『フランス<心霊科学>考-宗教と科学のフロンティア』稲垣直樹(人文書院)
フーコーの「タブロー」が降霊会の「テーブル」に化けた
科学とは何か、その終わりない発展過程を見ていると、それが拠るとされる観察や客観性そのものが時代や文化に規定された「パラダイム」や「エピステーメー」の産物である以上、特殊歴史的なものと知れる。たとえばフェミニズム的関心が急に強大になった1880年前後の性差別的科学が、実はいかに観察と客観性を口実に偏向イデオロギーによってつくりだされた「擬似科学」でしかなかったかを、理論的にはディディ=ユベルマンの『アウラ・ヒステリカ』、素材的にはブラム・ダイクストラの『倒錯の偶像』を通して、驚愕とともに知った。典型はチェーザレ・ロンブローゾの犯罪人類学。名からして既に「学」と呼ぶのはどうかと思われる、“こういう顔の造作の人間には窃盗犯が多い”といった類の「科学」であるが、現にユダヤ人差別や女性蔑視の根拠としてフル活用されたのは、今や周知のところである。
問題の19世紀末から20世紀初頭にかけての時期に「心霊科学」、というか「科学」の名を帯びたスピリチュアリズムやオカルトが大流行を見たのも、科学をめぐる同じような議論のうねりの表現なのであろう。ぼく個人の英文学的関心から言えば、ルイス・キャロルがいる。大学の数学・論理学の教授が英国心霊現象研究協会のメンバーで、最晩年、理知の極みと言うべきテキスト『記号論理学』を書く傍ら、夢とうつつの「間」を人と妖精が往還する『シルヴィーとブルーノ』正続篇を書いた。理知といえば名探偵シャーロック・ホームズだが、キャロルの妖精たちと同時代人である。名探偵の作者コナン・ドイル卿が晩年にかけてスピリチュアリズムの使徒として振る舞い、奇術師ハリー・フーディーニ絡みで「あなたの知らない霊の世界」の存在を人々に教え歩いた経緯は、チャールズ・スターリッジ監督の知る人ぞ知る名作「フェアリーテイル」で実に面白く撮られている。また、神秘主義結社「黄金黎明団」に出自を持つウィリアム・バトラー・イエイツに至ってはノーベル文学賞を受賞している、などなど例に事欠かない。ドイツ語圏でもロマン派が発見した無意識界が百年尾を引いて、「科学」者フロイト、ユングの「心理学」に噴出した。そのことを先回『フロイトとユング』で徹底して復習することができた以上、いやでも19世紀末フランスではどうだったのか、知りたくなる。そこに稲垣直樹氏の今次の力作新刊である。
エリファス・レヴィ他の薔薇十字思想については、澁澤龍彦氏紹介のおかげでよく知られている。ジャン・デルヴィルの高度に象徴的な絵など、そういう文脈抜きでは全く理解できない。哲学者アンリ・ベルクソン、ノーベル生理学・医学賞を受賞したシャルル・リシェが英国心霊現象研究協会の会長を務めたのはなぜか。そういえば、キュリー夫妻が降霊会に参加し霊世界のファンだったという噂もある。
こういう問題に一挙に答を出してくれるのが、本書である。稲垣氏の名を有名にした『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』から十数年。そのユゴーを再びメインに据え、宗教家アラン・カルデック、天文学者カミーユ・フラマリオンと三本の柱を立てて、宗教(カトリック)が説明の力を失った霊界、超越界のことを科学が引き受けようとした「心霊科学」の19世紀末的流行を縷説する。
やはりユゴー論が圧倒的に面白い。『レ・ミゼラブル』が妙に感傷化されたものをこの文豪のイメージとしている我々は驚くほかないほど、実はユゴーはグロテスクや「無意識」の昏い世界にどっぷりの「幻想」作家。空中に自分の名のイニシャルが怪物のように出現する絵をたくさん遺した異様な「幻想」画家でもあった。その辺までは知っていたが、これほどまで「テーブル・ターニング」、降霊の「こっくりさん」集会のマニアだったとは知らなかった。それが綿密なノート『降霊術の記録』を第一次資料として実に克明に分析されるのが、本書のハイライトだ。とにかく、稲垣氏が「創造的シンクレティズムの時空」と呼ぶユゴーと「霊たち」の交渉ぶりが凄い。シェイクスピア、バイロン、ウォルター・スコット、ルソー辺りは当たり前、プラトン、ソクラテス、マキアヴェッリから、モーセにキリスト、マホメット・・・出てくるわ、出てくるわ。彼らとのやりとりで作品推敲が進んでいくプロセスが、要するに強烈な間テキスト空間にも他ならないことを、ジュネット他「物語」論にも詳しい著者が見落としていないところが、一番説得力あり、面白い。
フーコーのエピステーメー論、トーマス・クーンのパラダイム論に19世紀末「科学」を入れようとする構成は骨太かつ大胆で感心したが、やはりユゴー、フラマリオンという「超」のつく奇才の選択と、ユゴーの一次資料に現れる隠秘主義と間テクストの関係の読解に魅力がある。類書なし。
科学者が「非科学的」教義に埋没したオウム・サリン事件にヒントを得た、という事情を伝える「あとがき」で、一挙にアクチュアルになり得た本であろう。