『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒』菅瀬晶子(山川出版社)
人口の99%以上がイスラーム教徒である中東において、キリスト教徒などとるに足らない存在にすぎなく、研究する価値などないように思うかもしれない。本来、まったく無視してもいい人はひとりもいないのだが、マイノリティのなかには、社会への影響という点において、マジョリティの人びとと大差なくあまり存在感のない人びともいれば、数において少数であっても大きな存在感のある人びともいる。中東のキリスト教徒は、後者である。
著者、菅瀬晶子は、中東のキリスト教について、つぎのように紹介している。「ユダヤ教の一分派として誕生したキリスト教が、独自の聖典であるギリシャ語の七〇人訳聖書を掲げてユダヤ教から正式に分離したのが、イエスの死後およそ七〇年をへた紀元一世紀末のことである。その後教会は幾多の分裂を繰り返し、現在にいたっているが、とりわけ中東には初期の頃に分派し、ヨーロッパで発達したローマ・カトリック教会やプロテスタント教会諸派とはまったく異なる道を歩んだ教派が、数多く残っている」。
本書は、3章からなる。著者は、「まず第1章では、じつは数多い中東のキリスト教の諸教派について、その歴史と特徴を簡単に紹介してゆく。続く第2章では、キリスト教徒が具体的にはどのような人びとなのかを、衣食住など可視的なものからアイデンティティをめぐる精神的なものまで、さまざまな実例をあげて説明する。彼らの隣人であるムスリムとの対比と、彼らのアイデンティティのあり方がおもなテーマとなる」。「第3章では、キリスト教徒たちが中東の近代化から今日にいたるまではたしてきた役割と、今後の展望について述べる」。
アラブ人と言えば、アラブ語を話すイスラーム教徒だという印象が強いが、第3章のタイトル「アラブ・ナショナリズムとキリスト教」が示すとおり、近代ナショナリズムの形成にキリスト教徒が重要な役割を果たした。「アラブ・ナショナリズムは十九世紀中葉、オスマン帝国治下の東地中海地域で産声をあげ、二十世紀中葉に大きな飛躍をとげるが、じつはその初期段階でリーダーシップをとった者の多くがキリスト教徒であった」。キリスト教徒の知識人や政治家のなかには、ヨーロッパ式の近代的な教育を受けた者もおり、アラビア語復興運動などナショナリズムの担い手となった。
サッダーム・フセインに率いられたイラク・バアス党は、イラク戦争後事実上解党されたが、「復興」を意味するバアスを最初に掲げて党を結成したシリアでは、現在も健在であり、そのシリア・バアス党の生みの親とされるミシェール・アフラクも、キリスト教徒であった。アフラクをはじめ、キリスト教徒のアラブ・ナショナリストは、「他者を拒絶する父系親族集団への執着心や、マイノリティとしてのキリスト教徒アイデンティティの負の側面、すなわち自宗教、教派至上主義とからみ合うことによって、ムスリムやユダヤ教徒、さらには他教派のキリスト教徒に対する拒絶」するという根深い問題を乗り越えて、パン=アラブ主義を主張した。
また、プロテスタント諸派の付設学校を卒業した富裕層の子弟のなかから、多数の著名人が排出した。なかでも、『オリエンタリズム』『文化と帝国主義』などの著者として知られ、ポストコロニアリズム理論の第一人者となったエドワード・サイードが有名である。
これだけ中東で存在感のあった人びとを生み出したキリスト教会も、衰退に向かっているとささやかれるようになった。それにたいして、著者はつぎのように単純に同意しない。「教会の礎が末端の一般信徒たちである以上、少なくとも中東のキリスト教会は続いてゆくであろう。なにしろ中東のキリスト教徒は、とにかく粘り強い。ビザンツ帝国による弾圧やイスラームの伝播によるマイノリティへの転落など、度重なる苦難にも耐えて生き残りつづけてきたのである。それどころか、中東史の重大な局面において、キリスト教徒たちはつねに時代を牽引してきた。そのような偉大な先人たちが、中東全体のよりよい未来をめざして活動しながら、一方でキリスト教徒としてのアイデンティティを強く意識し、そこに誇りを見出していたことは、すでに[本書で]述べてきたとおりである」。
こうみてくると、「アラブ」が宗教より上位にあるかぎり、中東のキリスト教徒は存在感を示しながら存続することが予想できる。それも、キリスト教徒とイスラーム教徒とが互いにわかりあえる「近親関係」にあるからだろう。