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『東郷青児―蒼の詩 永遠の乙女たち』野崎泉・編(河出書房新社)

東郷青児―蒼の詩 永遠の乙女たち

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 ロマンティックかつモダンな美女たちを描きつづけた東郷青児。編者の野崎泉をはじめ、ここに文章を寄せた女性たちにとっての青児体験は、女子寮に飾ってあったレプリカや喫茶店のマッチ、あるいは本の装幀であったりした。

 そうした乙女の視線をとおして、画家の仕事を照らしだした本書。ほかにも、白粉のパッケージ、飾り皿や扇子、その絵が店内を飾った喫茶店など、青児の手による生活を彩るもろもろがクローズアップされる。

 吉祥寺「ボア」、自由が丘「モンブラン」、横浜「フランセ」等の洋菓子店の包み紙にいたっては、それだけに一章をさくという充実ぶりである。自立したタブローと向き合うのももちろんすてき、だが、暮らしのなかから叙情や詩情、美や夢をすくい上げることによろこびを見出すのが大の得意である乙女たちにとって、青児描く女性に彩られたこれら包み紙は、甘いお菓子を口にするしあわせと切り離すことのできないアイテムなのである。

 

 モダニズムの花咲く大正の時代に若くして画家としてデビュー、パリでの留学生活、女性遍歴やそれにまつわるスキャンダル。生涯女性を描きつづけ、またとびきりのスタイリストであった青児には、世間が画家という人種にもつステロタイプな通俗性がつきまとう。それはその画業だけでなく、本書に紹介された品々が世に広く受けいけられたことにもよるだろう。

 さまざまな近代絵画のイズムに触れたヨーロッパ生活を経たのち、「大衆に愛されるわかりやすい芸術」というテーゼに辿りついたという青児。それを受け、編者はこの本を「画業の偉大さを讃えた」作品集ではなく、「昭和の暮らしの中に溶けこみ、身近に親しまれていた分野での仕事をフィーチャーしたもの」にしたいと語る。

 雑貨のデザイン、本の装幀、その絵と人生、ゆかりの店の紹介、包装紙ギャラリーとつづき、文章もよくした青児のエッセイやマンガも収録。それまで副次的とみなされてきたであろう仕事を、本来の画業と等価にならべてみせることによって、これまでにない乙女好みの青児本が仕上がった。ここにこそ、「大衆に愛されるわかりやすい芸術」を目指したこの画家のエッセンスがあらわれているといってよい。

 巻末には、青児にとっての永遠のモデルである盈子(みつこ)夫人とのあいだに生まれた娘、東郷たまみさんのインタビューがある。一九七八年、青児が亡くなったとき、スペインへ留学中だったというたまみさんは、父の死に直接触れることがなかった。そのためか今なおその死に現実味をもてない、という話が印象的だ。

死というものが、父にはぜんぜん似合わないし。……サハラ砂漠に行きはじめた頃に、「もうちょっと若かったら、俺、ラクダにのって地平線の向こうに消えてしまいたいと思うんだ」って言ったことがあったんですよ。だから、消えたんだろうと思ってるんです。今でも。
 

 たまみさんはまた、晩年もなお旺盛に創作しつづけた青児を、「一生、ステージの上で演じ続けた強い男」と表現している。世の乙女たちを魅了したさまざまな仕事は、そのほとばしるエネルギーのたまものだったろう。

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