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『発達障害 ヘンな子と言われ続けて――いじめられてきた私のサバイバルな日々――』高橋今日子(明石書店)

発達障害 ヘンな子と言われ続けて――いじめられてきた私のサバイバルな日々――

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発達障害当事者の語り手になるということ」

21世紀に入ったころから「発達障害」という言葉が人口に膾炙するようになってきています。教育を専門とする人や実際に経験した人などを除けば、内容的にはまだなじみの薄い言葉かもしれませんが、これは広汎性発達障害自閉症アスペルガー症候群、等)、学習障害(LD: Learning Disorders, or Learning Disabilities)、注意欠陥多動性障害(AD/HD: Attention-Dificit/Hyperactivity Disorder)を含む総称概念です。これらの障害ないし病態の名前も、自閉症などを除けば、それほど古くからあったものではなく、総じて20世紀後半、とりわけ1980年代ごろから提出され目立つようになってきたものです。その結果、従来の障害区分・枠組みは見直しをせまられ、学校教育における適切な支援が求められるようになってきている現状があります。


このような変化は、ひとつのいわば副産物を産み出しました。幼いころから青少年期にかけて「非常に変わっている」「非常に劣っている」と思われ言われながら過ごしてきた人が、成人になってから「自分は実は発達障害なのではないか」と思う、あるいは診断を受ける、そのようなケースが現れてきたのです。彼・彼女たちは、少しずつ当事者としての声を挙げるようになってきており、未だ目立たないながらも支援的な活動を開始する人も増えてきています。

この本の著者である高橋さんも、そうした一人です。彼女は、小学校低学年のころから、能力の極度な偏りを感じ始めます。数字の8が一筆で書けない、簡単な暗算ができない(これは現在に至ってもできないそうです)、体育ではチームの足を引っ張り、音楽もからきしダメ、一方で国語はまあまあ、といった具合です。まもなく彼女はクラスの中で目立つ存在となり、いじめの対象になっていきます。家族の理解も乏しく、母親には叱咤されるばかり、父親には口よりも手を先に上げられ、自分は生きている価値がないのだと、彼女の自尊感情は粉砕されていきます。高等学校では幸いひどいいじめはおこらなかったものの、卒業して働きはじめると、他の人のペースにまったくついていくことができず、上司や同僚に罵倒され、結局職を辞め転々とすることになります。この本は、こうした苦難の過程が詳細に綴られる自伝の体裁を整えています。主人公である高橋さんには、美点としての「根性」が備わっているので、簡単にはへこたれないのですが、それでもその苦労のひどさは、読んでいて言葉を呑むほどです。

この本は、ひとつのとらえ方として、それ自体が高橋さんの受けた「診断」の産物だったといえます。彼女は、最初の就職の後しばらくして、偶然テレビのドキュメンタリー番組を見て、自分が学習障害ではないかと疑い、病院への受診を始め、25歳のとき初めて「発達障害」という診断を得ます。そのとき、彼女は「今まで私を馬鹿にしてきた人たちが許せなくなりました」と述べています(本書165ページ)。つまり、今まではどんなにひどい仕打ちを受けても「自分がバカだから当然だ」という気持ちがどこかにあったのに対して、「自分は発達障害だったのだ」という視点を手に入れることで、これまで受けた仕打ちを理不尽なものとして(自伝という形で堂々と)物語化することができた、ということです。

もちろんそれは簡単な道のりではなかっただろうと思います。なぜなら、診断の後彼女におこったのは、さきほど述べたような怒りだけではなく、無気力感や、診断名を得たところで「普通」になれるわけではないという「当てが外れた気分」、そしてどうすればわからない「不安」でもあったからです(本書165-166ページ)。したがって、そのような中でも主人公を支え、かつてズタズタにされた自己肯定感を多少なりとも取り戻すための助けとなったものはなんだったのか、注意を払ってみる必要があると思います。

高橋さんの場合、ひとつには、当事者としての社会的な活動が挙げられます。彼女は、発達障害への理解を広げたいという思いから、2010年、仲間とともに「シャイニング」という団体を立ち上げています(この団体は、発達障害者・児への直接的な支援そのものではなく、勉強会・講演会などを主旨とする団体だそうです)。この活動が、参加した当事者に喜ばれれると同時に、高橋さん自身が周囲の人々に支えられている実感を得る場となり、「私でもこんなよいことができるんだ」という自信と元気につながっている、と彼女は述べています(本書211ページ)。

もうひとつ、彼女が32歳のときに趣味として始めた合気道を挙げるべきかもしれません。ここでも、彼女は技の習得に他人の何倍もの時間がかかり、後から入ってきた人にも追い越されていきます。しかし、自分が発達障害だからと割り切って焦らず他の人と比べないようにしたところ、非常によいストレス解消になっていると述べられています(本書206ページ)。彼女が診断を受けるという経験を通して「診断名と特徴にあった生き方をしよう」と思うようになった変化が、端的に表れている点ではないかと思います。

ただ、高橋さんが就労に関してはいまだ模索状態である点にも、注意を払っておいた方がよいと思います。彼女は、紆余曲折の後、当時の仕事であった歯科技工士を自分に不向きであると判断して辞め、別の職種での一般就労を目指していると述べています。ここには、障害者雇用では経済的自立には不十分な収入しか得られないという彼女の判断が働いています。また、障害者職業センター相談員にも、適性にあった仕事であれば一般就労が可能と勧められたそうです(本書204ページ)。果たして、職種を変えることで一般就労で無理なく就労を続けていけるのか、もしそれが難しいとなれば障害者雇用での不足分を何らかの公的補助で補う道も検討されてもよいかもしれませんが、そもそも発達障害の場合そうした道は用意されているのか、このような問題は経験も研究も蓄積がまだ乏しいのではないかと思います。「一般/障害者」という区分の境界・狭間にあるような人たちに対して、日本社会のセーフティネットがどの程度実質的な対応をしていけるのかが試される重要なポイントといえるでしょう。その意味では、この本は、決してハッピーエンドの物語としてのみ読むべきではなく、発達障害に関する様々な希望と同時に社会的な問題・課題が詰まったものとして読むべきだろうと思います。

端的に言って、この社会には多様な人がいるということを改めて感じさせる一冊です。自伝ではありますが、周囲に発達障害者・児がいる人や支援者などに向けてポイントを簡潔にまとめているパートもあり、多くの人にとって参考になるだろうと思います。

*謝辞;独立行政法人福祉医療機構(WAM)社会福祉振興助成金 発達障害ピアサポートグループ支援事業 ピアサポーター研修(大阪)プログラム(2013年3月9日、大阪NPOプラザ)でお会いした皆様が、私がこの本に関心を持って読むきっかけを与えてくださいました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

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