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『天体の回転について』 コペルニクス (岩波文庫)

天体の回転について

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 地動説=太陽中心説をとなえ、科学革命の端緒となったコペルニクスの主著が岩波文庫のリクエスト再刊で書店にまたならぶようになった。みすず書房からは高橋憲一訳が出ているが、こちらは絶版である。紙の本で手にはいるのは今回が最後かもしれない。欲しい人は買っておいた方がいい。

 コペルニクス自身のつけた表題は『回転論』だったが、校正にあたったオジアンダーか版元が『天球回転論』に変えてしまった。コペルニクスは惑星は天球という透明な殻に固定されていると考えていたから、『天球回転論』でも間違ってはいない。岩波文庫の矢島祐利訳は『天体の回転について』になっているが、天体の回転にするのは無理である。

 矢島訳と高橋訳では底本が違う。矢島訳はコペルニクスの自筆原稿をもとにしたコワレ版によっているが、高橋訳は初版本をもとにした批判版によっている。初版は校正者のオジアンダーが太陽中心説を計算の便宜のための「仮説」と決めつけた序文をつけくわえているので評判が悪く、自筆原稿こそがコペルニクスの真意をあらわすと考えられてきた。だが、近年の研究によって自筆原稿は下書きであり、初版の異同と初版に付された正誤表はコペルニクス自身によるものであることがわかり、初版が優先されるようになった。

 系統の異なる底本にもとづく複数の邦訳があるのはありがたいが、どちらも全訳ではなく、六巻のうち第一巻のみの部分訳である(高橋訳は初版の30年前に書かれ、筆写本として流布した「コメンタリオルス」を併録)。

 第二巻以降には何が書かれているのだろうか。付録の内容目次によると第二巻は赤道・黄道・子午線の関係、第三巻は太陽の運動、第四巻は月の運動、第五巻は太陽と月以外の惑星の運動、第六巻は各惑星の緯度の計算について解説しているという。われわれは太陽中心説=思想革命ととらえがちだが、実際の本は惑星の位置を計算するための記述に大部分のページがさかれ、実際、ラインホルトのように本書にもとづく天文表も作られている。

 矢島訳では割愛されているが、扉の題辞がおもしろいので高橋訳から引用しよう。

 好学なる読者よ、新たに生まれ、刊行されたばかりの本書において、古今の観測によって改良され、斬新かつ驚嘆すべき諸仮説によって用意された恒星運動ならびに惑星運動が手に入る。加えて、きわめて便利な天文表も手に入り、それによって、いかなる時における運動も全く容易に計算できるようになる。だから、買って、読んで、お楽しみあれ。

 題辞の筆者はまたしてもオジアンダーだが、太陽中心説という「驚嘆すべき仮説」よりも星の位置を計算するための数表の方を売りにしていたのである。

 天文表に需要があったのは占星術のためだ。ギンガリッチの『誰も読まなかったコペルニクス』によると、自由七科に天文学が含まれていたのはなにをするにも占星術が必要だったからである。パトロンができたらホロスコープを作ってあげるくらいは大学で学んだ者のたしなみだったようだ。

 コペルニクスは天文家としてより医家として名声が高かったが、当時の医術は特に占星術と密接に結びついていた。臓器は対応する惑星の影響を受けていると考えられていたので、瀉血のタイミングを星の位置で決めるなど占星術の知識が不可欠だった。

 コペルニクスは若い頃ギリシア語の書簡集のラテン語訳を上梓したほどの人文主義者だったから、古代ギリシャの数学や天文学に通じていた。本書の第五章でも地球の自転や公転という考え方はピタゴラス派に先蹤があったことを指摘している。第十章は宇宙論の核心部分で、一番外側に恒星球、その内側に土星球、木星球、火星球……と同心球が入れ子になり、いよいよ中心に太陽が位置すると書く。

 そして眞中に太陽が靜止している。この美しい殿堂のなかでこの光り輝くものを四方が照らせる場所以外の何處に置くことができようか。或る人々がこれを宇宙の瞳と呼び、他の人々が宇宙の心と言い、更に他の人々が宇宙の支配者と呼んでいるのは決して不適當ではない。トリスメギトスは見える神と呼んだ。ソフォクレスエレクトラはすべてを見るものと呼んだ。太陽は王樣の椅子に坐ってとりまく天體の家來を支配しているようなものである。

 いかにも人文主義的な文飾だが、無味乾燥な理詰めの文章の中に唐突に出てくるので異様な印象を受ける。コペルニクスは古代の太陽崇拝を復活させたという見方があるが、あるいはあたっているのかもしれない。

 コペルニクスは宇宙は天球という透明な殻が入れ子になってできているという天球説を信じていた。回転するのは天体ではなく天体を載せた天球なのである(矢島訳の表題は『天体の回転について』となっているが『天球の回転について』とすべき)。後のティコ・ブラーエは太陽と月が地球の周りをめぐり、他の惑星は太陽の周りをめぐっているという折衷説を提唱した。コペルニクスもその可能性を検討しているが、太陽の天球と火星の天球がぶつかるとして斥けている。

 コペルニクスルネサンス人であって、その宇宙論は近代の幕を開いたにしても近代的ではなかったというべきだろう。

 本書には本文とほぼ同じ分量の解説が付されている。解説はコペルニクス小伝とコペルニクス以前の宇宙論コペルニクスの影響にわかれるが、小伝に特色がある。最近の本ではふれられていないコペルニクス=ドイツ人説を紹介しているのである。

 コペルニクスの生まれたトルニはドイツ人の作ったハンザ同盟の都市であり、家系的には父方・母方ともドイツ系で日常的に話していたのもドイツ語だった。遊学時代はドイツ人の学生組合に属していた。しかし壮年時代はポーランド王の保護下にある教会領の行政官としてドイツ騎士団の侵略に対抗していた。国籍概念・民族概念が近代以降と異なるので難しいところだが、ドイツ系ポーランド人あたりが実情に近い。ドイツでは今でもドイツ人と見なされているそうである。

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