『一七世紀科学革命』 ヘンリー,ジョン (みすず書房)
マクミラン社の「ヨーロッパ史入門」というシリーズの一冊である(邦訳はみすず書房から)。235ページあるが、本文150ページほどのコンパクトな本で80ページ以上が用語辞典、索引、300冊近い参考文献、訳者解説、日本語の参考文献にあてられている。
参考文献は著者名と発表年であらわすことが多いが、本書は通し番号であらわし、本文中に埋めこんであるので参照しやすい。すべての参考文献に短評をつけているのはありがたい。
入門書とあなどって読みはじめたが、見通しのよい明解な記述に舌を巻いた。
科学革命の解説はまず自然の数学化をどう説明するかがポイントになるが、本書は科学革命以前の天文学はプラトンの流をくむ数学的部分と、アリストテレスの流れをくむ自然学的部分からなる「混合学」だったと大づかみに把握した上で、プトレマイオスの周天円やエカントは実在ではなく、計算のための単なる補助線とみなされていたとつづける。
プトレマイオスは観測される惑星運動を説明するために数学的なモデルを考案したが、その結果提案された仮設的構築物や作業仮説は、アリストテレス主義的自然学とは整合性がないと考えられた。人々はプトレマイオスの体系をまるごと拒否してもよかっただろうが、実際にはうまくいく天文理論はプトレマイオスのものしかなかった。有用なプトレマイオス天文学を使いつつも、同時に天界の本当の姿はアリストテレスの宇宙論に描かれているものに違いないと考えることで、決着をはかるしかなかった。
アリストテレス自然学とプトレマイオスの天動説は一体のものと見なすのが一般的なので、両者が調停不能な対立関係にあると言われてもぴんと来ないが、よくよく考えればアリストテレスの質的な説明とプトレマイオスの量的な説明は水と油である。
オジアンダーは『天球回天論』出版の実務をまかされると地動説(太陽中心説)=計算の道具説をうたった序文を勝手につけくわえ、コペルニクスの支持者から猛反発を受けたが、計算のための道具という点ではプトレマイオス説も同じだったのだ。
著者はさらに自然学と数学の対立は社会的身分にもおよんでいたと指摘する。自然学を研究するのが大学を出た知識人なのに対し、計算士や建築家、技師はただの数学職人と見なされていた。数学職人の社会的地位は科学革命によって床屋外科医や画家などとともに著しく向上した。
数学的な自然把握が権威を持ちはじめると一つ問題が持ちあがった。アリストテレス自然学は自明の経験的命題から出発するのに対し、数学的命題は素朴な日常的知識に反するものが多い。たとえばマイナスの数とマイナスの数をかけるとプラスの数になるとはどういうことなのか。数学は人工的な構築物であり、限られた条件下でしか成りたたないのに、なぜ自然に適用できるのだろうか。
数学的認識の確実性の問題にとりくんだのはカントであり哲学の問題として議論される傾向があるが、著者は哲学論議には向かわず、数学的認識を正当化したのは実験だと指摘する。数学的モデルと一致する実験結果がえられたら、自然はその数学的構造をとっていると見なすわけである。実際、数学化された自然科学の権威を確立したのは『純粋理性批判』よりも実験だったろう。
マルクス主義歴史観が全盛だった頃は実験的手法は職人によって生みだされたとされていたが、「職人」と見なされていた実験の担い手は錬金術師だったり自然魔術師だったことが明かになっている。そもそも中世以来、実験は錬金術師や自然魔術師の独擅場であり、実験器具も彼らが考案し改良したものだった。
科学革命の最大の達成であるニュートンの万有引力の発見も魔術とかかわっている。ニュートンが錬金術の研究に打ちこんでいたことはよく知られているが、科学的な研究にも物活論的や万物照応的な魔術的発想を背景にしていることが明かになっている。たとえば『光学』で白色光を七色のスペクトルに分解したが、初期の草稿では七色ではなく五色にになっていた。最終的に青色と橙色をくわえて七色にしたのは音階と光のスペクトルを対応させるためだったという。
万有引力の法則は機械的接触のない遠方に直接力が伝わるとしているので、同時代のデカルト派やライプニッツ派の学者からスコラ哲学の「隠れた性質」の焼直しだと批判された。ニュートンは表向き、何故ではなく如何にを問うのが科学だとつっぱねたが、裏では魔術的思考にどっぷり浸かっていたことがわかっている。
第六章と第七章では宗教や文化状況と科学革命の関係を論じているが、あくまで英国の視点であろう。大陸系の本では宗教改革や30年戦争が焦点となるが(コペルニクスは宗教改革の時代に生き、デカルトとケプラーの活動期間は30年戦争と重なる)、本書によると英国ではピューリタニズムが科学革命を促進したという説をめぐって賛否両論がおきているそうである。
王立協会の会員にピューリタンが多いという指摘は誤りだったようだが、心臓と血液の関係を絶対主義になぞらえ、心臓=王の至高性を語っていたウィリアム・ハーヴィーが1649年のチャールズ一世の処刑後、血液の優位を語りだしたというのは面白い。
ハーヴィーはともかく、惑星の一つにすぎなかった太陽を宇宙の中心に位置づけ直したコペルニクスの体系が絶対王制を正当化するメタファーとして機能したという指摘は説得力があると思う。
著者は最終章でニュートンは実際は突破口を開いたにすぎず、力学はむしろ大陸系の学者によって築かれたと指摘している。ニュートンの虚像を作りあげたのは18世紀の啓蒙主義者と広教派国教徒であり、17世紀科学革命という概念そのものも18世紀啓蒙主義の産物だとしている。
本書は内容もすぐれているが、翻訳がとても読みやすい。英国の視点で書かれていることを承知した上でなら、科学革命を手っとり早く知るための最良の一冊といってよいだろう。