『暴力はどこからきたか』 山極寿一 (NHKブックス)
近年、母親の彼氏による児童虐待や子殺しが増えている。ガールフレンドの子供をうるさがるくらいなら子供嫌いの延長かなと思わないではないが、実の子と義理の子がいると、実の子は猫かわいがりするのに義理の子には食べ物を食べさせなかったり、ちょっと泣いただけで障害が残るほど折檻したり、頭を殴って脳出血で死なせたり、何ヶ月もかけて徐々に衰弱死させたりと、あきれるようなニュースが多々伝えられている。
ここで連想するのは動物の子殺しだ。ローレンツの『攻撃』で動物は同族どうし殺しあわないような仕組を発達させてきたことが知られるようになり、動物=野蛮という思いこみが覆されたが、その後、新しく来たオスによる子殺しの事例が多くの種で発見され、ローレンツが主張していたようなきれいごとではすまないことがわかってきた。
新しく来たオスが前のオスの子供を殺すのは自分の遺伝子を残すためである。ほとんどの種ではメスは授乳中は発情が抑えられているから交尾できない。前のオスの子供が殺されるとメスは発情し、子殺しの相手とめでたく交尾にいたるというわけだ。
人間は言語によって本能が壊れてしまっているので、動物の子殺しと直接結びつけることはできないにしても、母親の彼氏ないし新しい父親による子殺しはちょっと似すぎている。チンパンジーやゴリラでも報告されている子殺し行動と関連はないのだろうか。それを確かめたくて本書を読んでみた。
本書はサルの誕生から説き起こし、サルが進化を通じてどのように社会性を発達させ、食物と生殖相手という限られた資源をめぐる葛藤を解決してきたかを語り、最後に初期人類の社会構造を類人猿や現在に残る狩猟採集民の生活との比較で推定している。
著者の山極寿一氏はゴリラの研究で世界的に知られたサル学の研究者である。近年はフィールドワークの経験をもとに人類の進化史を論じた本を発表しているが、本書もその一冊といえる。
まず食物であるが、サルはモグラやハリネズミのような食虫類からわかれ、樹上で果実にたかる虫を主食とするようになった。密林の林冠部は鳥の天下だったので、身体の小さな初期のサルは夜しか活動できず夜行性になった。昆虫は分散していて一度にたくさん捕食することができないので、夜行性のサルはテリトリーを作って単独か雌雄のペアで暮らしている(小型の原猿類)。
その後サルは花や蜜、花粉、果実、トカゲなどの小動物も食べるようになり、体が大きくなっていった。果実は食べ頃の時期が限られているので、広い範囲を移動する必要があり、夜行性は具合が悪い。体が大きくなって鳥と張りあえるようになったので昼行性のサルが誕生した。これが大型の原猿類と真猿類で、群れを作って生活する。真猿類にはオランウータン以外単独で暮らす種はいない(オランウータンももともとは群れで暮らしていたと思われる)。
昼行性のサルが群れを作るのは果実のような一ヶ所に集中的に見つかる食物を群れの力で独占するためでもあるが、それ以上に捕食者に襲われる危険性をすくなくするためだと考えられる。捕食者は子供を集中的に狙うが、群れが大きいほど子供の死亡率が下がる傾向が確認されている。
しかし群れで暮らすとなると、食物と生殖相手の分配という大問題がもちあがる。樹上性のサルは体の小さなサルは枝先、大きなサルは幹に近い部分と棲みわけが可能なので食物の争いはおきにくいが、地上性で果実食のサルの場合は食物をめぐる争いが深刻化しかねない。
食物の争いを防ぐ方法としては厳格な序列を作ることがあげられる。ニホンザルでは母系集団による序列が明確であり、序列にしたがって食物をとる優先権が決まるので食物をめぐる争いは抑制されている。タイワンザルやアカゲザル、カニクイザルなども序列社会で争いを防いでいる。こうした序列社会では優位なサルに攻撃されたサルは自分よりも劣位なサルを攻撃することで鬱憤ばらしをする傾向がある。
群れで暮らすヒヒの世界でも食物をめぐる葛藤は序列で解決されている。劣位の個体は優位の個体に注視されると、食物に手が出せなくなる。優劣関係がすべてなのだ。
ところが類人猿では優位者が劣位者に食物を譲ったり贈ったりする行動が見られる。チンパンジーはよく喧嘩をするが仲直りにも積極的である。オスの場合、同盟を組んで地位を維持しているので、優位のオスは劣位のオスの御機嫌とりをおこたらず、肉が手にはいると子分にだけ分配したりする行動も見られる。
チンパンジーにとって肉は希少な食物だが、自分一人で食べてしまえばいいのに、獲物をわざわざ仲間のところにもっていき、みんなに分配をせがまれながら、いっしょに食べることを好む。チンパンジーの狩りは食欲のためより自己顕示のためにおこなわれている可能性がある。
飼育しているチンパンジーとボノボで一頭の個体では食べきれないほどの食物をあたえる実験をおこなったところ、食物の分配には互酬性が認められた。以前食物をわけてもらった相手とか、その日に毛づくろいしてくれた相手により多く分配しており、序列とは関係なく、明らかに義理のある相手にお返しをしているのである。
