『AQUIRAX CONTACT ぼくが誘惑された表現者たち』宇野亞喜良(ワイズ出版)
文庫本大の箱のなかに、リアルな極小の世界を作り出す桑原弘明。正確さの極みが、薔薇という対象への特別な愛を醸し出す豊永ゆきの植物画。シュルレアリスムというイズムを超えて、軽やかな即物性と偶然性を放つ勝本みつるのオブジェ。今では廃れてしまったスクラッチボードの技法を使ってイラストレーションを描く丸子博史。家にある端切れや毛糸で不思議ないきおいを持つオブジェを作る南タカ子。ラシャ紙に針で穴を開けて点描したものに光をあてる翳り絵を描く金井一郎……
いまも、『イラストレーション』(玄光社)で継続中の連載「AQUIRAX CONTACT」は、宇野亜喜良が惹かれた表現者たちの作品世界を取材するというもの。それをまとめた本書には39人の作家がならぶ。
ここにとりあげられている作り手たちは、画家、現代美術家、イラストレーター、グラフィックデザイナー、造形作家、写真家のほか、漫画家、劇作家、ピアニスト、演出家、お笑い芸人などさまざまな肩書きを持つ。また、平面の作品はイラストレーションから日本画、植物画、マンガ、ポスター、版画と多様だし、立体の作品も彫刻、人形、バッグ、フィギュア、コラージュなどさまざま。
あとがきのインタビューで編者はこう語る。
イラストレーションというのは要求する側のテーマやコンセプトを理解して、ノーマルな正しい表現をやっていくものだけど、それだけじゃつまらない。なにかもっと不思議なものを見る方がイラストレーションの世界が豊かになるんじゃないか。そんな気持ちがあって、専門誌における、かすかな「悪魔のささやき」みたいなページを作りたかったんです。
半生記にわたって、コマーシャリズムのなかで仕事をしてきた宇野亞喜良だからこそそう発想されるのだろうが、かといって、彼がコンタクトをとっている作り手たちが、〝商業美術〟のもう一方にある〝純粋美術〟の系譜に属する人ばかりではないところに、宇野亜喜良の創作に対する哲学が透けてみえる。
ここに紹介された作家について、「変則的なことをやっている。そういう気質の人たち」と言う彼自身が、イラストレーター、芸術家、アーティスト、なんでもいいが、そういう大文字の肩書きにとらわれることのない、変則的なありかたをつねに志向してきたのではないか。
本書のならぶ作品の特質をことばにするなら、幻想的、詩的、文学的、マニエリスティック、マニアック、メルヘンチック、キモカワイイ、といった具合。これにはもちろん、選者の好みも反映されているのだろうが、彼が同じ作り手として特に関心を寄せるのは、その技法や、作品が出来上がっていくまでのプロセスにあるようだ。
そしてもうひとつ、作家が作家としてどのようにふるまうかというところにも、宇野亞喜良の興味は働いている。
作ってる人たちの心情が可愛いって言うか。他人が自分の作品をどう思うかとか、きっとあまり考えてないでしょう。
そう彼は言うが、これは、なによりも表現への欲求を第一とする、いわゆる天然な「芸術家」のステロタイプを指しているわけではない。
作品からは変わってる感覚がするんだけど、取材で実際に会うとみなさんノーマルで、理性的。それも面白いですよね。あんまり難解なことを言う人もいなかった。今のような時代にこういうものを作っているという特殊性もある程度みんな客観的にわかっているんですね。でもそれが好きでどうしてもやってしまう。
あるイメージを欲望する。そして、それをかたちにしていくとき、作家自身のこだわりに誠実であるほど、既存のジャンルやシステムからははずれてしまう。それこそ、創作することにおける正統なのかもしれない。