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『アザンデ人の世界―妖術・託宣・呪術』エヴァンズ=プリチャード(みすず書房)

アザンデ人の世界―妖術・託宣・呪術

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「妖術の論理学」

出版年は少し古くなるが、アザンデ人の世界における呪術の意味を詳細に考察したエヴァンス・プリチャードの古典的な著作で、いまなお読み応えがある。ヨーロッパの世界の住人であれば、偶然としか考えないところで、アザンデの人々は呪術の作用を読みとる。それはオカルト的な世界観というよりは、出来事の読み方における次元の違いといったものらしい。

さまざまな出来事を自然の因果関係または偶然として解釈するのではなく、呪術で説明する理由について尋ねられたら、アザンデ人はきっと「自分たちは自然の因果関係を信じるが、それが偶然の一致を十分に説明してくれるとは考えない。自分たちには妖術の理論がそれらをうまく説明しているように思える」(p.83)と答えるだろとエヴァンス・プリチャードは説明している。

穀物小屋が倒壊して、何人かの人が下敷きになったとしよう。アザンデの人々も、支柱が白蟻に食われること、固い木でもやがては腐ることは知っている。しかしある人が小屋の中にいるときに、その小屋が倒壊する理由は、こうした因果関係では到底説明できない。なぜこの時に、なぜこの人がいる瞬間に、小屋が倒壊しなければならなかったのかは、こうした因果関係ではどうしても説明できないのである。

その欠落を埋めるのが妖術という説明方法であり、西洋の世界の人々はそうした説明方法を信じていないために、それに対処できないとアザンデ人はいうだろう。偶然や運命という「神」に代わるのが、アザンデでは妖術なのであり、これは託宣と呪術によって避けることができるはずのものだというのが、アザンデの人々の思考方法である。

そして奇妙なことに、アザンデの人々はこうした託宣をおこなっているときこそが、至福のときなのだという。「アザンデ人は託宣を操作しているときが最高に幸せなのだ」(p.105)。占いの託宣をするためには、鶏に毒を飲ませる必要があり、占いは何度も問う必要があるために、毒を飲ませる鶏の数も多くなる。だから「カゴいっぱいのニワトリと、たっぷりの毒を用意して自分の健康や家族の幸せ、仕事の順調さについて念入りに伺いをたてながらブッシュで過ごす朝の時間ほど彼らの心を喜びで充たすものはない」(ibid.)のだという。

そしてエヴァンス・プリチャードもみずから占いをするようになったが、ほとんどつねに妥当で納得のできる結果が得られたというからおもしろい。それでも託宣があたらないか、矛盾したことを語ることがある。そんなときにもアザンデ人はさまざまな理由をみいだしてくる。(1)間違った毒草を採取してきた、(2)タブーを犯した、(3)妖術が働いている、(4)蔓草の生えていた森の所有者が怒っている、(5)毒が古くなっていた、(6)死霊が怒っている、(7)邪術がかけられている、(8)毒が使用済みだった(p.380)。主体の責任、敵対者の責任、第三者の責任と、これだけ言い訳があったら、どんな矛盾した結果でも説明できるのはたしかだ。

そしてアザンデの人々は、法で解決できるときに呪術を使うことはない。「もし自分の妻と不倫を犯した男が誰だかわかっていたら、あるいは槍を盗んだのが誰だかわかっていたら、あるいは親族の人間を殺したのが誰だかわかっていたら、法廷に持ち出せばよい。呪術を使う必要はない。犯罪を犯したのが誰だかわからないときにのみ、そのわからない相手に向かって用いるのが呪術なのである」(p.451)。

呪術をかけている人物が判明したら、その人物に呪術を解いてもらう簡単な儀式がある。そう頼まれたら、自分に覚えがなくても、その儀式で呪術を解くのが礼儀だという。誰もが呪術をかけるような嫉妬心を抱く可能性があり、潜在的には誰もが呪術師になりうる。だから儀式を拒むべきではないのだという。エヴァンス・プリチャードはアザンデ人は呪術について西洋の正義に近い語彙で語ると指摘しているが、人間関係をコントロールする巧みな手段として使われているらしい。

ただしこうした呪術は昔から流行していたわけではないようだ。ヨーロッパの支配が始まってから、「呪術は消えるどころか、どの局面て見ても大きく膨らんでいる」(p.513)という。実際に「ヨーロッパの植民地政府自体が呪術の目的や代理となっている」のだとすると、新しい社会的な変動に対処するために、呪術が利用されているという面もあることになる。

これは新しい現象である秘密結社についてもあてはまる。以前は存在していなかった秘密結社には、女性も参加することができる。伝統的な呪術からは女性は排除されていたが、「女が男と対等に参加し、ときには男の保証人となり、役職にもつき、ときには支部長にさえなる」ことは、結社が「既存の行動規範に抵触する社会集団である」(p.595)ことを示している。

それだけではない。結社には老人は参加しないことになっており、ときに参加しても、口にしないことになっている。アザンデ人の社会は老人支配の社会であるだけに、ここにも反社会的な要素が確認できる。また結社には貴族は参加しないことになっていて、参加しても支配することはできない。結社は「貴族の特権を否定する」(p.596)意味をもっているのである。

六〇〇ページと、長くて厚い本であるが、じっくりと読んでいると、アザンデ人のメンタリティがじわってわかってきて、つい微笑みたくなったりする。他なる社会の人々と、他なる論理を理解するためには時間も必要だが、報われることも多いものだ。

【書誌情報】

■アザンデ人の世界―妖術・託宣・呪術

■630,29p 21cm(A5

みすず書房 (2001-01-05出版)

エヴァンズ=プリチャード,E.E.【著】向井 元子【訳】

■[A5 判] NDC分類:389.44 販売価:\12,600(税込) (本体価:\12,000)

ISBN:9784622038412 (4622038412)

■目次

第1部 妖術(妖術は身体的、遺伝的な現象;妖物は開腹によって見つけられる;妖術と結びつけられる他の邪悪な存在;妖術の概念は不運な出来事を説明する;妖術に対抗する行為は社会的に規制されている;不運に見舞われた人は敵対者のなかに妖術師を探す;人は憎しみを抱いたとき他者に妖術をかける;妖術師は意識的に行動するのか;妖術と夢)

第2部 妖術医(妖術医はいかにして妖術を解くか;妖術医に対するアザンデ人の信頼;新しく妖術医にしたてるための訓練;アザンデ社会における妖術医の地位)

第3部 託宣(日常生活における毒託宣;毒の採取;毒託宣に伺いをたてる;毒託宣に伺いをたてることから生じる問題;他の託宣の方法)

第4部 呪術(善い呪術と邪術;呪術と呪術師;治療術;呪術を行うための結社;死の状況下における妖術、託宣、呪術)

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