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『老愚者考-現代の神話についての考察』 A.グッゲンビュール=クレイグ[著] 山中康裕[監訳] (新曜社)

老愚者考

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痴愚礼讃、あとは若いのにまかせりゃいい

ちょっとした機縁なのだが、この本を読みだし読み終った一日は、臨床心理学という何だかよくわからない世界に、ユング心理学を介して形を与えた河合隼雄文化庁長官の訃報が新聞に載り、中沢新一氏の「日本にほとんどいなくなった賢者でした」という、いかにもなコメントに接する一日ともなった。山口昌男氏と楽しそうにフルートを吹く「日本ウソツキクラブ会長」の姿を思い出す。この本を読んだ後なら、絶対、氏こそ昨今日本にほとんどいない「老愚者」でしたと言うのでなければ、軽口の名人だった日文研所長を褒める手向けにはならないよ、と思ったことである。

それにしても、こうして新聞等にユングユング心理学の名が出るのも随分久しぶりである。スイス他の先進的知識人たちがナチから逃れ亡命する渦中にあって、ユングがスイスにとどまった事実について、ハイデガーからポール・ド・マンに至るいわゆるナチつながりを疑われる流れがあって、もともと量子物理学と神秘仏教をつなげるサイ科学的環境から出てきた胡散臭さに輪がかかって、一種禁句となった。実際、行動主義心理学実験心理学全盛の現在の心理学の世界で、論文にユングを引いたら一巻の終わり、という「神話」がある。英文学でユングユングと騒いだ故由良君美大人がその狭い世界でいかなる扱いを受けたかは、四方田犬彦『先生とわたし』でよくわかる。その四方田氏が以前、高山さんだって本当は「隠れユングだよね」と言ったことも思い出されて、つい笑ってしまった。

ユング心理学がなぜ出てきたかは、しかしよく理解されねばならない。一面で人間の「魂」とは何かということが改めて問題になった19世紀末から1910年代にかけての「絶望と確信」(G・R・ホッケ)の蝶番(ちょうつがい)的状況があった。山口昌男種村季弘流のルナティック・ヨーロッパ、月明のヨーロッパ精神史の素晴らしい研究の学統が絶たれようとしていると思うが、それはヒトの身と心を単純に別物とする科学主義への反動としての知(もしくは反知)の動きを少しは明るみに出してくれた。ヒトを「ゼーレ(魂)」として総合的に考えようというので、アプローチは自ら「脱領域」の敢為になる他なかった。

「魂のない心理学」の代表が、たとえばジョン・B・ワトソンの、人間を「刺激反応」の機械とみる行動主義である(1913)。ヒトをバラバラに理解すると便利というこの感覚が結局、1914年の世界大戦に行き着いた。そのことの反省としての一見いかがわしいヒトの「魂」化、学知の総合化の動きだった。スイスはアスコーナ小村の「真理の山」コロニー、それを継ぐエラノス会議の、息を呑む世界的知性(ノーベル賞クラスがごっそり)がC・G・ユングを中心にうごめいた。キーワードは象徴と神話。とんと聞かなくなった語だ。

象徴と神話、とまで言えば、こうした動きの裏面史にたちまち思い当たる。端的にナチによる象徴と神話の全面利用の暗黒面である。グッゲンビュール=クレイグ教授は、ユングが自身「魂に圧倒されるに任せ」ることでユング派心理学が成立したと言っているが、象徴にも神話にも、個人と国家をぶち抜いて忘我させる恐怖の局面があるのは、ルナティック・ヨーロッパのもう一人の同時代人、アビ・ヴァールブルクについて、『風景と記憶』のサイモン・シャーマや、田中純 『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』が重く論じた通りだ。

『老愚者考』は神話と象徴の持つこうした両義性・二面性を説き、それが「一面化」して動員されてきた危うい歴史を次々と挙げる。「平等」という観念に今日、誰も疑いのウの字も入れないが、どうして、これも結構「ディオニュソス的な」狂気の一面を秘める、という出だしには驚く。「女性抑圧に奉仕した男女の差異」というもはや常識と化しかかっている感覚も、ヒトは結局カネがすべてとする「ホモ・オイコノミクス」という人生目標も、すべて神話にすぎない。教育という「一面的な神話」、病、福祉、進歩・・・。我々が当然と思っている常識の悉くが、実は一面的に発動された神話にすぎない。本書の前半は、こうして一種の『リーダーズ・ダイジェスト』的感覚の現代文明の神話どっぷり状況批判である。

後半は、上で述べたようなユングのいわゆる「元型的心理学」の紹介と、それへの批判を介して「神話的心理学」なるもっと寛容なユング心理学の立場の提唱に向かう。ユング批判の手掛かりにユングの「老賢者」の元型を選んだ点がスマッシュ・ヒットだ。老人が賢者であるはずだという神話が、たとえば「老愚者になったのに、残念ながら老賢者のイメージに圧倒された」シュヴァイツァー博士の老年を硬ばったものにした。老人は現に愚者化していく存在なのだから、年寄りは賢くあるはずとする「防衛機制」など捨てましょう。この「老」の解放は、若者は頑張らないという「若」の神話から若い人たちを解放しようとするトム・ルッツの名作 『働かない』(青土社)と絶妙なペアをなす、愉快な現代版『痴愚礼讃』となっている。

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