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『悪魔くん』/『悪魔くん千年王国』 水木しげる (ちくま文庫)

悪魔くん


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悪魔くん 千年王国


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 悪魔くんは貸本漫画時代の1963年に誕生したキャラクターである。悪魔くんの物語も何度も描き直されているが、ちくま文庫には「少年マガジン」版の『悪魔くん』と「少年ジャンプ版」の『悪魔くん千年王国』がはいっている。発表順としては『悪魔くん』の方が早いが、その前に貸本時代の東考社版『悪魔くん』(何度も復刻されているが、現在入手可能なのは小学館から3分冊で出た普及版)があり、『悪魔くん千年王国』は東考社版の改作なので最初の構想に沿っているというややこしい関係になっている。

 鬼太郎河童の三平が巻きこまれ型のキャラクターなのに対し、悪魔くんは自分から世直しをしようと動きだす行動型のキャラクターである。悪魔の力を借りてでもユートピアを実現しようというのは一種の暴力革命論であるが、自伝によると貧乏がつづいていたところに大蔵省から自宅の立ち退きを迫られ、社会の仕組に対する怒りからメシア的主人公を思いついたという。

 最初の東考社版は5巻の構想で書きはじめられたがまったく売れず、3巻で打ちきりになった。スフィンクス悪魔くんと対決するために日本に向かいはじめたこれからという時に悪魔くんは警官隊に射殺されてあっけなく死んでしまう。7年後に復活という予言を最後につけくわえたのはいつかは当初の構想通り物語を完結させたいという作家の意地だろう。

 復活の機会は予言より早く来た。1965年に水木はメジャー・デビューするが、翌年には「週刊少年マガジン」と「別冊少年マガジン」に『悪魔くん』の改作版を短期連載している。主人公が寄目の瓢箪顔で茫洋とした松下一郎から、りりしく賢そうな山田真吾に変わり、物語の重点を世直しから妖怪退治に移した子供向けバージョンだったが、これがテレビで実写映画化され水木人気に火がついた。

 ちくま文庫の『悪魔くん』は山田真吾を主人公とする「少年マガジン」版だが、人気を博したもののユートピアの実現という壮大な目標は途中でどこかへいってしまう。1970年、水木は当初の構想通りの『悪魔くん復活 千年王国』の連載を「週刊少年ジャンプ」(集英社)ではじめる。東考社版の途絶から6年後、悪魔くんはようやく真の復活をとげることになったのだ。これを文庫化したのが『悪魔くん千年王国』である。

 『悪魔くん』の意義は西洋文明の裏で脈々とつづいていたオカルト世界を子供にまで一挙に広めたことだろう。1960年には澁澤龍彥が『黒魔術の手帖』のもとになる連載を「月刊宝石」ではじめていたし、1961年には平凡社世界教養全集からセリグマンの『魔法』の抄訳が出たが、ごく少数の好事家が興味をもっただけで一般にはほとんど知られていなかった。ところが『悪魔くん』で魔法陣やエロイムエッサイムという西洋の呪文が知れわたった。1970年代にはいってオカルトブームが起こるが、ブームを支えたのは子供の頃『悪魔くん』に夢中になった世代である(わたしもその一人だった)。

 「少年マガジン」版『悪魔くん』は第1話「悪魔くん登場」は東考社版を踏襲するが、第2話「悪魔メフィスト」以降の五つののエピソードはテレビ放映にあわせて書かれたもので、善玉悪玉とりまぜておどろおどろしい妖怪が次々と出てくる。全身に目がある百目の異様な姿は今でもまざまざと憶えている。細密描写と偏執狂的な点描の迫力に圧倒されたが、後につげ義春池上遼一がアシスタントとして参加していたと知りなるほどと思ったものである(NHKゲゲゲの女房』には小峰と倉田という名前で登場)。

 妖怪と対決するアクションものになっているが、メフィストがぐうたらな怠け者だったりと水木漫画のコミカルな味は一貫している。

 『悪魔くん千年王国』はプロダクションの分業体制で凝ったことがいくらでもできるようになってから東考社版を改作したものだが、十二使徒はそろうものの結末は東考社版とそれほど変わらない。悪魔くんが社会をどうひっくり返すのか期待していたのだが、千年王国は未発で終わるということだろうか。

 第六使徒の家獣と『ハウルの動く城』についてひと言。家獣は迷宮構造の城塞のように登場したが、正体は生き物で悪魔くんが呼びかけると二本脚で立ちあがって歩きだす。二本脚で歩く城というと誰しも『ハウルの動く城』を思いうかべるだろう。宮崎駿の『ハウルの動く城』はダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔』を原作とするが、ジョーンズの moving castle とは黒煙と炎を噴きだしながら空中を移動する魔術的機械であり、邦訳の裏表紙にはラピュタを黒くしたような宙に浮かぶ城の絵が描かれている。シリーズ名もアニメ化の前は「空中の城」となっていた。二本脚で歩く城はアニメ版ではじめて登場するのである。ハウルの歩く城は家獣がヒントになっていた可能性が高いと思う。

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