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『学校を災害が襲うとき 教師たちの3・11』田端健人(春秋社)

学校を災害が襲うとき 教師たちの3・11

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「震災をプラスに変える」

 あの日から二年が経とうとしている。今も引きも切らず出されている3・11関連本の中で、本書にめぐり会えた読者は幸せである。ここには、東日本大震災の経験が明らかにし、今後も伝えていくべき何かが、記されている。それは、一言で言えば、人間の強さであり、もっと言えば、学校という場所によってそれが強められるということである。

 本書は、2011年3月11日、大地震と大津波に襲われた宮城県沿岸部の学校に勤務していた教員たちに聞き取り調査したインタビュー記録を、再構成したものである。著者田端は宮城教育大学准教授、学校教育の現場をとくにその哲学的側面に関して専門に研究している気鋭の学究である。普段から学校現場を訪れ、現場研究を行なってきた、そのスペシャリストが、2011年夏以降、津波被害の大きかった学校を回り、10名の教師に被災当時の様子を尋ねた「災害エスノグラフィー」が、本書である。ドキュメンタリーであるとともに、著者一流の哲学的考察を加えており、哲学書の風格すら漂う。

 読者はそこに、マキアヴェリの「運命と力量の抗争」、ボルノウの「子どもを匿い護ること」、フロイトの「喪の作業」、アーレントの「私的領域」、レヴィナスの「眠り」、ハイデガーの「おのずと隠れる自然」、ヴェーユの「根づくこと」といった諸学説が、みごとに血肉化されているのを見出すだろう。

 とはいえ、頭でっかちの理論研究とはわけが違う。学校という場所で、教師と生徒、そして住民は、どのように3・11をくぐり抜け、耐え抜いたか。著者は、その事実的な生の経験に、誠実に寄り添い、平生目立たない実存の真実を、引き出している。地に足のついたそうした目線が、教育というもの、いや生そのものについて、根本から反省を迫ることがあるのだということを、本書から私たちは学ぶことができる。

 2011年3月11日(金)午後2時46分。マグニチュード9.0の巨大地震三陸沖海底に発生したその時刻、学校は六時間目の授業中だった。地鳴りの轟音。窓ガラスは割れ、建物はミシミシ呻く。「半分パニックみたいな感じ」だった、という教師の証言には、事態の複雑さがよく表われている。「恐怖に泣き叫ぶ子どももいたが、恐怖を抑え、冷静さを保っていた子どもも少なくなかった。教師の声がけで落ち着きを取り戻した子どももいた。そればかりか、泣き叫ぶ子どもも、単に地震津波が怖くて泣いていただけではない。子どもたちは、自分の母親や家族のことを想い泣いていた」(16頁)。

 大人でも怯えうろたえるしかない大揺れにも、子どもたちは意外にしっかりした反応を示した。「子どもたちのほうが動きは速かったです」(8頁)と語る教師もいる。とはいえ、初期起動ではやはり「教師魂」が物を言う。子どもを誘導して校庭に避難させ点呼をとり、駈けつけた保護者への引き渡しを行なう。危機的状況における「人間の底力と自然の猛威との格闘がはじまった」(18頁)。日頃培われた教師たちの専門的力量は、まずは勝利を収めたが、次いで、津波襲来という大いなる試練を受けることになる。

 乏しい情報をもとに、生徒たちをどこへ避難させるか。遠くの高台へか、校舎最上階へか。地震発生直後の予想を大きく裏切って、迫りくる10数メートルもの巨大津波。この「時間との闘い」では、校長のとっさの判断が数多の生死を決することとなった。

 ある小学校では、いったん校舎三階に全員避難したあと、なかなか津波が来ないので、体育館に移動することにした。その直後、押し寄せる津波で「空が真っ白」になっていることに校長らが気づく。総勢七百人を超す人々が、慌てて体育館から飛び出し、階段を駆け上がって校舎三階へ。一階は津波に呑み込まれ、周りは荒浪に囲まれ孤立無援状態。だがそれも束の間、今度は、学校の周りに流されてきた人たちの救助活動が始まる。そしてその次に来たのは、「ものすごく寒かった」「あの日の夜」。「真っ暗闇で校舎に閉じ込められた人々は、火災と爆発音の恐怖に曝される。辺りは一面火の海だった」(54頁)。流れついた者のうち一名は、その夜亡くなったという。学校が臨終の場となったのだ。

 ヘリコプターが上空から大津波警報を怒号したさまは、『地獄の黙示録』のようだったと、ある教頭は回顧する。そういう言い方が大袈裟でないほど、それほどの緊迫感が学校を支配した、あの日。地震発生から程なくして、大粒の雪がはらはら舞い始めた。そして、それがいつの間にか満天の星空に変わった。「三月一一日の星空の美しさは、何人もの教師が語った」(68頁)。大停電がその演出に一役買ったわけだが、それだけではなかったろうと田端は言う。「もう一方では、自然の恐怖と神秘、それに翻弄されつつあらがう人間の苦悩と悲しみによるものでもあったかもしれない」(69頁)。

