『ヒトの心はどう進化したのか』 鈴木光太郎 (ちくま新書)
ヒトはチンパンジーとの共通祖先から600万年前にわかれ、独自の道を歩みはじめたが、1万年前に農耕牧畜生活をはじめるまでは狩猟採集生活をつづけていた。600万年を24時間に見立てると、農耕牧畜時代は最後の2分半にすぎず、それまでの23時間57分30秒は狩猟採集で食べていた。ヒトの身体は脳も含めて狩猟採集生活に適応するように進化してきたのである。
(本書は採集時代と狩猟採集時代をわけていないが、山極寿一『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』によると武器を用いた狩猟がはじまったのは40万年前にすぎず、それまでの560万年間はもっぱら死肉あさりを含む採集をつづけていたと推定される。ハート&サスマン『ヒトは食べられて進化した』で指摘されているように、ヒトはずっと肉食獣の獲物にされる側だったのであり、狩猟する側にまわったのはごく最近である。)
現代人も持久走のような有酸素運動を長時間つづけていると、ランナーズハイと呼ばれる特別な快感を感じ、大きな達成感を得るが、走ることが快感なのは脳内にそうした報酬系が組みこまれているからである。ジョギングやマラソンにはまるのはサバンナで走りまわっていた時代の名残なのだ。
本書は副題に「狩猟採集生活が生んだもの」とあるように、ヒトの心の進化を狩猟採集生活から見ようという試みである。
著者の鈴木光太郎氏は実験心理学が専門で、人類学者でも、人類学者を取材したジャーナリストでもないが、人類学関係の本の翻訳を多数手がけており、その経験をもとに本書を執筆したという。
著者が翻訳した本のうち入手可能ものとしてはベリング『ヒトはなぜ神を信じるのか 信仰する本能』、ボイヤー『神はなぜいるのか? 宗教の進化的起源』、テイラー『われらはチンパンジ-にあらず ヒト遺伝子の探求』、ウィンストン『人間の本能 心にひそむ進化の過去』、カートライト『進化心理学入門』などがある。これだけの本を手がけていれば専門家に準じるといっても差し支えないかもしれない。
本書は三部にわかれる。
第一部「ヒトをヒトたらしめているもの」は全体の半分を占めるが、ヒトの進化史のおさらいである。第二部「狩猟採集生活が生んだもの」は1/4ほどの分量で、本書の中心をなす。第三部「ヒトの間で生きる」は「心の理論」の解説である。
はっきりいって第一部と第三部はどこかで読んだ話ばかりである。「火」をあらわす言葉が日本語の「ヒ」、朝鮮語の「プル」、中国語の「フォ」、英語の「ファイアー」、ドイツ語の「フォイアー」、フランス語の「フー」、スペイン語の「フェゴ」のようにf音、p音ではじまる傾向があるのは、息を吹きかけて火を起こしたことと関係があるのではないかというような著者独自の見解もあるが、自分で研究したり取材して書いたのではない弱みが出てしまった。もっともこの分野の本をはじめて読む人には軽く読めていいかもしれない。
さて第二部であるが、著者は狩猟採集生活がヒトに残した影響を家畜と遊びという二つのテーマで論じている。
まず家畜であるが、家畜化した年代を推定すると犬が飛び抜けて古く1万5千年前、他の家畜はもっとも古い山羊、羊、牛、豚でも9千年から8千年前の農耕牧畜生活の移行期、それ以外は農耕牧畜生活が確立した後になる。
狩猟採集時代からヒトとつきあっているのは犬だけなのである。世界中で犬のいない文化や社会はほとんどないということだが、ヒトと犬の関係はそれだけ深いのだ。
犬の原種は狼である。1万5千年前の遺跡からヒトといっしょに埋葬された犬の骨が見つかっているから、おそらくそれ以前から狼の家畜化がはじまっていたのだろう。
長年の選別の結果、犬は感情表現が豊かに進化し、犬の方でもヒトの感情を読みとれるようになった。飼主のあくびが犬に伝染することが確認されているが、飼われている動物であくびが伝染することがわかっているのは犬とチンパンジーだけだそうである。
犬はヒトの言葉も理解し、最大で250語を聞きわける。習得単語の数では並のチンパンジーをはるかに凌駕している。バウリンガルのような玩具が可能なのは犬だからこそなのだ。
次に遊びであるが、遊びをするのはヒトだけではない。猫科の肉食獣など、狩猟をする動物は子供時代に遊びを通じて狩りをおぼえるのだ。遊びでは本気を出さず手加減するのもヒトと共通である(本気でとっくみあったら仲間を殺してしまう)。
ではヒト特有の遊びとは何だろうか?
著者はごっこ遊びとボール投げと性差だという。
ごっこ遊びは「心の理論」で可能になるが、ボール投げができるのもヒトだけだ。ものを投げるだけなら類人猿にもできるが、ヒトのような細かなコントロールは不可能である。もちろんこれは石を投げて獲物をしとめるという狩猟生活の中ではぐくまれてきた能力だ。投げる、命中させることが快感になり、さまざまなスポーツが誕生した。
最後に性差であるが、ヒトのように遊びに性差がある動物は他にいない。おそらく男が狩猟をし、女が採集をするという狩猟採集時代の分業から生まれたものだろう。
性差は身体能力だけでなく、認知能力に見られる。地理的認知では男は距離や方向を手がかりとするのに対し、女はランドマークに頼る傾向がある。男が狩猟で遠出をするのに対し、女は近場で採集をするという分業から差が生じたものと考えられる。