『心の先史時代』 スティーヴン・ミズン (青土社)
考古学の立場から人類の心の進化に切りこんだ本である。
考古学というと物証絶対主義の学問という印象があるが、1990年代から出土物を通じて先史時代人の知的能力や世界観、認知枠の問題をあつかう認知考古学が勃興した。原著は1996年に出版され、認知考古学の存在を一般読書界に知らせた。本書はこの分野の基本図書と目されているようである。
原始の心性は心理学の分野でも研究されており、進化人類学と呼ばれている。進化人類学は人間の心のメカニズムは進化の過程で獲得されたという仮定に基づき、心理学の立場から初期人類から現生人類にいたる心の発展を再構成する。アプローチの仕方は異なるものの、認知心理学と研究対象がかなり重なり、本書も進化心理学の成果を積極的にとりこんでいる。
著者のミズンは学部の学生時代に、30万年前には現代人と同じ心が生まれていたとするトマス・ウィンの論文に触発され、先史時代人の心の問題に関心をもつようになったという。ウィンが根拠としたのは対称形に作られた
ピアジェは心は学習を通じて自らを組みかえながら一連の発達段階を通過していくと説いたが、現在ではピアジェの発達段階説は疑問とされている。ピアジェに代わって有力視されているのがモジュール説である。モジュール説では、人の能力は言語能力や音楽能力、共感能力など、いくつかのモジュールから構成されており、各モジュールは別個に発達すると考えられている。
進化心理学もモジュール説をとっている。狩猟採集時代の人類が直面する問題はいくつかの類型にわけられるが、類型ごとにまったく違った対処法を必要としており、単一の学習能力で対処しようとしたら命を落としかねない。十徳ナイフのように各類型に特化したモジュールを発達させた方が適応的だというわけである。
ミズンは進化心理学を踏まえながら、人類の心の発達過程を建て増しされていく聖堂になぞらえているが、わたしは本書を読みながら、むしろパソコンの歴史に喩えた方がわかりやすいのではないかと思いついた。本書の記述から離れるが、少々おつきあい願いたい。
BASIC段階
最初期のパソコンは電源を入れるとBASICというコンピュータ言語が起動した。BASICは汎用言語で、文字処理でも、画像処理でも、音響処理でも、何でもできることになっていたが、何かをやるにはいちいちプログラムしなければならなかったし、労力の割りには大したことはできなかった。
BASIC段階はチンパンジーや猿人の段階に相当する。チンパンジーは木の実の中味や骨髄を掻きだすには短い棒、蟻や蜂蜜を食するには長い棒というように、道具選択と食物採取という異なる作業をなめらかに連繋させることができる。これは二つの作業を単一の過程で処理しているからだと推定できる。BASICのような機能は低いが、汎用のプログラムが動いていると考えられる。
MS DOS段階
MS DOS段階ではワープロや表計算、お絵かきソフトなど多種多様なソフトが利用できるようになったが、個々のソフトは連繋しておらず、融通がきかなかった。表計算ソフトで作った表やお絵かきソフトで作った画像をそのままワープロに取りこむのは不可能だった。
MS DOS段階は原人や旧人の段階に相当する。ネアンデルタール人は石や木を素材に高度な道具を作ったが、動物の骨から道具を作ることはなかった。道具に関する技術モジュールと、動物に関する博物モジュールが連繋していなかったのである。
Windows段階
Windows段階になると、各ソフトをクリップボードやOLEによって連繋させることが可能になった。原則として、データはソフトからソフトへそのままの形で貼りつけることができる。
Windows段階は現生人類の段階に相当する。ミズンはクリップボードにあたる心的機能を「認知的流動性」と呼んでいる。
自画自賛になるが、人類の心の発達をパソコンの歴史になぞらえるのは悪くない喩えだと思っている。
ただ、この喩えでは「認知的流動性」をクリップボードに矮小化してしまう恐れがある。「認知的流動性」は単なるデータの一時置き場ではなく、比喩と類推を可能にし、人類の思考を自在に羽ばたかせる新しい時限だからだ。芸術も、科学も、文明も、すべては「認知的流動性」の産物なのだ。人類は「認知的流動性」を獲得するまでに何百万年もかかったのである。