 苦悩と悲しみは、現代では「ケア」の対象と見られがちである。だが著者は、そういう保護的目線に偏ることに異を唱える。たとえば、「避難所では、高齢者と呼ばれる人々も、単にケアされるだけの存在ではなく、周りの人々のために力を発揮した」(68頁)。弱者のはずのお年寄りの活躍がそこにあった。それと同じことが子どもたちにも言える。

 避難所を回ったある校長は、被災した中学生が、薪わりをし、炊き出しを手伝い、瓦礫を片づける姿に、涙が出たと語る。学校では普段子ども扱いしてきた彼らが、「いざとなると」大人顔負けに人のために尽くすことを、心底確認できたのだと言う。平時には、甘えたり悪さをしたり反社会的な行動に出たりする子どもたちが、非常時には俄然、逞しさを発揮する。彼らの潜在力は、今日の学校教育の在り方そのものに「疑問を投げかけている」(130頁)。それどころか、彼らの溌剌たる姿に、大人たちこそ「救われた」(131頁)という。「大人にはほとんど神秘的」に映ったその明るさと元気は、3・11という非常事態の苦悩と苦しさが、たんにマイナスにとどまるものでなかったことを告げている。

 ある高校教師は興奮気味に、高校生たちが、かつて見たことがないほど、元気で明るく生き生きしていた、と語る。生徒によっては、家を失い、家族を喪い、避難所生活を強いられ「困っていた」はずなのに、かえって強く逞しくなっていた。「逆境のなかでも子どもは成長できる。あるいは、逆境だからこそ出来る成長がある」(144頁)。

 とはいえ、避難生活では、余震への恐怖、睡眠、食欲、排泄のトラブル、プライヴァシーの喪失など、重度のストレスに見舞われる。発見された家族の遺体に面会するときの悲痛たるや、想像を絶するものがある。健気なふるまいの底には、計り知れない哀しみがひそんでいたのであり、その点を軽々しく考えてはならない。だが、ダメージからの回復に関しても、子どもたちは驚くべき強靭さを発揮した。避難所ならではの遊び方を発見、工夫し、笑いとユーモアを絶やさず、上級生は下級生の面倒を進んで引き受けた。死別した母親との約束だからと、不屈の意志で大学進学を諦めなかった高校生もいる。

 災害時の子どものストレス症状としては、それまでできていたことができなくなったり、保護者に甘えたりする「心理的退行現象(幼児返り)」がよく知られている。だが教師たちは、その真逆の可能性があったことを証言している。子どもたちは、むしろ、率先行動(イニシアティヴ)を示したのである。「一層のお姉さんお兄さんになる」という、そうした「限界状況のなかでの子どもの成長」のことを、田端は「実存的先行現象」と名づける(153頁、161頁、193頁)。逆境でこそ逞しさが発揮され、受苦の身にこそ自発性が漲るという、人間の底力は、3・11の苦難においても、輝き現われたのだった。

 「実存的先行現象」の次元を発見したことは、教育哲学への田端の貢献の最たるものであろう。本書は、そのほかにも豊かな発見に満ちている。学校という場が、かけがえのない多くのものを失った子どもたちにとって、「変わらないもの」(167頁)であり続けたこと。学校や学級は、パブリックな場でもプライヴェートな場でもないが、その公私のあいだに立つ「独自の襞をもつ場」(185頁)であること。「住み慣れた「まち」が失われる深刻さ」(204頁)は、子どもたちの自己同一性を危機に陥れかねないこと。いずれも、学校教育を考えるうえでの指針となりうる貴重な寄与であろう。

 「震災をプラスに変える」(189頁)。被災した高校生の強さに打たれた教諭の語ったこの言葉は、本書の思想を集約的に表現している。むろん、積極思考に淫するあまり、暗黒面を糊塗するようなことがあってはならない。「プロローグ」にもあるように、教師によって救えなかった命もあったし、命を落とした教師もいた。適切な避難先が判断できずに生徒も教師も津波に呑まれた学校の悲惨もまた、語り継いでゆかねばならない(池上正樹・加藤順子『あのとき、大川小学校で何が起こったのか』青志社、参照)。だが、そういう「悲痛な事実」の「無念と批判」を知りすぎるほど知ったうえで、著者田端は、「本書が、わずかではあっても言論と思考の幅を広げることを願った」(v-vi頁)。

 言葉への信頼。起こったことを明らかにし、語り伝えていくことの重要性。――大震災は「ロゴスへの愛」を鍛えるチャンスとなったことを、本書は語っている。


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