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『ママだって、人間』田房永子(河出書房新社)

ママだって、人間

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先日、ベビーカーマーク導入のニュースをテレビで観ていたら、子育てしやすい社会に、と謳いつつ、それでも迷惑という声もある、との言説も周到に付け足されていて、その報道側の当然の配慮にカチンとくる。
このときはじめて、そこにいたるまでには大論争が巻き起こっていたことを知ったのだが、迷惑なのはなにもベビーカーママに限ったことじゃなし、お互いに思いあえばいいだけのことではないのか。それをわざわざ取りざたすること自体に、何やら悪意を感じてしまうのは私だけでしょうか。

本書にも、ベビーカー問題に触れたエピソードがある。といっても、それが主たるテーマにあらず。

公共の場で、子持ちの人たちはペコペコしすぎではないのか→それは、ベビーカーは迷惑といった世論の圧力ゆえ→でも、おばあさんは優しいひと多し→ひきかえ、おじいさんは周囲に対する気遣いゼロ。それはまるで「電池の切れたロボット」。

ということで著者は、企業社会を降りたのち、家庭や地域という領域で、見事なまでに「何もしない」っぷりを発揮する「ロボットジジイ」についてを考察。

たいてい単独でおり、夫婦でいるばあいは妻に「お世話されて」いる彼ら。それは、妻から家事や子育てへの協力において絶望視され、長年適当にあしらわれてきたためのロボットジジイ化ではないのか?

もちろん、なかには親切で明るくてフレンドリーな「ハツラツジジイ」もいる。著者の観察によれば、その手のおじいさんは「明るい色の服を着ている」「薄手のデニムやダンガリー率も高し」なのだとか(言われてみると、そんな気がする)。

そして著者は思う、「夫はどっちのジジイになるのかな?」。そこには、子育てまっ最中の著者が陥っている、昨今話題の産後クライシス(夫の家事育児に不満はないのだけれど)という伏線があるのだった。

たった8ページのエピソードのなかに、公共性、母親規範、夫婦関係といったテーマが無理なく凝縮されていて、その的確な筆さばきに心底感心させられてしまった。本書は、母性や、母という枠にくりかえし疑問符を投げかげる。それは、世間からこうあるべきものとして押しつけられるいっぽうで、当の母親たちがそこにおさまることで、たとえば、ベビーカー論争におけるベビーカー陣営のいいぶんの根拠ともなりうる。けれども、そこからだけでは、母であることのもろもろの息苦しさはとりのぞけない。そう知りつつも、そこから完全に自由にはなり切れないからこそ、著者は、ベビーカーで乗車するときの肩身の狭さを、ロボットジジイ考察へとつなげることができるのだ。

というわけで、「育児マンガのタブーを破る!」(帯より)本書。上にあげた例はまだ穏健なほうで、その赤裸々ぶりといったら! 妊娠中の性欲についてを包み隠さず告白。「セックスはOK」、「ひとりHはOK」、でも「オーガズムはNG」って、妊婦向け雑誌にはそんな情報が載っているのかと、それだけでもびっくりなのだが、思えば妊婦中の性欲もセックスも、ヒトであるゆえの性。「ママだって、人間」どころか、「ママこそ究極の人間」。母性とは究極の人間性なのかも⁉︎


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