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『ぼくたちの外国語学部』黒田龍之助(三修社)

ぼくたちの外国語学部

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「その他の外国語」の話をしよう」

新学期、語学を新しく始めた人も多いだろう。もっとも、「外国語」というと今日も世間は「英語」「英語」と喧しい。猫も杓子もTOEICTOEFLの点数を気にする世の中では、「その他の外国語」の居場所はますます小さくなる一方だ。語学は英語だけじゃないよ!と声を大にして言いたい人はこの本を読もう。(やっぱり英語が気になる人も読んでください。旧著『ぼくたちの英語』もすばらしいですよ。)


この時代に、黒田龍之助さんの存在は貴重だ。数多くの言語に通じ、言語学のバックグラウンドもあって、多様なことばの世界の魅力を軽やかに語ってくださる。と言うと、亡き千野栄一さんが思い出されるが、その大きな空白を埋めているのが黒田さんなのだと勝手に思っている。千野さんの専門がチェコ語だったように、黒田さんもロシア語はじめスラブ系の言語に造詣が深いが、その語学のレパートリーの広さは驚異的だ。『世界の言語入門』(講談社現代新書)では、系統もさまざまな九十もの言語を一人で解説するという知的軽業を成し遂げている。黒田さんのエッセイを読んでいると、未知のことばに満ちているこの世界が、怖いよりも俄然、愉しくなってくる。「メジャー」な言語も「マイナー」な言語も分け隔てせず、どんな言語についても興味津々たる口調で語るその姿勢は、短兵急に「役に立つ」ことばかり追い求めてしまう風潮への静かな異議申し立てになっている。

この三月に出たばかりの新刊『ぼくたちの外国語学部』は、「外国語学部」に限らず、大学の語学教育に関係する、あるいは広く外国語を教えたり学んだりしている方々にはぜひ読んでいただきたい内容だと言っておきたい。英語以外に複数の言語を学ぶことの豊かさが、いずれもユニークな黒田さんの教え子たちのそれぞれのキャラクター、学びかた、相互の触れ合いを通して、浮かび上がってくる。語学だけではない、大学で学ぶって、こうゆうことだったよね、と久々に胸が熱くなるストーリーだった。するすると通読した後、ずしんとメッセージが響いてくる、絶妙な編集をされた出版社の方のお仕事にも拍手である。

今では、英語(とか中国語?)以外の「外国語」を専門とするのはやや勇気が要るかもしれない。大学の学部名の流行は時代を映すもので、文系としては人気のある方だと思っていた「外国語学部」だが、近頃では改組の動きもあるという。世間は語学をもてはやすかと思えば、世知辛くなると「語学ができるだけではダメ」と、すぐにハードルを上げたがる。言語は単なる「道具」で、それを使ってコミュニケーションしたり、ビジネスを進めることの方が大事というわけだ。言語それ自体への関心を深めたい学生にはさぞむずかしい時代だろう。

旧著でも書かれているように、黒田さんはお考えがあって数年前に大学を辞め、「フリーランス語学教師」として著作や講演を主に活動しているが、その後も非常勤講師として教壇に立つことがある。本書は、とある外国語学部(わかる人にはわかる書き方だが)で、黒田先生の言語学の講義に詰めかける学生多数の中でも、課外の「裏ゼミ」のメンバー五人を主な登場人物としている。黒田先生は専任でないから正規のゼミを持たない、だから「裏ゼミ」というわけだが、これがどうして本物のゼミ以上に濃い関係だ。はじめは、学生たちとの飲み会あり合宿ありの気さくな交流を綴る軽やかな筆致から、あれイマドキの大学生の青春グラフィティかいなとも思うが、いきなり大上段からの外国語教育論をぶつのでなく、等身大の学生のすがたを描きながら本題に迫っていく筆運びに、だんだん引き込まれていく。

各章は、「スギくんのインドネシア語」「クワくんのドイツ語」「ウメくんのハンガリー語」「フジくんのポーランド語」「サクラくんの日本語」といった具合に、登場人物(のニックネーム)と取り組んでいる言語の組み合わせがタイトルになっている。これだけでも多彩だが、彼らが学んでいる言語は他にもいろいろあることに注意して欲しい。たとえば、スギくんはインドネシア語専攻だが中国語やロシア語、そして結局はベンガル語も学ぶことになった。ウメくんはドイツ語専攻で、フランス語が副専攻だが、高校時代にハンガリー語を独学し、黒田先生の影響でチェコ語にも打ち込むが、行き着くところフィンランド語に志す。最初の興味が変わってきても、別の言語も深く学べるのが外国語学部のよいところだ。それぞれに多彩な言語を学ぶ学生たちに横のつながりができたら、どんなに楽しいだろうかと想像する。黒田先生の「裏ゼミ」の飲み会では、それぞれの言語で「乾杯」を言うことになっている。言語への開かれた扉が、そこここにあるのがすばらしい。(かなり先走ってしまうと、「最後の裏ゼミ、そして……」で、各自が『星の王子様』のインドネシア語版、ドイツ語版、ハンガリー語版、ポーランド語版、中国語版を、そして、黒田先生の指導で、ロシア語版、ベラルーシ語版を朗読する場面は圧巻だ。自分もそんな授業を受けたかった…。)

