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『フーコーの振り子』 エーコ (文春文庫)

フーコーの振り子

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 本書は1988年に発表されたウンベルト・エーコの長編第二作である。

 17年前、邦訳が出た直後に読みかけたが、夜の博物館の中をうろうろする条で放りだしてしまった。次から次へと出てくる展示物が意味ありげで、いちいち考えていたらなにがなんだかわからなくなったのである。

 『バウドリーノ』が訳されたのを機にもう一度チャレンジしてみることにした。今回は振り子を発明したレオン・フーコーの伝記をはじめとする科学史関係の本を読み、準備万端整えたつもりだ。

 結果からいうとレオン・フーコー科学史も関係なかった。科学史関係の話柄が出てくるのは最初の50ページだけで、あとの千ページ以上はオカルトと陰謀史観の話なのである。オカルトと陰謀史観なら昔とった杵柄で、どうということはない。

 澁澤達彦の『秘密結社の手帖』や映画になった『ダ・ヴィンチ・コード』でおなじみのテンプル騎士団が一応のテーマだが、オカルト知識を真面目にとりすぎるのはよくない。これは深遠な哲学小説などではなく、お笑い小説なのだ。エーコはオカルト・マニア(本書では「猟奇魔」)をからかいの対象にしていて、笑える場面がこれでもかこれでもかと出てくる。

 この作品とオカルトの関係は『ドン・キホーテ』と騎士道物語の関係に相当する。オカルトのパロディというかパスティーシュであって、本格的なマニアだったら相当傷つくだろうが、わたしはマニアを卒業したので苦笑しながら読んだ。

 出版業界の内幕ものとしても抱腹絶倒である。日本では「協力出版」と称して素人作家からお金をむしりとる商売が繁盛しているが、イタリアでも似たようなものらしい。

 しかし、この小説の一番の読みどころはそこではない。エーコは本作に二人の視点人物を設けている。一人は全体の語り手のカゾボンで、日本でいう団塊の世代にあたる。もう一人はカゾボンの同僚のベルボで、アブラフィアというパソコンに手記を保存している。ベルボはエーコと同じく1932年にピエモンテ州で生まれた戦中派であり、エーコの分身といっていい。

 エーコはカゾボンとベルボという二人の視点を通してイタリアの戦後史を描いたのだ。意外なことにそれは日本の戦後史とかなりの程度重なる。『輝ける青春』という映画を見て、日本とイタリアの戦後史がよく相関しているのに驚いたが、この小説を読んであらためて似ていると思った。

 難解という評判は無視していいが、上下巻で千ページを超えるだけに最初の百ページはかったるい。しかし長い小説の常として、百ページの峠を越せば一気呵成に読める。戦後史を実体験として知らない若い人にはぴんとこないかもしれないが、不惑をすぎた人はこの作品で大いに惑ってみるといいだろう。

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