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『人類進化の700万年』 三井誠 (講談社現代新書)

人類進化の700万年

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 コンパクトにまとめれた人類進化の概説書である。著者は読売新聞の科学記者だけに目配りがよく、しかも最新の情報を集めている。新発見があいついでいる分野だけに、知識が古くなっていたと教えられる箇所がすくなくなかった。本書の発行は2005年9月5日だが、なんとチンパンジーの化石がはじめて発見されたという同年7月のニュースまで盛りこまれている。

 ちょっと前に「イーストサイド・ストーリー」という説が流行した。大地溝帯ができて、その東側では森が消えたために、チンパンジーと変わらなかった初期人類はサバンナに放りだされ、直立二足歩行を余儀なくされたという仮説である。今では否定されたと聞いていたが、本書ではどこが間違っていたのか、そして現在はどう考えられているかが手際よくまとめられている。

 ジャワ原人の末裔がフローレス島で小型化し、1万2千年前の大噴火まで生きていたという話があるが、本書によると頭骨のCTスキャンの結果、側頭葉と前頭葉が発達していたことがわかり、言語を話していた可能性があるらしい。また、ジャワ原人の末裔ではなく、ジャワ原人との共通祖先がいて、そこから分かれたという説も出てきているそうだ。

 人類最古の楽器は鳥の中空の骨で作られた笛とされてきたが、2004年にドイツの炭鉱でもっと古い象牙の笛が見つかったという。象牙を二つに割り、中心の穴をくりぬいてから、また接合するという手のこんだ方法でできているというから、人類史を書き換えるような大発見である。

 進化の研究に遺伝子が不可欠となっているが、本書の遺伝子の解説は特にすぐれている。哺乳類が一度失った色覚の遺伝子をサルがどうとりもどしたか、また言語を可能にしたとみられるFOXP2遺伝子がどのように分岐したかという具体例を題材に、すこぶる平明に説明している。いろいろな本を読んできたが、ここまでわかりやすく書かれた本は他に知らない。

 進化の流れを見ていくと、不要になった遺伝子はすぐに失われてしまうことがわかる。恐龍全盛時代、哺乳類は夜行性の動物として細々と暮らしていたが、夜は十分光がないので、四原色(赤、緑、青と紫外線)を感知する遺伝子のうち、緑と青が失われてしまい、色覚が退化した。

 ところがサルの共通祖先が森の中に住み、果実を主食にするようになると、紫外線を感知する遺伝子が青を感知するようになり、さらに赤を感知する遺伝子に突然変異が起きて、緑を感知する遺伝子になった。サルは色覚をとりもどしたのである。色覚に関係する突然変異が定着したのは、森で果実を探すには色がわかった方が好都合だからにほかならない。

 しかし、果実を主食にするようになると、ビタミンCを体内で合成する遺伝子が失われてしまった。果実はビタミンCが豊富なので、わざわざ体内で合成する必要がなかったからである。

 意外だったのは、チンパンジーとの共通祖先から現生人類に進化する過程で新しく生じた遺伝子はFOXP2の二つの突然変異くらいだという説である。人類化の鍵といえる脳の巨大化はどうかというと、新しい遺伝子ではなく、顎の筋肉の遺伝子の退化によってもたらされたのだという。遺伝子は一筋縄ではいかない。

 現時点で本書は人類進化の最良の概説書だと思うが、しかし数年後はどうかはわからない。それくらい進歩の早い世界なのである。

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