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『中世都市論』網野善彦著作集(岩波書店)

中世都市論

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「中世都市の自律性」

やがて『無縁・公界・楽』の考察につながる網野の中世都市論の集成だが、日本の戦後の歴史学の全体を展望するにも役立つ一冊である。網野は中世都市論について、戦後の歴史学界に主として二つの潮流があったことを指摘している。

一つは西欧の中世都市との比較において、日本の中世都市を考察しようとするものであり、マルクス主義的な歴史学を含めて、日本の発展の「遅れ」や「歪み」を指摘するという傾向が顕著なものである。もちろんこうした比較論は、単に日本の特殊性を指摘するだけではなく、日本の社会にたいする批判のまなざしを含むという「功績」をそなえていたのはたしかである。

都市論においてはとくに、鎌倉期を中心する中世前記の都市は、「自給自足的な農村を基礎とする農工商未分化な社会であり、京・鎌倉などの都市は、当時の社会経済構造のなかでは補足的・従属的な意味しかもたない。それらは天皇・将軍の居所として、基本的には政治都市にほかならず、その意味で、依然として古代的な性格をもつ」(p.11)ことになる。

中世後期になって自由都市が成立するようになるが、やがては封建領主によって自由都市が制圧され、自由な都市はごく短期間で消滅し、「そこに日本の社会の〈アジア的〉な、また根強い専制的な特質が、あくまでも負の側面から強調される」(p.12)ことになるのである。網野はこうした歴史家として、福田徳三、羽仁五郎、遠藤元男、石母田正、永原慶二などの(ぼくたちにも馴染みの)名前をあげている。

この潮流の問題点は、京・鎌倉などの都市が中世都市としてもっていた意味を考察することができず、「平安末期から活発な活動が確認される供御人、神人」(p.12)などを把握することができないことにある。天皇と中世「賤民」が日本の「アジア的」な負の財産として評価されるばかりで、中世社会における独自の地位が確認されなのである。

こうした問題点を是正するために生まれた潮流が、これらの二つの要素に独自の位置づけを与えようとするものだった。中世の社会を自給自足的な社会とするのではなく、「当初から非自給的な部門がかなりの比重をもち、商工業のある程度の発展を前提としていた」(p.13)とみなすのである。この流れは、原田伴彦、黒田俊雄、横井清、脇田晴子などの歴史家に代表される流れであり、網野もまたここに連なると言える。

ただし網野はこの新しい潮流にもいくつかの問題点があると考えていた。それは都市の性格について考察が、現代の常識的な意味での都市を中心とするものであり、一見して「村」のように見える場所が中世においては「都市」の機能を果たしていたことが見逃されていること、そしてこうした隠れた都市においては、農民以外の人々の活動が非常に重要な地位をしめていたとみられることにある。

その具体的な例を示すのが、「近江国堅田」と「近江の船木北浜」の論文である。すでに著作集の『一〇巻』では琵琶湖の菅浦が自由な都市として自治を敷いていたことが指摘されていたが、同じく琵琶湖の「堅田」もまた「自治の町」であり、「市民的道徳」を堅持していた都市であったことが明らかになっていた(p.138)。網野はこの論文では、ごく初期の頃から一五世紀末に自治を失うまで、この町の自治の歴史をたどっていく。ついに一五九六年の検地によって、「堅田は〈村〉としての位置づけを確定された。堺と肩をならべた中世の自治都市堅田は、ここにその栄光ある歴史を終え、湖辺の一村落に転落したのである」(p.156)。

また琵琶湖の湖畔の小さな町「北船木」の考察では、最初にのべられた二つの潮流について批判が明確に示され、どちらの潮流でも自由という問題が十分に考察されていなかったことが批判される。自由にする「都市」という西洋のイメージがつよいあまりに、「自由・自治の問題そのものが、深く論議されることなく抜け落ち」る傾向があり、「日本中世において、都市の自由を問題にすること自体を、頭から否定しようとする傾向」も否定できないことが批判されるのである(p.170)。

この北船木の町は、「堺と肩をならべる」ような自治を確立することはできなかったもの、賀茂社を通じて天皇に服属することで、「諸国における自由な漁労、自由通行の特権」(p.174)を獲得していたのであり、公家を通じて、「公武権力の保証」をえることで、「中世の琵琶湖の秩序の中に、強固な地歩を確立」することができたのだった(p.175)。堅田は特権を天皇や鴨社に求めることになく、自治都市の特権を維持しようとしたが、北船木は天皇につながることで特権の保証を求めたのだった。

どの権威にもよらずに自律した都市としての地位を確保しようとする道と、天皇という権威によりかかることで、幕府の支配からのある程度の自律を維持しようとする二つの都市のありかたを比較しながら、網野はそこに「都市としての成熟度」(p.184)をみようとする。しかし幕府の権力と対立する天皇の権力に足場を求めることの両義的な意味は日本の歴史を貫いているのである。「人民生活そのものの中から否応なしに生まれてくる自治、平等、平和、無所有への本源的な希求・志向」が、ときにとして「天皇の支配権を含む統治権的支配原理」(p.126)と対立するものでありながら、それに依拠してしまう矛盾を含んでいることは否定できない。

また網野は中世の後期にはすでに資本主義が源流が誕生していたと考えていることも、この都市の自律と無関係ではない。封建社会に安住するのではなく、「活発な商業、金融などの流通、安定した信用経済を支える〈市場原理〉がある程度まで貫徹していたこと明らかであり、〈資本主義〉の源流はどのとように遅く見ても、ここまではさかのぼって考える必要がある」(p.213)とみられるのであり、それでなければ「自律」という言葉もむなしいものとなるだろう。

【書誌情報】

網野善彦著作集〈第13巻〉中世都市論

ISBN:9784000926539 (4000926535)

■464p 21cm(A5)

岩波書店 (2007-05-10出版)

■網野 善彦【著】

■目次

1 日本中世都市の世界(中世都市研究の現状と課題;中世都市論;鎌倉の「地」と地奉行;中世都市研究の問題点と展望)

2 京都の支配と周縁的世界(古代・中世の悲田院をめぐって;検非違使の所領;造酒司酒麹役の成立―室町幕府酒屋役の前提;元亨の神人公事停止令について;建武の所出二十分一進済令)

3 都市の生活と起源(中世民衆生活の様相;都市の起源―今、なぜ一の谷か;事典項目 河原)


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