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『天才を生んだ孤独な少年期 ダ・ヴィンチからジョブズまで』熊谷高幸(新曜社)

天才を生んだ孤独な少年期 ダ・ヴィンチからジョブズまで

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「天才と孤独」

 本書(熊谷高幸著『天才を生んだ孤独な少年期―ダ・ヴィンチからジョブズまで』新曜社、2015年)の存在を知ったのは地元紙の読書面に短い紹介が出ていたからだが、「天才と孤独」というテーマには惹きつけられる。著者は自閉症の研究に長年従事している専門家なので、この問題の解明にも心理学的なアプローチを採用している。

 著者は、天才の人生期を「第一期 天才的な仕事を始める前の少年期」「第二期 天才的な仕事の形成期」「第三期 天才的な仕事が世に認められてから」の三期に分けているが(同書、3ページ)、「共有」の世界に依存している通常の人と違って、「非共有」の世界を生み出そうとする天才と少年期の孤独とは深い関係があるというのが、著者の基本的な立場である。

 ふつうの子供は大人の庇護を受けながら共有世界のなかで生きる術を学ぶが、本書に登場するような天才たち(ダ・ヴィンチニュートン夏目漱石など)のなかには、両親の愛情に恵まれず、自らの力で独自の世界観を築き上げなければなかった者が少なくない。もちろん、天才たちも完全な「孤立無援」というわけではなく、然るべきときに然るべき支援者が登場しているものだが、孤独の中で「固有の心の成長」を遂げ、非共有の世界を切り開いた。

 ところで、著者が自閉症の専門家であることは前に触れたが、自閉症者は主に非共有の世界に生きている人々である。だが、著者によれば、共有世界から断絶している自閉症者と違って、天才は非共有の世界を築きながらも共有世界との接触を失っているわけではない。ところが、自閉症者は驚異的なカレンダー記憶で優れた認知世界をつくることはあり得るが、彼らがカレンダーの仕組み自体を自分で創造したのではないと(同書、9-10ページ)。

 著者は、次に、自閉症者よりは通常人寄りだが、アスペルガー症候群ADHD注意欠陥多動性障害)の人々も基本的な特性が自閉症者と類似していることに注目する(最近の診断基準では、「自閉症スペクトラム」という名称で括られるようになった)。彼らは「心の理論」によれば「人の心を読もうとしない」がゆえに人と人との認知の共有部分を作りにくい。本書に取り上げられている天才たちのなかも、いろいろな証言や資料を参照すると、アスペルガー症候群の「近辺」にいたと推察される者がいるが(ダ・ヴィンチジョブズなど)、天才は「非共有世界で生み出した成果を共有世界へと返していく」ので、「非共有世界に止まることなく、共有世界とのズレを小さくしていく努力をしていた」という(同書、17ページ)。

 自閉症スペクトラムと脳の特性との関係(「システム」を求める傾向のある男性脳のほうが「共感」を求める傾向のある女性脳よりも自閉症を生みやすいこと)も知られるようになったが、「システム志向」と「共感性」のあいだのバランスはなかなか微妙で、そのバランスが崩れるとなんらかの障害が生じやすい(同書、18-19ページ)。

 著者はさらに自閉症ADHDの人々と感覚過敏との関係にも触れているが、天才たちのなかにも明らかに感覚過敏であったと推察される者が少なくない(靴下をはかず、シャツの袖口を切り取っていたアインシュタインの例のように)。だが、感覚過敏も優れた絵画や音楽の才能につながる一方で、不快な感覚や体験が予期不安を生み出し、物事の全体的な関係を見失う場合もある(同書、21ページ)。「つまり、天才とは際どい均衡の上に成り立っているといえるだろう」という著者の言葉には説得力がある(同書、22ページ)。

 本書に登場するダ・ヴィンチニュートンエジソン夏目漱石アインシュタインジョブズたちは、いずれも「天才」の名に恥じない人たちばかりだが、著者は、最後のまとめの章で具体例から得られた天才の特性を六つにまとめている(同書、185-186ページ)。

「1 孤独な少年期を送る。 2 自閉症スペクトラムADHDなどに通じる心理特性をもつ。 3 同化が調整よりも優位な認知の特性をもつ。 4 学校教育との相性が悪い。 5 支援者が現れ助けられる。 6 外側からの視点をもつ。」

 「最高の思考は孤独の中で生まれる」(エジソン)とか、「ハングリーであれ。愚かであれ!」(ジョブズ)とかいう言葉は、すべての場合に天才につながるとは限らないが、天才たちが「外側からの視点」をもち、「広い視野」のなかで「イメージを自由に遊ばせることによって創造物を生みだした」という著者の指摘は当たっているのではないだろうか(同書、193ページ)。もちろん、私の専門分野(経済学)でいうと、天才たちも過去や現代の伝統的思考から全く断絶して「革新」を成し遂げたとは言い難いが、「正統」や「伝統」から一歩踏み出して新たな道を切り開くには、著者がいうような「外側の視点」が必要なことに異論はない。興味深い天才論である。


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