ゴリラの場合はおいしい食物のある採食場所を優位な個体が劣位な個体にゆずってやり、隣あったり、視線をかわしたりしながら同じ物を一緒に食べるという行動が観察されている。ゴリラにとって食べるという行動は食欲を満たす以上の意味があるのだ。
類人猿は食物をわかちあうという共同性を発達させることによって、優劣関係によらない葛藤の解決をはかっているようである。
生殖はどうだろうか。重要なことは食物と違い、性の相手はわけられないことである。
ニホンザルのような序列社会では優位なオスが発情したメスと独占的に交尾すると考えられていたが、実際はメスが優位なオスを拒否をすることが多く、劣位なオスにも交尾の機会はたくさんあることがわかった。しかもDNA鑑定で父子関係を調べたところ、高順位のオスよりも低順位のオスの方がたくさん子孫を残しているという驚くべき事実が判明した。
低順位のオスとは最近群れに来たオスである。メスは古なじみのオスよりも新来のオスにより魅力を感じるのかもしれない。母系制のニホンザルの社会ではメスが群れを移ることはないので、多様な遺伝子を残すために新来のオスを選んでいる可能性もある。
チンパンジーはニホンザルとは逆にメスが群れをわたりあるく。発情期間が長いので複数のオスと交尾するが、発情メスの共有には三つのタイプがある。
- 優位なオスが交尾を独占するが、劣位なオスにも交尾の機会をあたえる
- メスが劣位のオスと一時的に群れを離れ、恋愛旅行に出る
- 乱交
劣位なオスにも繁殖の機会があたえられているように見えるが、DNA鑑定をすると優位なオスが多くの子孫を残していることがわかった。優位なオスは妊娠する可能性の低い日には子分のオスにメスを譲るが、排卵日が近くなるとちゃっかりメスを独占していたのだ。メスの方でも優位なオスの子孫を残したがっているようである。
ゴリラは基本的に単雄複雌で息子は成熟後に群れを離れるが、父親が老齢になった場合、息子が群れにとどまり複雄複雌の群れになる。メスの独占が原則にもかかわらず父親と息子が交尾相手をめぐる競合をしないですんでいるのはそれぞれに交尾回避をするメスがいるからだ。息子は母親とは交尾しないし、娘は父親との交尾を避けようとする。近親相姦回避の傾向が複数のオスの共存を可能にしているようだ。
近親相姦の回避はサル全般に見られる。息子が母親との交尾を避ける行動はすべてのサルで見られるし、父親が子供を育てる種では父親と娘の交尾も抑制されることがわかっている。ニホンザルは四親等(従兄弟どうし)まで交尾を回避するという。
近親相姦を避けるからといって、サルたちが血縁関係を認識しているわけではないらしい。血縁がなくてもいつも近くにいて仲良くしている雌雄は交尾を避ける傾向が発見されている。おそらく親密さによる交尾の抑制が結果的に近親相姦を防いで生き残りに有利に働き、本能として定着したのだろう。
著者は類人猿に見られる近親相姦の回避と食の共同が初期人類にも受けつがれ、それが家族を誕生させたのではないかと推論している。
家族の中で性行為が許されるのを夫婦間に限定することで性的な競合におちいらない親しさが生まれ、また性の対象を他の家族に送りだしたり、むかえたりすることで家族間のつながりが生まれた。
こうして生まれた家族内、家族間のきずなは、食の共有によって強められた。人類は奇妙な食習慣を持っている。それは常に仲間と食事をともにするということだ。自分ひとりで食べられるものもわざわざ仲間と分け合おうとするし、仲間といっしょに食べるために食物を集めにいく。本来葛藤のもとになるはずの食物をなぜ、親しい仲間との社会交渉に使うのか。よく考えてみれば、ずいぶんおかしなことをやっている。だがこれは、類人猿の行なう採食場所の譲渡や食物の分配から受け継がれて来た行動特性であり、それを独自に発展させてきたものである。……中略……初期の人類はこの食の共同とその共存を支える働きを、家族内だけでなく家族間にも用いたに違いない。共食はどの文化でも家族を超えた仲間に対して行われており、隣人に食物を与えない家族は軽蔑され、みんなに後ろ指を指されることになる。人類は性を家族に閉じ込めたかわりに、食を公開して共同行為に発展させたのである。
ここで重要なのは「独自に発展」させたという部分である。類人猿の食の共有と、初期人類に近いと考えられる狩猟採集民の食の共有はまったく違うのだ。チンパンジーやボノボは食物の分配を政治の道具に使っているが、狩猟採集民は食物から所有の概念を徹底的に消し、あたえる/あたえられるという優劣関係が生まれないように細心の注意を払っているのだ。
狩猟採集民が食物の分配に細かなルールやエチケットを設け、人間関係に影響しないような社会を作っているのは、食物で怨みが生まれると集団が分裂しかねず、生存が危うくなるからだ。群れでしか生きていけない初期人類はおそらく食物を政治の道具とすることをみずから禁じたのである。
こういう社会では間引きはおきても、新しい父親による先夫の子殺しは起こらなかっただろう。
だが農業の開始とともに人間は土地に帰属するようになり、所有概念が生まれ、個人間に優劣がつくようになった。子殺しがあったかどうかはわからないが、自分の血を引く子供だけを有利にしようと思えばできるようになったのである。