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山尾悠子さん特別寄稿エッセイ

こんにちは。今回は、「ピクベス!2010」ランキング第1位とさせていただきました『夢の遠近法 山尾悠子初期作品選』(国書刊行会)の著者である、山尾悠子さまより特別寄稿していただいた「夢の遠近法あるいは書店熱のこと」というエッセイを公開させていただきたいと思います。

夢の遠近法あるいは書店熱のこと

山尾悠子

 特別な街の特別な書店というものは、本好きならば誰にでもあるのかもしれない。私にもそれがあったのは学生時代、三十年以上も前のことで、店は今はない。それでも店名を思い浮かべるだけで、アドレナリンが暴走するほど思いつめ通い詰めた当時の光景が眼に浮かぶ。古都の繁華街に面したK書院の一階はやや一般的な品揃え、目当ての書棚は階段を上がった二階にあり、この階段をいつか一回は転げ落ちるのではないかという危惧がずっとあったのを覚えている。慎重に手摺に手を置いて段を上るあいだにも心拍は期待に高まり、さてと書棚に眼を凝らし、うわっTKの新刊がまた出ている、と確認する頃にはすっかり取り乱している有り様。大型の箱入り豪華本が毎月一冊か二箇月に三冊のペースで出ていた作家に当時は夢中になっていて、夏休みなどに帰省すると地方の書店では絶対にお眼にかかれないものだから、K市にいる間はとにかく食事抜きで本を買う、貧血してへたりこもうが買う、鬱蒼とした著作群を我が物とするためならば脳内麻薬は確かに出たのだった。彦の字の尻尾が竜の落とし子のようにくるりと巻いたSTのサイン本を購入したのもここ、ここでしか買えないあらゆる本にこの場で出会い、高額すぎて我が物とできない本をこの場で恨めしく撫で擦ったものだ。

 その若い頃に書いた下手な小説を、数十年も経ってから無闇に高価な全集本として出版することになった時、分不相応、僭越、それより何より申し訳なさに身の置き所がない気分になったのは当然というべきことだった。まさか貧血してへたりこむ人などは。心配するうちに『山尾悠子作品集成』は予想外に版を重ね、しかしここへ来て軽量廉価版『夢の遠近法』を別に出すことができたので、ようやく少しばかり安堵した次第。版元の考えとしては特に若い人のためとか。私が若い頃に出会った豪華絢爛な面子には及びもしないが、ごく若い人間が夢想でいっぱいになった頭で書いた本としてもしも親近感を持って頂けるようならば望外の喜びなのである。

「ピクベス!2010」フェアは2月20日(日)まで開催中です。