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プロの読み手による書評ブログ

『親戚のおばちゃんより、口上』

 キノベス!2010 第1位『いちばんここに似合う人
 翻訳者・岸本佐知子さん特別寄稿


 本を読んで「面白かった」と感じるのに、私の場合は三つの段階があります。第一段階では、本を閉じて「ああ面白かった・・・・・」としみじみ幸せな余韻に浸る。第二段階だと、本を閉じたあとしばらくは放心し、何か打撃を受けたように動けなくなる。そして第三段階ともなると、もうじっとしていられずがばと立ち上がり、「どがあ」などと意味不明のことを叫びながらそのへんを走り回らずにいられなくなる。

 『いちばんここに似合う人』の原書No One Belongs Here More Than You.を初めて読んだときの私が、まさにそのレベル3でした。二篇めの「水泳チーム」あたりですでに完全ノックアウト、最後の「子供にお話を聞かせる方法」を待たずに走り出していました。ミランダ、あんたすげえよ。走りながら思いました。これ訳したい、訳せなかったら死ぬ。そこまで思いました。

 その願いがかなって一冊まるごと翻訳することができただけでも訳者としては幸せすぎるのですが、これほど「愛されている感」がじかに伝わってきた本というのも、ちょっと今までになかったように思います。

 本が一冊形になると、そこから先その本がどうなっていくのかは、本当のところ、うまく想像がつきません。本屋さんに本が並んでいるのを見ても、読んだ方の感想を目にしても、実際にその本を誰かが手にとって読んでくれているという実感は、なかなかわきません。でもこの本にかぎっては、そのへんのライブ感がすごくあった気がします。出版社、書店、読者をつなぐ道筋がくっきり見えて、みんなの声がすごく近く聞こえてくる、というか。それもやっぱり、みんなに声を上げるよう誘ってくるような、ミランダ・ジュライの作品のもつ不思議な力と無関係でないような気がします。

 私がこの場でお礼を言うのは、本当はお門違いなんだろうと思います。だって私は書いてあるとおりに訳しただけなんですから。なので、ありがとうございますと、これは作者になりかわって申し上げます。でも小さい声でアリガトウゴザイマスと、やっぱり私からも言いたいです。親戚のおばちゃんの気分で。

岸本佐知子(きしもと・さちこ)

1960年生まれ。上智大学文学部英文科卒業。訳書にN・ベイカー『中二階』、S・ミルハウザーエドウィン・マルハウス』、J・ウィンターソン『灯台守の話』(以上白水社)、T・ジョーンズ『拳闘士の休息』(河出文庫)、J・バドニッツ『空中スキップ』(マガジンハウス)、L・デイヴィス『話の終わり』(作品社)他多数。著書に『気になる部分』(白水Uブックス)、『ねにもつタイプ』(ちくま文庫)がある。