『ほっとけよ。』田原牧(ユビキタスタジオ)
「異形である生を引き受けるということ。」
顔面の手術を受けることにした。30代から、右顔面にある血管腫が、年を経ることに膨張していた。44歳になった今は、右頬骨の上に小さなイボに成長している。このイボは血管の塊。傷をつけると出血する。そうならないために予防的に切除する必要がある。約20年ぶりに右顔面の血管腫を治療する。
生まれつきの異形として生活している。血管腫についての基本的な情報は身についている。だから動揺ることはない。この顔面に対して、治療的に介入する。めったにない機会だ。それにふさわしい書籍を書棚から選ぶ。
異形であり外見の修正手術を受けた当事者の手記がよい。
『ほっとけよ。』は、30代になってからトランスジェンダーとして生きることを決めた新聞記者による社会評論であり、彼自身の内面の記録である。
私は、この田原牧という著者が、男性として仕事をしたときに取材を受けたことがある。場所は名古屋。フリーライターをしながらミニコミ誌を発行していた20代の若造だった私は、すこし年長の彼と気が合い何度か飲んだ。名古屋の今池の場末の飲み屋だった。
彼は、新左翼系のセクトに関わったり、中東の危険地帯での取材経験が豊富だった。あの世代には珍しい政治的な人間だったようだ。ヤクザ関係の取材に強く、そういう取材をする人間は、新聞記者の世界では異端児扱いされるということを教えてもらったりした。
私が東京に出た1999年。彼が所属する新聞社から取材を受けた。女性記者に彼の戸籍名をクチにすると、彼女は、「彼ははすっかり変わってしまったのよ。知ってる?」と笑った。私は何を言っているのかわからなかった。後に、性同一性障害の取材をすることになると、その意味が分かった。彼は、髪を伸ばし、女性ホルモン投与をし、女性の服を着ていた。女性として生きることを選んでいたのだ。2000年頃は、セクシャルマイノリティのなかでももっとも少数派といえる「性同一性障害」の当事者たちが、性転換手術(いちぶの当事者は、本来の性別の肉体にするという意味で「性別再指定手術」または「性別適合手術」と言っていた)の合法化、そして当事者の権利主張のために声を上げていた。
取材によって「性同一性障害」という疾患概念がきわめて政治的な産物であることは分かった。そのような病気は、あるといえばある、ないといえばない。疾患概念としては曖昧だ。それは、障害者と健常者の中間的な存在であるユニークフェイスという存在とだぶった。
生まれ持った性別・肉体への違和感をもち苦しむ性同一性障害の当事者たち。私はそのオピニオンリーダーと出会い、語り、記事にした。
彼とは何度かすれちがった。性同一性障害にかんする重要な記者会見で、彼はするどい質問をしていた。彼がその場にいるというだけで,空気が変わった。当事者が当事者問題を取材する。その真剣さは会場にいた者たちに伝播する。
新聞記者という職業で、男性から女性へのトランスであるとカミングアウトするということ。これは危険なことである。新聞記者という職業集団はその外側からのイメージとは逆に、きわめて保守的なのだ。女性として勤務するだけでも、たいへんなハンディがある。新聞は長時間労働を尊ぶ社風だ。出産育児とのワークライフバランスがもっとも困難な職業の一つだろう。ましてやトランスである。
彼は、性同一性障害であるとカミングアウトすることを決めたとき、失職することを覚悟した。ある先輩が、性同一性障害であることは職務違反にはならないだろう、と彼を応援してくれた。新聞記者を続けていくことを決める。新聞記者という職業集団は表面的にはリベラルである。しかし、彼がトランスとしてカミングアウトし、その容貌、ファッションを女性に変えていくと、静かに友人たちは立ち去っていった。
カミングアウトする前と変わらず人としてつきあってくれたのは、右派論客として知られる西部邁のような一握りの知識人、そして取材対象者としてつきあいのあったアウトローたち(ヤクザ)であった。とくにアウトローは彼にやさしかった。世間の常識的規範から逸脱してしまう、性癖を持っているヤクザたちは、性同一性障害という逸脱を成した異形の存在となった彼の心情をくみ取った。
「性同一性障害」という疾患概念は政治的である、と私は書いた。しかし、当事者たちの苦悩は政治的なものではなく本物であった。だから医療政治運動としての「性同一性障害の疾患治療の合法化」への道のりを多くの人が応援した。道なき道を歩む者たちは歴史をつくる者たちである。言葉なき者たちはスローガンにすがり、スローガンを自己の思想と同一視しながら前進する。それは社会運動というものの本質であり、ジレンマである。
彼は、言葉で生きる者としてあった。スローガンの空虚さを熟知した者としてあった。
その彼が、本書で紡ぎ出している、中東のイスラム原理主義、ブッシュ政権に巣くったネオコンの異端の革命思想を分析する筆致はすばらしい。それぞれのスローガンの空虚さを見抜いたうえでの論考であり、彼の個人史との連結も成功している。絶望を知った人間の渇いた視点。水のない砂漠を数日彷徨した人間の、乾ききった唇からのしゃがれた声が聞こえるのだ。
ふと思い出す。永田町の国会図書館で調べごとを終えて、道路に出たとき、彼と偶然すれ違ったときのことを。異形である君が、異形である私を見過ごすはずはない。声をかけようにも、その渇きききった威容に、立ちすくみ、すれ違ったことを。
その躊躇があったために、私は本書を手に取り、その心象風景を読み取ることができた。
性同一性障害という異形の自己を引き受けるに当たって、彼が本書巻末で引いたのは、小松左京の小説「日本アパッチ族」だった。日本社会から逸脱するしかなかった人間が、鉄を食らい、自らの肉体を鋼鉄化して、モンスターとなっていくというサイエンスフィクション。鉄人間になった主人公は、自分の過去をこう回想する。
「おれは、自分のおかれた状態を、不幸とさえ考えることができなかった。おれは死にかけとったんや・・・・。人間として死ぬか、アパッチとして生きるかの選択に立たされとったや」
「あのまま人間でいるよりはアパッチになるほうがましやとさとったんや。アパッチには、とにかく、力と、社会のなかの〈怪物〉としての自由があるさかいな」
いま不況である。うつ病の時代である。人間として生きることが困難な時代であると、説明することはできるだろう。
力がほしくはないか。それと引き替えに、過去の自分のすべてを崩壊させることになったとしても、ほしい何かがあるのか。彼は書く。
「でもあなたは知らないだろう。その崩壊がどれほど甘美だったかということを」
崩壊することの甘美さ。私にはわからない強い感性だ。異形であることを堅持して、新聞社という保守的な組織でサラリーマンをするということ。これも想像が難しい。
私が本書を読んで書けることといえば、私にとっては、前述の「アパッチ」的なる記号がユニークフェイスだった。モンスターとみなされる存在にしっかりと光を当てること。世間的には崩壊した容貌をもった人間には、その人間なりのサバイバルと幸福の道がある、と指し示すことくらいだろうか。
異形であることは孤独への道である。
これには異論はない。異形の思想と、異形の外見は、人々を恐れさせ遠ざける。差別ではあるが、そのような反応をする人間を憐れとみなす感性がいまの私には育っている。
異形の孤独者というけもの道を降りて、普通の生活という踏み固められた道を歩み始めている。田原の言葉は甘美ではあるが、いまとなっては遠くの道を歩く者の言葉として読んだ。
異形であることを引き受ける。過酷な生は、思想を生んでしまう。