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『ワセダ三畳青春記』高野秀行(集英社文庫)

ワセダ三畳青春記

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「貧乏ノンフィクションの名作の結末は恋」

 三畳間。
 不動産物件としては絶滅の危機に瀕していると思われる三畳間を舞台にした、ひとりの貧乏ライターの青春ノンフィクション。

 これまで読んできた貧乏ノンフィクションとしては最高級の味わいの名作であると思います。岩波文庫として永久保存して欲しいと書いておきましょう。

 著者の高野秀行氏は、辺境冒険作家

 アフリカで怪獣探検、東南アジアのゴールデントライアングルでの麻薬体験取材、というような、取材費ばかりかかってカネにならないような仕事(というか道楽)ばかりしているライター。マニアックなテーマばかりに熱中すると、極めて限定された読者しか獲得できないために困窮するのが普通。私は高野氏の著作を何冊か読んでおり、生活はどうなっているのか、と疑問に思っていました。本書を読んで疑問は氷解。

 三畳間。家賃1万2000円。敷金1ヶ月。礼金なし。

 アフリカ旅行から帰国したばかりの高野は、早稲田大学探検部の部室でこの情報を知り「オレが住む!」と手を挙げた。そのとき高野の全財産は3万円。八王子の実家からの自立であった。

 住み始めると、そのアパート「野々村荘」は奇人変人の巣窟だったことが明らかに。高野もその変人の一人なのだが。

 何年も司法試験に挑戦し、日本国内にUFO基地があると信じる男。この人は、他人の部屋の電話を勝手に取り、伝言を残すというお節介な行動をとる。また、人が自炊しているときに、いいものがあるよ、と勝手に自分のもっている食材を他人の鍋のなかに放り込む。

 近くに住む大家のおばちゃんは、高野が長期間不在になっても(1年間東南アジア取材のために不在という意味)それを許す鷹揚な人。高野が、帰国するたびに、自室には探検部の後輩や、見ず知らずの人が住んでいたりする。

 この「野々村荘」であれば、日本国内で生きるためのコストを極限まで抑えることが可能である。1ヶ月の家賃が12000円である。居住のために1日400円のコストしかかからない。東南アジアの激安のゲストハウスよりも安いのではないか。

 高野の文章は面白い。何度も笑った。爆笑した。ときに泣いた。

 この人は貧乏であることに頓着していない。自分が楽しむために生きている。人のいかないところにいって、それを面白おかしく書く、というシンプルな原理原則。それ以外のルールに縛られていない。

 青春ノンフィクションらしい展開がずっと続いていく。

 それでも高野も歳をとる。青春は終わるときがくる。本書の白眉は、最終章。

 3畳間から4畳半に昇格した高野は、行き詰まっていた。貧乏生活、とりたたてやることがない、メディアのアルバイトをしているとそれなりに食えてしまう。生活改革をする気力がわかない。朝起きて、食べて、プールに行って、腹が減って、ピールを飲みながらテレビを見て、夜になると探検についての雑文を書く。こうして1日が過ぎている。海外での探検取材から日本に帰国すると、野々村荘に沈没してしまうのだ。

 そんな生活をしているうちに、同じ野々村荘で奇人変人ぶりを発揮していた人達が、ひとりまたひとりと社会不適応な自分自身に気がついて、帰郷したり、行方不明になっていく。高野の人生も、野々村荘も末期的だった。

 そんなとき高野は恋に落ちる。

 11年間、高野の恋愛対象は野々村荘という環境だった。

 アパートから別れて、人間の女性に恋ができるという進化だ。

 どんな変な人間もまっとうな生活をしよう、という決意の時があるのだ。その描写が実にすがすがしい。ずっと貧乏であることを肯定してきた情景描写がモノクロームだとすると、恋してからはカラー画面に一変する。

 高野はその人と結婚したようである。よかった。

 結婚しても辺境取材を継続している。素晴らしい。羨ましい。

 

 追記

 いま私が注目しているノンフィクション作家は、高野秀行氏と、石井光太氏の2名。どちらもブレーキが壊れたような取材をするとんでもない書き手だ。石井光太氏については機会を改めて書評します。


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