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『1冊でわかるカフカ』 リッチー・ロバートソン (岩波書店)

1冊でわかるカフカ

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 2004年に出版された最新のカフカ入門の邦訳である。

 「最新」と断ったのには理由がある。カフカは80年以上前に亡くなっているが、1982年から旧来のブロート版全集とは相当異なる本文を提供する批判版(白水社から刊行中の『カフカ小説全集』はこちらにもとづく)、1997年年からは手稿の写真版を提供するとともに「帳面丸写し主義」に徹した史的批判版という二つの新たな全集の刊行がはじまっている。伝記研究や当時のプラハの状況も解明が進んでいて、従来のカフカ神話の多くが訂正されている。最初の長編小説の題名が『アメリカ』から『失踪者』に変わったことでもわかるように、カフカ像は今なお揺れうごいているのである。

 わたしは一昔前の知識しかもっていなかったので、本書は驚きの連続だった。学生時代にカフカを読んだだけという人はぜひ本書を読むべきだ。

 カフカというと無名のまま死んだ孤立した作家というイメージがある。プラハに住むドイツ語を母語とするユダヤ人というだけでも孤立感があるが、さらにチェコ語の影響を受けた変則的なドイツ語(チェコ・ドイツ語)で書く、ベルリン文壇から無視された地方作家というわけだ。

 ところが本書の第一章によるとカフカは生前から国際的に注目されており、決して無名作家ではなかった。カフカチェコ語が話せただけではなく、読み書きもできてチェコの文化に親しんでいた。カフカの活躍した前後、プラハ出身のドイツ語作家はリルケを筆頭にベルリンで活躍していたし、カフカの書くドイツ語は完璧な古典ドイツ語だったという。

 カフカの人物について語った第一章につづいて第二章では作品にはいっていくが、ロバートソンは作中に見られる語呂合わせや登場人物の名前の語源調べを「なるほどと思わせる場合であっても、これらのほのめかしは、カフカのテクストを理解するのにほとんど役に立たない」と一蹴している。カフカは個人的にほのめかしを楽しんだかもしれないが、読者はそんなことは理解する必要がないというわけだ。

 第三章は「身体」、第四章は「制度」について入門書の域を越えた立ち入った考察がくわえられているが、特に興味深いのはカフカと宗教の関係を掘りさげた第五章である。カフカが民衆的なユダヤ教から多くを吸収していたことはグレーツィンガーの『カフカとカバラ』に詳しいが、リチャードソンによればカフカは晩年になるにしたがい、ユダヤ教のみならず宗教全般にのめりこんでいった。カフカキルケゴールに対する関心はブロートのつとに指摘するところだが、リチャードソンはカフカキルケゴールに注目したのはブロートのいうような深遠な神学的な理由からではなく、自分の同類として支えにしたかったからだとしている。

 1934年の時点で、『審判』の宗教的解釈をめぐって、ベンヤミンショーレムの間で論争があったというのも興味深い。ショーレムカフカが描いたのは「神の啓示の光に包まれる世界」だが、そのメッセージが理解できないために成就されない啓示だとしているという。

 本篇も面白いが、「到着の謎」と題された訳者の明星聖子氏による解説はもっと面白い。最初に触れたように、カフカのテキストは旧来のブロート版、1985年に刊行のはじまった批判版、1997年に刊行のはじまった写真版と三つがあるが、明星氏は『城』の冒頭部分を例にその三者がどう違うかを紹介している。

 その違いは恐るべきもので、啞然呆然、眩暈がしてきた。異文がどうのこうのというレベルではなく、そもそも『城』という長編小説が存在したのかどうかさえ不確からしいのだ。カフカ特有の本文問題について、明星氏は『新しいカフカ―「編集」が変えるテクスト』という本を上梓しているということである。読んでみたくもあるが、読むのが怖くもある。

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