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『網野善彦著作集〈第10巻〉海民の社会』網野善彦(岩波書店)

網野善彦著作集〈第10巻〉海民の社会

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「知られざる海の民の顔」

網野善彦の著作集の刊行が始まっている。この第一〇巻は、「海民の社会」に関連した論文を集めたものだ。網野の史論のおもしろさは何よりも。日本の古代から近世までの社会が農民を中心とした社会であるという「常識」を鋭く批判しながら、これまで無視されてきた海の民、山の民、賤民とされてきた民衆などの地位を回復しようとするところにあるだろう。

本書の冒頭の「海からみた日本社会」の論文では、高校の日本史の教科書などに、日本の封建社会は「農業が生産の中心で、農民は自給自足の生活をたてまえとしていた」(p.5)などと書かれていることが多いことを指摘し、その論拠として「百姓」が76.4%を占めていたという統計があげられることに注目する。そして百姓が農民であるという思い込みが日本の歴史界をこれまで支配してきたことを糾弾するのである。

網野は、さまざまな資料を手掛かりに、農民と田畑を中心とする歴史像がいかに歪んだものだったかを明らかにしていく。たとえば「村」というと、都市との対比で農村を意味するものと思いがちだが、実は「都市」という分類は、城下町など、町人によって構成されているものを示し、それ以外のすべての単位は、都市を含めて「村」と呼ばれ、「検地を実施して石高を定め、〈百姓〉〈水呑〉をおもな成員とする」(p.21)ものとして定められていたにすぎないという。輪島など、「多様な非農業的生業を営む人々が集住する都市的な集落、さらにはまぎれもない都市といってよい集落」(p.20)も、これも「村」と呼ばれたのである。

だから能登の時国家の北前船の船頭友之助は、一〇〇〇両以上の取引に携わっていた重要人物であるが、記録では、「わずかな田畠を耕す同家の下人友之助」(p.29)と分類されるようなことになるのである。実際の生業における役割と、公的な記録における地位の乖離は、想像以上に大きいかもしれないのである。海で生活する人々も、「百姓」として登記される必要がある場合には、ごくわずかな田畑をもらって、暮らしているように装っていた例もあることは十分に理解できる。

また「村」とは別に「保」という分類もあった。「保」は「元来、京・鎌倉などの都市の行政単位だった」ことから、「非農業的・都市的性格をもつ」ものが多かったという(p.23)。さらに「大寺社の神人・寄人をはじめ、国に属する工人などの給与=給田が保となる場合も」(ibid.)あったらしい。本書を通じて注目されるのは、寺社に所属することで、自由な行動の権利と特権を確保できた場合が多かったことである。「神人が官位をもち、世俗の侍身分に準ずる地位にあったことを示す事例は多いが、広田社の場合も同様で、迴船人は神人、あるいはそれ以上の特権を与えられて、広く遠国にまでその足をのばしていた」(p.110)らしい。

網野は中世の海民を平民的海民、「職人」的海民、下人的海民に分類している(漂海民もいる)。平民的海民は「百姓、平民百姓と呼ばれ、荘園公領制の下で浦・浜・嶋などに根拠をもち、内陸部の百姓と同じく年貢・公事を負担している海民」(p.235)である。製塩、漁労、海上輸送などを生業とするが、わずかな田畑も耕していて、年貢が塩である場合もあったらしい。

「職人」的海民は、「古代において贄を貢進していた海民集団の流れをくみ、その専業的な性格はより顕著」であり、漁労、輸送、製塩などを本職とする人々である(p.236)。これらの人々は「いかなる海、湖川においても他に妨げられることなく自由に漁労し、また関・渡・津・泊などにおいて交通税を賦課されることなく、自由に通行する特権を保証されていた」(p.237)人々である。これらの人々は「武装した海の武士に通ずる一面」(p.239)をもち、「水軍」に変身する可能性を秘めていたのである。

本書に収められているさまざまな論文を読んでいると、その背後に生き生きとした多様な暮らしをしている人々の姿が浮かんでくるようで、つい時代小説を書きたくなる(笑)。網野も「湖の民と惣の自治」では、琵琶湖の菅浦の藤次郎という「供御人」を登場させて、菅浦と近隣の大浦との構想を長いスパンで描いてみせる。ほとんど小説仕立てといってもよいものであり、もしも網野の小説の才能があったならと、ないものねだりをしたくなる。

なお、この菅浦の地を訪れた網野が、風景の歴史的な価値について語っている言葉に、強い印象をうけた。「中世以来の家号をとどめている家もまだ多く、東西の門によって仕切られた菅浦の〈所〉は、いまも化石化した中世の港町の相貌を大よそそのままに伝えているといっても、決して過言ではあるまい。その意味で現在の菅浦は、町並、家の配置、樹木のあり方、小地名等々、そのまますべてが貴重な文化財である」(p.358)。

これは菅浦だけのことではないことを銘記しよう。鎌倉の八幡宮の大銀杏は有名だが、どの村にも記念碑的な意味をもつ樹木たちがいるし、樹木の植え方、植わっている樹木の種類そのものも、大切な歴史的な意味を含んでいることが多いのである。宅地造成などの名を借りて、あるいはごく些細な理由で、多くの樹木が切られてきた。ぼくたちは風景の読み方を忘れて久しいのではあるまいか。

【書誌情報】

網野善彦著作集〈第10巻〉海民の社会

ISBN:9784000926508 (4000926500)

■539p 21cm(A5)

岩波書店 (2007-07-10出版)

■販売価:4,725(税込) (本体価:4,500)

■目次

1 海の視点から(海からみた日本社会)

2 水上交通と地域(北国の社会と日本海;瀬戸内海交通の担い手;太平洋の海上交通と紀伊半島;中世前期の水上交通―常陸・北下総を中心に;海上交通の拠点―金沢氏・称名寺の場合)

3 海民・湖民の社会(古代・中世の海民;西海の海民社会;湖の民と惣の自治―近江国菅浦;菅浦の成立と変遷;霞ヶ浦・北浦―海民の社会と歴史;残された課題)

4 時国家調査(奥能登時国家文書をめぐって―調査の経緯と新史料の紹介;時国家と奥能登地域の調査―一九九〇年度の調査と史料の紹介;北陸の“あぜち”について―日本社会における隠居慣行の一事例)

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