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『先生とわたし』四方田犬彦(新潮社)

先生とわたし

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「怒る読者」

 この本を読んで怒っている人が結構いるそうである。理由は、少しずつ違うらしい。でも、読まされてしまったら負けだよな、という本でもある。何しろ、すごい筆力なのだ。


 本書は由良君美という英文学者を扱った評伝である。東大教養学部で教鞭をとった由良は、イギリスロマン派詩やゴシック小説といった分野では知る人ぞ知る存在で、何より本サイトでもおなじみの高山宏7月10日の書評で本書を取り上げている)、冨山太佳夫、そして四方田犬彦といった、一時代を画した文筆家・研究者の恩師として知られている。

 しかし、由良には敵も多かった。それは本人の問題によるところもあったのだろうが、1970年代から80年代という時代に日本の人文学が経験した軋みのようなものが、由良という個人に集約的に現れたとも見える。その重圧のもとで由良は身体を壊し、おそらく精神の病をも発症した。

 70年代とは日本では、たとえば構造主義精神分析といった批評の方法が一部の若手研究者により作品の分析に応用されるようになった時代であった。由良はそのもっとも先端的な実践者だったのである。若き由良の武器はそのアンテナと、おもしろくなりそうなものを見抜く眼力であった。そういう意味では由良は預言者めいたところのある人だった。つまり正確には、「実践者」というよりは「仲介者」。アンテナと眼力とを駆使し、欧米の学問動向に実に機敏に反応することで「広大で魅力的な知の世界が眼前に拡がっているのだ」と学生や同僚に向けてメッセージを発する、それが由良のスタイルだった。

 預言者の常で、その発言は魅力的、刺激的、挑発的だが、同時にいかがわしく、時には嘘も混じる。また預言者には「敵」が必要だった。たしかに70年代には、昔ながらの文学研究を行い、理論に拒絶反応を示す研究者が主流であった。しかし、彼らがみな、由良がときに呪いとともに描写したように退屈で不毛な仕事ばかりしていたわけではない。ただ、そうした「抵抗勢力」を踏み台にして、新派閥が盛んに発信するという構図がメディアの世界を中心に徐々に形を成したのがこの時代だったのである。80年代のニューアカがそうした潮流のひとつの逢着点であった。

 本書に書かれているのはたいへん狭い場所で起きたことである。東大教養学部の学生事情、ゼミの運営、英語教員の間のごたごた。中心部にあるのは、著者四方田とその「先生」たる由良との間に生じた微妙な感情のもつれ、確執、怨念など。著者の知名度を考慮しても、さすがに内輪すぎないか?という気がするかもしれない。しかも、重要な部分は、著者と由良との密室めいた空間の中で、誰にも知られずに発生している。口調から伝わるニュアンス、表情、伝聞、噂など、著者はこのたいへん狭い世界の事情を、独自の推論をたよりに再構成していく。その過程で、語りがその勢いを増していくのに伴い、言葉がフィクションめいた彩に飾られていく。「1968年は東京大学にとって受難の年であった」といった風な文体はともかく、本書の最大クライマックスと言えるエピソードが語られるときの口調には、過剰なほどの芝居がかったマナリズム――ほとんど夢野久作江戸川乱歩かというくらいの――が見える。

だが少し話が先に進みすぎてしまったようだ。わたしはここで、ある個人的な挿話を記しておきたいと思う。実は正直なところ、これから書こうとしていることはあまりにも微妙なことであるため、筆を向けることをいくたびか躊躇してきたことを告白しておきたい。

こうして抜き出してみると、その大げささばかりが目立つし、本書に怒った読者の少なくとも一部はこの辺が気に入らないのかもしれない。が、本文を通読してこの箇所にくると、もうとても本を投げ出すことができない、そういう力が働くのである。怒りつつも読んでしまう。

 なぜ、読みやめることができないのか。それはこうした部分へ至る過程で、実に緻密に細部を積み重ねた歴史語りがなされるからである。とりわけ哲学者として出発しながら神道研究にいれあげた父哲次をめぐる記述は圧巻である。ドイツ留学中にはカッシラーにまで師事した哲次は、戦時中は皇国思想にいれあげ、出版業に転ずるも貧乏生活に陥る。その後土地投機で莫大な金を手に入れるが、それをあっさり古代史研究機関に寄付してしまう。君美の向こうにそびえるこの父は、その野心においても、実行力においても、またその無惨な敗北においても、君美よりも一枚も二枚も上手だった。この父の存在が、本書の語りに「歴史」のなまなましさを呼びこんでいるのはたしかだ。

