『知っていますか、朝鮮学校』 朴三石 (岩波ブックレット)
朝鮮学校に批判的な立場の『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』(以下、萩原・井沢本とする)だけでは片手落ちなので朝鮮学校側の本も読んでみた。著者の朴三石氏は朝鮮大学校授で無償化問題で論陣を張っている人である。
本書も朝鮮学校無償化を訴える内容だが、「一部の教科書の部分的な記述をもって、学校全体を決め付けるという誤り」とあることからすると萩原・井沢本を意識した内容とみてよいだろう。
全体は5章にわかれる。
- 事実を知ることの大切さ―学生の感想から考える
- 朝鮮学校で学ぶ生徒たち―日本の学校・地域社会との交流
- なぜ日本に朝鮮学校があるのか―在日朝鮮人と朝鮮学校の由来
- どのような教科書を使っているのか―反日教育でなく友好のための教育
- 朝鮮学校と日本社会―何をどうするべきか
「1 事実を知ることの大切さ」では著者が関東地方の某大学で「朝鮮学校と日本社会」という講義をおこない、その後に学生が提出したレポートが紹介されている。受講した110人のうち講義の前から朝鮮学校を無償化の対象にすべきと考える学生は52%、講義を聴いてから無償化すべきと考えが変わった学生は44%、講義後も無償化に反対の学生は4%ということである。講義で在日朝鮮人の本当の歴史を知ったとか、「朝鮮人が日本で暮らすようになった経緯などを考えれば、むしろ優先して保護しなくてはならないのではないか」というような学生の文章が引用されている。いくつか否定的なものもあるが感激の声がほとんどで、健康食品の広告を読むような印象がなくはない。
「2 朝鮮学校で学ぶ生徒たち」は朝鮮学校の課外活動や地域との交流が紹介され、笑顔の写真を多数掲載するなど朝鮮学校は明るく楽しい普通の学校だと強調した内容になっている。
萩原・井沢本では現在の朝鮮学校在校生の韓国籍と朝鮮籍の比率は8:2としていたが、本書では「それぞれ半数を占めている」としている。地域によってある程度ばらつきはあるだろうが、8:2と5:5ではずいぶん違う。どちらが正しいのだろう。
「3 なぜ日本に朝鮮学校があるのか」では朝鮮人が日本で暮らすようになった理由の説明で「日本による土地調査事業によって、朝鮮で土地を奪われた人びとが日本に移動しはじめ」と、おなじみの在日論が繰りかえされている。土地を奪ったのは日帝という印象を受けるが、よく読むと日帝とは書いていない。断言せずに印象づけているだけである。李榮薫『大韓民国の物語』のような最近の研究を意識したのだろうか。
萩原・井沢本では朝鮮学校は在校生の実数を公表していないが、かつて3万5000人いたのが今は6900人くらいとしていた。本書では「全体で約一万人」としている。これもずいぶん開きがある。
「4 どのような教科書を使っているのか」は全ページ数の3割を占めており萩原・井沢本に対する反論の中心部分である。著者は「朝鮮歴史」以外の科目は民族色が多少あるものの「日本社会と国際社会にかんする知識を幅広く扱っている」と繰りかえし強調している。
問題の「朝鮮歴史」であるが、在日朝鮮人をとりまく環境を反映して数回にわたって内容が変化してきたとし、三期にわけて説明しているがこの説明が朦朧としている。
- 1945-54
「日本の植民地支配から解放された在日朝鮮人が解放の喜びを噛みしめつつ、在日朝鮮人の朝鮮史研究成果にもとづいて独自に啓蒙的な内容で編纂」と曖昧模糊とした書き方をしているが、要するに反日一辺倒ということだろうか。
- 1955-92
帰国事業と「朝鮮分断と冷戦状況」を強く反映したとあるが、「帰国」をうながすような記述と反韓国・反米帝の記述が多かったという意味だろうか。
- 1993-
日本永住を前提とした内容に変化し、「南北共同宣言」が出た2000年以降は「朝鮮分断の影響が大きかった現代史の記述を大幅に改め」とあるのは韓国攻撃を減らしたということだろうか。
拉致問題に関しては2011年版から「「拉致問題」を極大化」という「誤解」をまねいた記述を削除したとある。括弧内の語句だけを削ったのか、萩原・井沢本の書評に引用した拉致問題の記述全体を削ったのかははっきりしないが、「朝鮮学校の教科書に「拉致問題」の記述がないからといって、朝鮮学校でこの問題について教えていないということではない」とあることからすると拉致に関する記述全体を削ったのかもしれない。「さまざまな資料を使いながら教えている」とあるが、それならなぜ教科書に金正日が謝罪したと書かないのだろうか。朝鮮学校の教科書は日本の編纂委員会の独自の判断で自由に改訂できるということだが、それが本当なら加筆は簡単なはずである。
なお朝鮮戦争は韓国からしかけたとする記述と大韓航空機爆破事件が韓国の謀略だとする記述、教科書が秘密文書あつかいされているという点については何もふれていない。
「5 朝鮮学校と日本社会」では朝鮮学校の無償化は「日本人自身の問題」として無償化を切実に訴えている。
読んだ印象では朝鮮学校無償化をソフトムードで訴えた政治的パンフレットである。朝鮮学校では反日教育などしていない、普通の教育をしていると繰りかえしているが、肝心な話になると曖昧模糊としてしまう。これでは説得力があるとはいえないだろう。