もちろん、外国語を楽しく勉強しているという話ばかりではない。三、四年生ともなれば、就職するか大学院に行くか、進路だって考えないといけない。社会と大学、自分とのギャップに悩まざるをえない。要領よく就活を乗り切る子もいるが、外国語学部の就職も一般にキビシイらしい。専攻言語とは無関係に英語教師を目指す子もいる(これは英語教育にとっても悪いことではないという話は『ぼくたちの英語』を参照)。大学院を志す学生に、黒田先生は「いろんなことを勉強して、それなりに覚悟を決めてからでも遅くない」と助言する。まず十分に勉強してみないと、研究テーマなんて見つからないものだし、研究者にもなれるわけがない。それなのに、大学一年生のときから夢を思い描いて実現するというストーリーに、本人も周囲も酔ってしまいがちだ。入っただけではわからないのが大学というところなのに…。わからないと言えば、これは本当につらい話なのだが、心の病を抱えて大学に通えなくなってしまった子もいる。さらには、教師にはどうにもできない家族や学費の問題。何かと相談に乗ってきた黒田先生は、なかなかできないことだが、それでも彼とつきあっていくことにする。「目的地なんていらないんだよ。行きたいほうへ行くだけ」と語りかけ、一緒に歩き、支え続ける。外国語を嫌いにならないでほしい、外国語をやっているうちは、人はまだ元気でいられるから…。この家族よりも濃い師弟の交わりは、大学を離れても続くだろう。言語も人も、一生ものの出会いがある。それだけで、大学に行ってよかったと思えるかもしれない。

楽しかった「裏ゼミ」も終わりを迎える。その大学の「外国語学部」は改組でなくなり、黒田先生も教壇を去る。最終講義的に「ぼくたちの外国語学部」を語る黒田先生の口調は、静かに熱を帯びる。外国語学部のよさは多様性。一つの言語だけでなく、いろんな外国語を学ぶことで、自分の言語観や世界観を広げることができる。本当は英語も含めて四つ以上の言語を学ぶのが望ましい。世間で言うように「留学」が絶対ではないし、踊らされずに自分に合った方法で学べばいい。学生のうちは「理論」よりも具体的な言語になるべく多く触れることが大切。そう思えばこそ自分なりの外国語学習と関わり合う「言語学」を貫いてきた。非常勤の立場で好きなことを言ってきたが、専任の先生たちが雑用に振り回されて忙しすぎる中で、学生と時間外もつきあって相談に乗る「暇」な教員も必要だ。もっと言えば、大学には「ちょっとアブナイ」ことも教えちゃう「無責任なオジサン」(「寅さん」的な)もいないと、面白くないよね。(最後はやや意訳。)

自分が学生だったら、こんな先生に習ってみたい。きっと新しい勤務先(別の「外国語学部」)にもモグりたくなる。「裏ゼミ」のメンバーたちは、皆TOEIC対策の「eラーニング」コースに抵抗感を示したという。そうゆう感覚がどのくらい共有されているか知らないが、スコアのための勉強だけでは抜け落ちてしまうものを彼らの物語が教えてくれる。それは「教養」と言ってもいいだろうが、社会に出ても染み出てくる無形の財産ではないだろうか。思い返せば、私自身も今や昔の高校生時代、もし外国語の大学に進んだらチェコ語をやってみたいなんて思っていた。結局そうはならなかったが、大学では第三外国語をいくつかかじったりしてはいたから、ここに出てくる学生さんたちがやりたいことはわかるし、それぞれにしっかり考えているのが頼もしく、また刺激を与え合う師弟の関係がうらやましかった。結局、社会に出てみると、ますます英語一辺倒になっていくなかで、英語もまだまだ勉強不足で、なかなか余裕がないのが現実だ。だが、本書を読んでから、あらためて「その他の外国語」とつきあい直したいと思わずにはいられなかった。さしあたり、何年も持ち越している目標を、今年こそ!まず、フランス語で『星の王子様』を読むこと(英訳と独訳でしか読んだことがない)。そして、今度こそはチェコ語を始めてみよう。

(営業企画部 野間健司)


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