、人と歴史の新たな関係への展望であるかもしれない。


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