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『セラピスト』最相葉月(新潮社)

セラピスト

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弔いの邪推

 わたし自身の職業柄、無関心ではいられない一冊が登場した。精神医学と臨床心理学におけるそれぞれの巨匠、中井久夫河合隼雄に触れているというのも、興味を惹く大きな要素だった。それにしても、表紙を占める白衣はなんだ?視覚人間であるわたしは、易々と表紙に惑わされる。人肌を感じさせないスーパー・クリーンな白衣が、無地の空間に吊るされている。吉田篤弘・浩美夫妻のデザイン。気のせいか女性的な佇まいだが、良く見れば合わせは左前で、男性用の白衣のようだ。眺めるほどに、それまで感じなかった人肌を感じるようになってくる。まさか、吉田夫妻が、投影法(心理テスト)を意識したはずはあるまい。邪推だろう。

 とは言うのもの、この白衣、読前と読後で印象が違ってくる。読後には、物哀しさが漂ってならない。それというのも、全編を通じて、どうにも喪失の気配がしてならないからだ。慟哭でこそないが、抑えられた哀しみを読み込んでしまうのは、わたしの色眼鏡なのか、それとも、著者の奏でる通奏低音なのか。このあたりは、読者に判断してもらうほかないのだが、わたしの眼鏡の言い分はこうなる。

 哀しさは、逐語録に際立つ。9章立ての構成の間に挿入され、逐語録(上)・(中)・(下)と称される部分だが、そこでは中井久夫との描画テストの様子が記されている。テストをされる側とする側の双方になることで、著者自身が臨床に直接かかわる場面が描かれていて、自ずと他の章とは筆触が違う。折しも、東日本大震災の直後の会見である。寡言ながら自らの老いへの言及が目立つ中井の佇まいが、悲哀感情を増幅させている。老境の泰然とした気配と読解することも可能なのだろうし、実際、中井の深い懐に包まれているらしき記載もある。にもかかわらず、著者が体験しているはずの安心には、何かが失われていく予感、もしくは既に失われたもののフラッシュバックを感じてならない。ノスタルジーとは別種で、懐かしさだけではなく、失ったものを惜しむ、または失いきれていない著者の未練が行間をよぎるのだ。著者は何を弔っているのだろう。ここまで書くと、やはり、わたしの邪推なのかもしれない。

 しかしながら、3日分の訪問面接が、1・2・3ならぬ上・中・下と命名配置された逐語録は、本書の要所でもある。もとより、本書を執筆するにあたって、臨床心理を学び、大学院にまで通ったという背景は、ノンフィクション作家としての取材や投資の常識を超えている。著者は双極性障害と診断されて治療を受けているようだが、精神療法への興味・関心・疑惑・期待・不信が、切実であったろうことは想像できる。

 個人的な必要性と作家としての必要性を折衷させたものが本書であるとすると、その葛藤もしくは矛盾が凝縮かつ止揚されているのが、逐語録の静かな時間のように思える。通常であれば、精神療法の逐語録が抜粋されても、一般読者を対象とする作品には馴染まない。個人的すぎて露悪的な自己満足に終わりかねない。さりとて、守秘義務のもと密室で行われる精神療法の実録は、作家としては貴重な資料にもなる。その危うい綱渡りを可能にしたのが、この逐語録部分であり、インタビューと治療的面接がアマルガムになったような複雑な時間を、著者は上手く堪えている。勿論、融通無碍な自然体のようでいて、専門家的な抑制を効かせた中井の対応の妙が、その知名度とともに奏功している。

 『セラピスト』は、逐語録を抜きにしても、ノンフィクション作品として充分に成立する。カウンセリングの歴史、戦後の日本の心理臨床を席捲したロジャースをめぐる背景、河合隼雄が日本版箱庭療法を普及させていくにあたっての構想などが、丁寧に取材された資料をもとに展覧されていて、心理療法とは何かを追求してきた先人の懸命さと真摯さを辿ることができる。中井の風景構成法も河合の箱庭療法も、西洋から輸入される様々な方法を鵜呑みにするのではなく、和魂を注いで手作りされたものである。その息吹が蘇る記録である。

 けれども、それらの技法が受け継がれていくなかで、社会は変わり、心理療法の文化も変化を余儀なくされた。膨大な需要と経済効率、立証可能効果(エビデンス)などに追われ、心理精神療法は寡言から多弁へと推移しているように思う。箱庭セットは文化財よろしく仕舞い込まれ、風景構成法も中井自身ほどには著名でない。

 巷間に溢れる心理書と実際の臨床とのあいだには、大きな懸隔がある。『セラピスト』は、臨床心理一般の実態を知らしめる本でもないし、河合隼雄であれ中井久夫であれ、特定の個人の評伝でもない。勿論、著者自身の闘病記録でもない。白衣の表紙をよくよく見ると、憎いほどささやかな文字でSilence in Psychotherapyと副題がある。絶滅に瀕した静かな治療は、まだ存在する。その記録が、この清楚な表紙を持つ一冊に込められている。

 最後に一点。本書のなかには、精神医学的用語や概念の誤用が3、4箇所散見される。執筆に費やしたであろう膨大な労力を思えば、看過できる程度のものだ。むしろ、専門家が一瞥すれば気づくはずの誤用からは、他者に頼ることをせずに、この作業をひとり負った著者の背中が偲ばれるのである。


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