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『高い城・文学エッセイ』 スタニスワフ・レム (国書刊行会)

高い城・文学エッセイ

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 レムの自伝『高い城』に10編のエッセイをくわえた本で、「レム・コレクション」独自の編集である。

 まず『高い城』だが、自伝といってもギムナジュウムまでで、普通の自伝を期待すると肩すかしをくらわされる(普通の自伝を読みたい人にはエッセイ編におさめられている「偶然と秩序の間で」が用意されている)。

 しかも、時代的背景はいっさい無視して、もっぱらオモチャ中心に子供時代の思い出を語っているのである。科学者にして強靭な思索家というレムのイメージからはかけ離れた内容だが、分解魔として物に固着するあたり、レムらしいといえばいえる。

 物に固着した書き方はナボコフの自伝『記憶よ、語れ』に一脈通じるところがある。両者とも裕福な家庭に生まれ、ハイカラな物に囲まれて育った点が共通する。

 裕福とはいっても、レムの父親は耳鼻咽喉科の町医者であり、家も六部屋のアパートメントで、ナボコフのような大邸宅に住む貴族とは違うし、レムは普通に学校に通って友人を作っている。しかし、人間よりも物に親近感を感じているのは明白であって、そのあたりナボコフと似ているのである。十歳の頃の恋に固着している点もナボコフ的といえるかもしれない。

 エッセイ編は最初に自伝的エッセイ「偶然と秩序の間で」が置かれ、次に文学理論を語った「SFの構造分析」など3編がつづき、その後に「ドストエフスキーに遺憾なく」以下の作家論がならんでいる。

 「偶然と秩序の間で」は40頁ほどの長さだが、子供時代から作家時代までをカバーし、同時代の作家とのつかいにもふれていて、『高い城』にフラストレーションを感じた人も満足できる内容になっている。

 「SFの構造分析」以下の理論的なエッセイはつまらない。フランス構造主義を意識しているが、「構造」という言葉を自然科学でいう「構造」と混同しているのではないか。トドロフ批判もあるが、トドロフはただの分類屋にすぎず、構造主義の代表者ではない。

 作家論はどれもおもしろい。ドストエフスキー論とウェルズ論とボルヘス論はあまり中味がないが、先達者として深く敬愛していることは伝わってくる。

 「ロリータ、あるいはスタヴローギンとベアトリーチェ」というナボコフ論は一番意外な文章だった。ナボコフドストエフスキー嫌いで有名だが、こともあろうにそのナボコフドストエフスキーを引きあいに出して、屈折した褒め方をしているのである。レムは10歳の時の失恋体験をハンバート・ハンバートに投影しているふしがある。レムとナボコフという組みあわせは意外だが、『高い城』を読んだ後では、それもありかなと思う。

 ストルガツキー兄弟の『ストーカー』論は手離しに褒めすぎていて、眉に唾をつけたくなる。

 一方、「フィリップ・K・ディック――にせ者たちに取り巻かれた幻視者」というディック論は嫉妬がちらちらしていて、高く買っていることがよくわかる。

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