『深い謎―ヘーゲル,ニーチェとユダヤ人』ヨベル,イルミヤフ(法政大学出版局)
「ユダヤ人問題の謎」
この書物のタイトルは、ヘーゲルのユダヤ教とのかかわりについて、伝記作者のローゼンクランツが「ユダヤ教はヘーゲルをひきつけるとともに、彼に不快な思いをさせる不快な謎だった」(p.27)と語っていることによる。初期のヘーゲルがキリスト教の実定性を考察しながら、かなり激しい反ユダヤ主義的な表現をしているのは、あまり知られていないかもしれない。
ヘーゲルは族長アブラハムを「地上の異邦人、大地とも人々とも異質な存在」(p.49)と呼んで、パセティックなほどにユダヤ教の精神では、神を絶対的な他者として描くのである。著者はその背景に、スピノザとメンデルスゾーンのユダヤ教の取扱いかたがあったと考える。どちらもユダヤ教を宗教というよりも、制度として把握していたからである。ヘーゲルはそこからユダヤ教は精神性の欠如した制度にすぎないと断罪したのだった。ただこうした反ユダヤ主義は、キリスト教の社会ではかなり自然に生まれるものらしく、それをいかに克服していくかが、哲学者の課題の一つとなる。
イエナ時代の『精神現象学』では、ユダヤ教は奇妙なほどに姿を消す。わずかに言及されているところでは、ユダヤ民族について、「彼らが救済の門の直前にたっているからこそもっとも神に見放され、本来あるべき在り方を拒否してきた」(p.76)と指摘している。古代のユダヤ民族は救済の門、すなわちイエスを前にしながら、イエスを救世主として受け入れることを拒んだというのであり、だからこそもっとも神に見放された民族だというのである。これは「ユダヤ人の歴史からの脱落には救いがない」(p.77)ということを意味しているのであり、初期の反ユダヤ主義が歴史観として表現されていると言えるだろう。
後期になると、『歴史哲学』においてユダヤが登場するが、今度はかなり抑えられたトーンになっている。ユダヤ教に重要な役割を与えているのだ。「ユダヤ教が自然からの根本的な断絶をもたらしたおかげで、精神は自然にとって代わり、自然と対立することができるたようになった」(p.85)と考えるのである。この時期に美学においてはユダヤ教は「崇高なもの」の概念とともに提起されるようになる。これは初期に絶対的な異質なものと考えられていた神を「崇高」(p.103)の概念で考えるようになったということであり、一つの進歩である。
いずれにしても、カフカを思わせる掟の門前の前に立ち尽くすユダヤ民族のイメージはそのまま維持されているのであり、「恐怖、疎外、支配、非合理性、他律などの基本的な不正や欠陥のすべてをユダヤ教の中に詰め込んでいる」(p.114)のはたしかと言えるだろう。
これにたいしてニーチェは、初期の素朴な反ユダヤ主義を克服した。著者はヨーロッパの哲学者では珍しい例だと考えている(ちなみに著者は名前からも分かるようにユダヤ人であり、エルサレムのヘブライ大学の哲学教授である)。そしてニーチェは狂気によって意識を喪失する時期まで、ドイツの反ユダヤ主義的な論調を激しく攻撃しつづけるのである。
ニーチェのユダヤ教への見解は二つの側面をもつ。古代のユダヤ教とディアスポラのユダヤ教にたいしては高く評価し、第二神殿期のユダヤ教は激しく非難するのである。第二神殿期というのは、ユダヤ教が「律法主義的な特徴」(p.216)を帯びた時期であり、キリスト教の成立期である。
そもそもキリスト教はこの第二神殿期に、ユダヤ教のファリサイ派の過激派として成立したのであり、この時期のユダヤ教をルサンチマンの論理で批判するとき、ニーチェはそのままキリスト教を一緒に批判しているのである。ユダヤ教批判は、キリスト教批判の「仮面」でもあった。ルサンチマン批判は道徳の系譜学の重要なモチーフであり、ニーチェのニヒリズム批判の根拠でもある。それだけにこの時期のユダヤ教批判は激しくなる。
これにたいして、ローマ帝国に抵抗して激しいユダヤ戦争を展開したユダヤ人たち、そしてすぐれた才能で当時のヨーロッパの文明を向上させていたディアスポラのユダヤ人たちにたいしては、ニーチェは称賛の姿勢を崩していない。ニーチェが何よりも評価したのは「たえざる苦難の旅にあってもユダヤ人が捨てない生の肯定」(p.244)にあった。「生に潜む可能性を展開して生に価値を与えるユダヤ人の生き方」はニーチェを感服させたのであった。
そしてニーチェにとってはユダヤ人は「超人」が登場するきっかけとなりうるもの(p.248)であった。ニーチェが夢想した体制変革は「キリスト教から開放されたユダヤ人という強力な人間集団」なしでは不可能と思えたのである。ユダヤ人なしではヨーロッパは自己改革を行えないだろうと考えていたのだ。
なお「謎」という言葉は、ヘーゲルだけに当てはまるものとして考えられているのではなく、ユダヤ人問題が「ヨーロッパ人自身のアイデンティティの問題が写しだされている」(p.xi)鏡のような役割をはたしていることともかかわりがある。どの民族にも、考えたくない問いのようなものがあるものだ。ヨーロッパにとってはユダヤ人問題がその問いの一つであり、この問題への姿勢がその民族のアイデンティティを裏側から作りだすのである。日本にもそうした問題がいくつかあるだろう。
【書誌情報】
■ヨベル,イルミヤフ【著】
■青木隆嘉【訳】
■2002/03/15
■315,21p / 19cm / B6
■ISBN 9784588007323
■定価 3990円