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『博物学のロマンス』リン・L・メリル[著] 大橋洋一、照屋由佳、原田祐貨[訳] (国文社)

博物学のロマンス

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書評がなにやら企画趣意書になってしまう相手

マニエリスム・アートがヴンダーカンマーを諸物糾合という自らの表現意思の最もわかりやすい象徴として展開してきたことは、既に何点かの本に触れて述べてきたが、1990年前後まで主たるマニエリスム研究書は大体ドイツ語圏で出され、英語圏ではマニエリスムが些かなりとも肯定的な意味で普通に使われるということがなかったため、ヴンダーカンマーの歴史が英米にはなかったかのような印象があった。これはとんでもない誤解なので、その辺を一番包括的にしっかりやってくれているリチャード・オールティックの大著『ロンドンの見世物』(〈1〉〈2〉〈3〉)を、仲間うちを語らって寄ってたかって完訳した(小池滋監訳、井出弘之・高山宏・浜名恵美・村田靖子・森利夫訳)。

既に周知のところとなったかと思うが、“Wunderkammmer”という語は、英語では“cabinet”という(丁寧に言うと、“cabinet of curiosities” あるいは “cabinet of wonder”)。早くも17世紀初めにトラデスキャント父子が「ノアの箱舟」と綽名された大型キャビネットをロンドン近郊に設立・運営していたことを、このオールティックの大冊は面白く縷説している。他の様々な見世物と絶妙に絡み合いながら、このキャビネットが19世紀に入って、かの有名な第一回万国博覧会の会場設計や陳列の理念に壮大に活かされた、というところでオールティックのポピュラーカルチャー論は終わる。万博に限らず博覧会一般を指す“exposition”(大阪万博がエキスポ70と呼ばれたのもそのためだ)が辞書的意味の本当に広い定義域全体に亘って19世紀全体のキーワードと化した、と一段と大きい議論にレベルアップしてくれるフィリップ・アモンの“Expositions”を、ついに意を決して、ぼくは訳し始めた。19世紀のさまざまな展示空間と文学言語の関係を語らせれば比類のないこの名作完訳をもって、オールティック以来の「キャビネット」文化史邦訳プランを一段落させるつもりだ。

万博が博物学趣味の文化的結晶であることは、既に松宮秀治『ミュージアムの思想』を知るみなさんに説くまでもない。19世紀が「博物学の黄金時代」であり、特に英国でそうであった事情は、1980年代までほとんどまともに喧伝されておらず、ぼくとしてはリン・バーバー著『博物学の黄金時代』を邦訳紹介して、ぼくなりのキャビネット文化史邦訳シリーズの決定打とした。歴史書翻訳にあるまじき(?)文章の凝りようで、当時売り出し中の作家、村山由佳氏に訳文を褒めたてられたのに驚き、かつ嬉しかった。『不思議の国のアリス』でも、冒頭いきなり、退屈だからヒナゲシで花輪をつくろうとするアリスの身振りについて、中上流の倦怠婦女子に唯一公認されていた消暇法が博物学であったことを知るか知らないかで、対応は一変。章ごとに珍妙なモンスターどもに遭遇する少女主人公の物語自体が童話化されたキャビネット・オヴ・ワンダーズでなくて何だ、という視点で、ただいま『アリスに驚け』を脱稿寸前である。主たるアイディア源がリン・バーバー。

ところが、『博物学の黄金時代』は現在入手不可で、みなさんに読んでいただけない。ハテ困ったと思っていたところ、もう一人のリン、リン・L・メリルの『博物のロマンス』(原書“The Romance of Victorian Natural History”)はなお読めることがわかった。ヴィクトリア朝に信じ難いほどの博物学狂いがあった面白い現象を、ほとんどリン・バーバーと同じ材料でカバーしてみせる。フィリップ・ヘンリー・ゴス、チャールズ・キングズリー、ヒュー・ミラー、そして大喜利は当然ラスキン

エピソード豊かなくだけた語り口では断然リン・バーバーに軍配が上がるが、リン・メリルの場合、訳者大橋洋一の名で見当がつくように、「現代思想」寄りの読者をも満足させるカルチュラル・スタディーズのアプローチが次々と繰り広げられる。「文化帝国主義」としての博物学という松宮流の着眼は言わずもがな。特徴的なのは、細密・細部への一文化規模でのこだわり(detailism)という衝迫の下に、細密と言えばこれしかないラファエル前派の絵とテニスンその他の精密詩学、そして博物学を同一線上に並べた展開で、ポストモダン文化論の隠れたバイブルと囁かれた才媛スーザン・スチュワートの“On Longing : Narratives of the Miniature, the Gigantic, the Souvenir, the Collection”のエッセンスをいいところ取り的に持ってきて、たとえばキャビネットがコレクションする対象の配列こそ「遊戯の形式、注視と文脈操作からなる世界内部に対象を新たに枠付ける形式」、即ち「憧憬」の産物、欲望の産物と言い切る。こうした記号論的分析は悠々たる語り部リン・バーバーには完全に欠けているところで、現代批評の切れ味を堪能しながらミュージアムやキャビネットの歴史の整理もしたい、という贅沢な読者には、もうこれしかないという一冊。国文社がハリエット・リトヴォ『階級としての動物』他、批評の名著邦訳に異様にテンション高かった頃の一冊だ。この際、“On Longing ”訳も(一度流したが)改めて仕切り直してやるべきかな、と強く思わされた次第だ。

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