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『カブラの冬-第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』藤原辰史(人文書院)

カブラの冬-第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆

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 著者、藤原辰史は悩む。世界全体で飢餓人口9億2500万と試算される現状のなかで、「ヨーロッパの一国が一時期体験したにすぎない飢餓の事実は読者の目にあまりに小さく映るのではないか」。「経済大国ドイツの飢餓の状況を経済大国日本で紹介することにどれほどの意味があるのか」。「結局は、「先進国」中心主義的な見方を補強することになりはしないか」。この著者の真摯な悩みを、本書のもととなった講義の受講生や講演会の聴衆は、しっかり受けとめた。その理由は、本書を読めばわかる。


 第一次世界大戦がはじまった翌年の1915年から休戦協定が成立した18年までのドイツの餓死者は、76万2796人であった。ここには兵士は含まれない。食料輸入大国ドイツは、生命線としての輸送網を、イギリスの海上封鎖などによって断たれ、「兵糧攻め」にあった。その結果、1915年の「豚殺し」と1916年から17年にかけての「カブラの冬」がおこった。「豚殺し」は、家畜の飼料用穀物やジャガイモを人間の食料に回すためにおこり、その標的はとくに消費量の多い豚に向けられた。いっぽう、輸入に頼る必要のなかったジャガイモは1916年の凶作で収穫高が激減し、都市下層民の主食は味の悪いルタバカ(スウェーデンカブ)になった。ともに政策の失敗もあって、食糧危機を深刻なものにした。この食糧難を、ドイツ史研究者は「カブラの冬」と呼んできた。


 本書の目的は、「はじめに」で「この飢饉の内実を紹介し、さらにこの歴史的意義を考察することである」と述べられている。そして、「結論」がつぎのように続いている。「第1章以降に述べていくように、飢饉は、平時に沈潜していた社会の矛盾、農業生産構造や食料配分システムの脆弱性、そして飢える民衆の声を議会に反映できない政治システムを可視化させた。これまで遠い存在でしかなかった国家が身近な存在になった。戦時中に広がった低所得者層と高所得者層の食の不平等は、そもそも戦前から存在していた。つまり、大戦期の食糧問題を知ることは、「生命の保障」、そのために必要な「食の配分」、さらに配分の公平さを担保する「代表」という三つの根源的政治問題を見つめ直すことにつながるのである。ドイツ革命が、戦争の終結を訴えるばかりでなく、生命基盤を提供できない政府の無能に対し不信を突きつけたように。ここでは、食べものという人間の根源から、政治の原型ともいうべき「生命」を軸に「配分」と「代表」という問題が日常のなかで自然にかつ直接的に現れてくる過程を描いていきたい。そして結論を先取りしていえば、こうした大戦中の政治の原点回帰の経験が、生命活動の維持と拡大に政治を集中させていくようなナチズムを生みだす土壌になったのである。ナチスは飢饉から多くを学び、食糧政策に反映させ、自給自足を唱えたのである」。


 著者は、以上の視角から、「日本の読者にはまだ馴染みの薄い大戦期ドイツの飢饉の事実を、当時の新聞や文献あるいは欧米や日本での研究の成果に依拠しつつ紹介・整理し」、「まず、ドイツで発生した飢饉の原因(第1章)と実態(第2章と第3章)、つぎに、民衆のプロテスト(第4章)、さらにはその後の時代への影響(第5章)」と、章ごとに具体的に説明し、食糧を通じて、第一次世界大戦から第二次世界大戦への連続性を明らかにしている。


 「おわりに-ドイツの飢饉の歴史的位置」では、「1 交戦国の食糧状況概観」後、著者は「2 「カブラの冬」の遺産」について「ドイツの飢饉の歴史的布置、とくに後史との関係」として、つぎのように考えを述べている。「第一に、七六万人の餓死者が出たにもかかわらず、また、あれほど頻繁に暴動が発生したにもかかわらず、ロシアのような社会主義革命が成立しなかったことが重要である」。「第二に、ドイツがイギリスを海上封鎖できなかったこと、同盟国の海軍力が連合国よりも弱かったことが大戦とその後史において決定的だった、ということの重要性はあらためて確認されるべきだろう」。「第三の歴史的意味は、飢饉の記憶と封鎖シンドロームが、戦後ドイツのナチズムに至る迷走に大きく影響を及ぼしたことである」。


 そして、つぎのように本書を結んでいる。「休戦協定によって戦闘は終わり、講和条約によって戦争は終わった。しかし、戦争と飢饉がもたらした不信や憎悪や亀裂は簡単には消えなかった。フランスのドイツに対する莫大な賠償金がナチスをもたらした、ということはしばしば指摘される。これが、大戦が不時着した理由の一つであることは疑いをえない。しかしながら、大戦が終わり損ねた原因としてより重要だと思われるのは、ドイツ民衆の「食べものの恨み」がもたらした無数の亀裂である。これが、ほとんど修復されぬまま経済的復興を遂げたことが、戦間期ドイツの歩みを、徐々にナチズムへと向かわせたのである」。


 しかし、著者がもっとも気にしていたのは、このような学問的歴史的な位置づけではないだろう。「はじめに」で述べている「ある少年は、親のパンを盗み食いし、しかられるのが嫌で首を吊る」ということが、書きながら頭から離れなかったのだろう。まず表紙に、ケーテ・コルヴィッツの「夫の戦死を知った妻の絶望が描かれている」画を選び、「銃後に残された多くの妻やその子どもたちが、飢餓に苦しめられた」ことを想像させる。第3章「日常生活の崩壊過程」の扉は、「ドイツの子どもたちが飢えている!」画であり、「5 子どもたち-犯罪と病気」では、最大の犠牲者が子どもであったことを具体的に述べている。そして、第5章「飢饉からナチズムへ」でも、「僕たちを飢えさせないで!」と書かれ、子どもがパンを抱えながら食べているポスターを掲載している。講義の受講生や講演会の聴衆が真剣に聞き入った理由が、ここにある。著者の悩みは、二度と「ある少年」のような少年がでないために、自分になにができるか、である。


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