 しかし、である。やはり、本書の肝を成すのがたいへんプライベートな話であるのは間違いない。これほどプライベートなことを語るなら、ひとりの人間の内輪性を越える何か――普遍性とでもいうべきもの――がこの書物の対象、すなわち由良君美に備わっているのか?それがこの本に表現されているのか?といった問いも当然浮かぶ。果たしてどうか。

 筆者(つまり私ですが)はこの問いに答えることはできない。なぜなら筆者もまた、この本を読んで怒っている多くの読者と同じく(ただし、筆者は怒ってはいないのだが)、由良君美を間近に体験してしまった一人だからである。

 筆者の個人的な感想を言わせてもらうと、由良君美というのは見るからに不思議で、意味ありげで、おそろしげで、でも、まるきりインチキであってもおかしくないような、ひょっとするとすごく弱い部分を抱えていそうな人物であった。少なくとも、正しいことをするとか、高潔だとか、あるいは英語ができるとか、論文が立派だといったことがどうでもよくなるような、有無を言わせぬ存在感があった。本書のクライマックスの近く、泥酔した由良が四方田氏に「今度は君の得意な場所に連れて行ってくれたまえよ」というセリフを吐くシーンがあるが、これが、いかにも、いかにも、由良先生(と言っておくが)の発しそうな言葉なのである。この慇懃で、いかがわしくて、気取っていて、どこまで本気なのかわからない、まるで怪人二十面相みたいなセリフを平気で口にできるのが由良君美という人だった。

 筆者は大学一、二年のときに由良ゼミに参加した。一九八五年から八六年にかけてである。当時は七〇年代のような選抜試験などなく、参加者も一〇人から二〇人。ゼミにはちょうどいい人数であった。ただ、ゼミに参加し続けたのは、由良先生の怪しさに耐えられる、つまり本人もある程度怪しいか、怪しいものが好きか、あるいはものすごく鈍感か、いずれかであったと思う。先鋭な知的集団、というよりは、もっと同好会的な雰囲気があった。

 そうした中で由良先生が時折発せられた「ぼくのオヤジは横光の親友でね、うふふ」とか「オヤジはカッシーラに指導されたんだよね」といった、嘘かホントかわからないセリフに、当時の私はあさはかにも「まさかね」と疑いを抱いていたのだが、それが本書で緻密に実証されていく様を読むのはほんとうに爽快である。ただ、由良先生の発する独特のいかがわしさに巻き込まれるようにして、由良先生をめぐる噂が増殖していたのも事実で、黒メガネにマントを羽織って学内を徘徊している、といったことがまことしやかに囁かれるなどということもあった。『先生とわたし』もまた、そうしたいかがわしさと無縁ではないように思う。

 印象的だったのは、ゼミの中でときおり由良先生が急に「ふつう」になって、ポイントを射抜くような発言をされる時のことであった。何重にも煙幕を張ったようなふだんの伊達者風の態度とは対照的に、実に効率的で、冷静で、正確になる。筆者自身の発表にいただいたコメントの鋭さには、傲慢な言い方かもしれないが、「この先生はほんとに頭の良い人だ」と思ったものである。このギャップがまた不思議だった。当時、由良先生はテリー・イーグルトンとイルカ語に凝っていた。イーグルトンの方はさっそく『文学とは何か』というタイトルで翻訳されたばかりの本を図書館で借りたものだが、イルカ語の方はどうなったのだろう。

 本書について怒っている人の多くは、おそらくその記述の微妙な不正確さや曲解、語り口などに不満を持っているのだと思う。筆者も「あ、これはちがうな」と思う箇所がないではない。ただ、そのあたりをいちいち指摘して怒れる読者のひとりになるよりは、由良君美という実に不思議な人物の世界が、どんな形であるにせよ、ひとまずは一定の形を与えられたことを喜びたい。

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