書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『1冊でわかる文学理論』 ジョナサン・カラー (岩波書店)

1冊でわかる文学理論

→紀伊國屋書店で購入

 入門書として有名なオックスフォード大学出版局の Very Short Introductions岩波書店から「1冊でわかる」シリーズとして邦訳されている。

 フランス産の文庫クセジュは良くも悪くも百科全書の伝統に棹さしており、とっつきにくい面があるが、こちらは英国産だけに読み物として気軽に読める。もちろん、気軽といっても、内容は本格的である。訳文は読みやすいものもあれば読みにくいものもあるが、わたしが読んだ範囲では文庫クセジュの日本版よりは概して読みやすいという印象を受けた。訳者もしくは斯界の第一人者による解説と文献案内がつくが、どれも中味が濃い。

 好企画だと思うが、「1冊でわかる」という物欲しげな題名だけはいただけない。原著は Very Short Introduction だから、あくまで基礎づくりであり、その先があるのだ。「1冊でわかる」ではなく、「超短入門」とでも訳すべきだったろう。

 さて、『文学理論』である。本書の評判がいいのは知っていたが、「1冊でわかる」という惹句に抵抗があったのと、同じ著者の『ロラン・バルト』(青弓社)がつまらなかったので二の足を踏んでいた。今回、必要に迫られて読んでみたが、評判通り、いい本だった。

 文学理論といえば、なんといってもフランスである。第二次大戦後のフランス批評の隆盛は目覚ましいものがあって、世界の批評はフランスを中心に回っていた。実存主義、ヌーヴェル・クリティック、構造主義ポスト構造主義というパリの流行の変遷を世界は追いかけた。ブランショ、バルト、リシャール、クリステヴァといった綺羅星のような大批評家が陸続とあらわれ、サルトルバシュラールフーコードゥルーズのような哲学者もすぐれた批評を書いた。ロシア・フォルマリズムの再評価やバフチンの発見もフランス発だったし、アメリカのアカデミズムをかきまわしたディコンストラクションや日本のニューアカの流行もフランスの影響なしにはありえなかった。20世紀後半のフランス文学は批評の時代だった。それはフランス文学の歴史の中でも17世紀後半の古典派演劇や19世紀後半の象徴詩に匹敵する特別な期間だったといえる。

 逆説的に聞こえるかもしれないが、本書の価値はフランス批評の影響から距離をとっていることにある。

 ジョナサン・カラーがフランス批評の影響を受けていないということではない。『ロラン・バルト』や『ディコンストラクション』、『ソシュール』という著書があることからわかるように、彼もまたフランス批評にどっぷり漬かっていたはずである。

 本書の第一章はまことに秀逸で、フランスで生まれた理論の要諦を簡潔かつ平明にまとめ、戯画化までほどこしていて、苦笑しながら読んだが、こういう文章はフランス批評に高い月謝を払った人でないと書けない。第一章を読むためだけでも、本書を買う価値はある。

 何が文学で、何が文学でないかを論じた第二章はやや停滞するが、文学とカルチュラル・スタディーズの関係を論じた第三章からまたおもしろくなってくる。

 カルチュラル・スタディーズは一般にはナチスを逃れて英国に移植されたドイツのフランクフルト学派が源流と考えられているが、ジョナサン・カラーはフランス批評と英国マルクス主義の二つを源泉とし、前者を重視する。ロラン・バルトの『神話作用』をカルチュラル・スタディーズの古典と位置づけ、カルチュラル・スタディーズは「文学分析のテクニックを他の文化的素材に応用したものとして育ってきた」と定義している。主流の見方だとは思わないが、一面の真理ではあるだろう。

 第四章以降はカルチュラル・スタディーズという俗な場で鍛えなおした理論を文学に逆輸入する試みにあてられる。フランス発の文学理論をそのままとりあげない点が本書の味噌のようである。カラーの見解にすべて賛同できるわけではないが刺激的であり啓発された。

 サルトルの名前がまったく出てこないが、本書の後半では文学が社会においてもつ実践的な意味が議論されており、サルトルの『文学とは何か』(1947)の問題設定と重なっている。カラーが意識しているかどうかはわからないが、1997年に書かれた本書は『文学とは何か』に対する半世紀遅れの回答といえるのではないか。

→紀伊國屋書店で購入