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『自転車ぎこぎこ』伊藤礼著(平凡社)

自転車ぎこぎこ

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伊藤礼氏の自転車生活とその意見

 4度目の年男となった今年から自転車通勤を始めた。片道50分、信号の待ち時間を含めて1時間弱の道程である。


 会社の後輩から勝間和代でも読んだんですかと尋ねられた。有効に時間を使うことを提案するポジティヴ・シンキングの勝間さんも自転車通勤をしているのだという。しかし、自転車通勤を始めたのは伊藤礼さんの本を読んだからだ。伊藤礼さん、勝間さんとはおよそ対極の、脱力系エッセイストである。

 伊藤礼さんは作家伊藤整の次男。『チャタレイ夫人の恋人』の完訳版も仕上げている英文学者で、日大で英語を教えていた大学のセンセイである。その伊藤センセイ、定年間近のある日、突如、杉並は久我山の自宅から、勤務先のある日大のある練馬まで自転車で行ってみようと思い立つ。理由はなんだかよくわからない。走り始めて2キロも行かぬうちに音をあげ、「自転車で苦難に直面した人と化し」、大学へようやく着いたときには目のまわりに隈ができて、守衛さんから「どうかなさいましたか」と聞かれるほどだったという。当時、センセイは御年68歳。

 以来、伊藤センセイは、自転車という趣味を持つにいたった。その顛末を書いたのが、本書の前作『こぐこぐ自転車』である。ちなみに、『こぐこぐ自転車』という題名は「チャグチャグ馬っこ」という言葉がなぜか思い浮かんで、そこからついた題名だという。ホントカイナ、と思ってしまうが、伊藤センセイはマジメな顔をしてユーモラスなことを言っちゃうような人なのだ。そういえば、前作が売れてテレビにも出て来るようになった伊藤センセイは、けしてにこやかでなく、淡々としているというか、飄々としているというか、べつに楽しいことなんかしていませんよ、というようなお顔をされていた。

 自転車に乗り出して8年。伊藤センセイは76歳である。「こぐこぐ自転車」が「自転車ぎこぎこ」になったので、お年をめして息切れ気味なのかと思いきや、いやいやどうしてどうして、「いずれヨボヨボになってしまう、今を逃したら自転車に跨れなくなくなる」というので、お友だちのヨコチ君などと連れだって、風吹きすさぶ茨城は大洗へ、タコを食べに早春の遠州三河へと自転車を走らせる。都心もビュンビュン走る。ヨコチ君なんていうと20代ぐらいの友人を思い浮かべるかもしれないが、むろんヨコチ君もまた伊藤センセイと同じ年の老サイクリストである。

 この本に出てくるサイクリストたちは、基本的にみなお年寄りなので、万事が万事、なんとなく力が抜けている。体力に自信がある人たちでもないので、無理をしない。「出発前に宿を決めるのは自転車旅行に向かない。天候や道の様子、その他さまざまなことがあるから、計画通りに行程が進むとは限らないからである」。渥美半島を縦走したあと、半島沖の篠島へいき、宿でタコを食べようという心づもりでも、どの宿に泊まるかは決めていない。だから電話で交渉ということになる。交渉するのは、伊藤センセイのお友達の、これまた老サイクリストである。

「もしもし……もしもし……あの、聞きますがね、今晩タコを食べられますか? タコが食べられないなら他所にしますがね……え? 大丈夫?タコ食べられますよね?……え、それなら……うん、決めたよ……じゃ、一万円でタコね?……四人…….そう男だけ。みんな爺さんだよ……え、そっちは婆さん……わかった…….え、そう、篠島に着くのは五時四十分だね」

「みんな爺さんだよ、え、そっちは婆さん……わかった」という会話が可笑しい。年を取って、若い頃の余計な虚栄心や妬みや社会的なステイタスなどが剥がれ落ちて、「みんな爺さん婆さん同士、だれもが平等だ」という感じが出ていて、年を取るということはなんだかとても気楽で居心地がよさそうだ。

 計画性とはほど遠い人たちなので、昼ご飯だって行き当たりばったり。お昼ご飯を食べる場所についても事前調査などはなくて、地元の人に聞いて食堂を探す。

「ここらで昼ごはんたべる良い店があったら教えてくれない?」と聞いた。店の三人は顔を見合わせて、「内海食堂というのがあるわよ」と言った。

「?」

内海町だから内海食堂か、と私は思った。この町は合理的にできている。ここでは歯医者は内海歯科、八百屋は内海青果店、タクシーは内海タクシーにちがいない。なんという素直な町だろう。私は感動した。なんということもなく入ったお菓子屋で思いがけず人生の真理を教えられたという気持ちになったのである。ついでに言えば、師崎町なら師崎食堂、常滑市なら常滑食堂、がいい。下北半島に行ったときは同じ流儀だが、すこしちがっていた。まさかり食堂、と言った。下北半島がまさかりの形をしているからだ。

 鉄道や飛行機といった公共交通機関を使うのとはちがって、自転車旅行は時間と場所が厳密に決まっていない。ここがおいしい、ここがきれいだ、という観光・食事ポイントを事前にチェックして、その予定通りに行動を取るのとは違って、とにかくお腹がすいたから、あの店へ入ろうとか、雨が降ってきたので、さっさと宿へ行こうとか、その場その場で決定する。言い替えれば、偶然性に左右されるのが自転車旅行の楽しみである。伊藤センセイが書いている「まさかり食堂」というのがほんとうにあるのかどうかネットで調べてみると、「食事処まさかり」というのがたしかにある。最寄り駅は下北駅で、駅から42分の「最寄り」らしい。車か、自転車かでないと、とても行けそうにないところである。センセイが誠に絶妙なネーミングの食事処に出会うことができたのは、自転車旅行ゆえだ。

 しかし、偶然に左右されるというのは、幸運だけでなく不運にもめぐり合うことであろう。伊藤センセイは、思いがけず入った食堂で、この世のものとも思えぬ不味いカツ丼と出会う。「このカツ丼は相当ひどく、その不味さのひき起こした絶望感を解脱するために、翌日もういちど別のH市でカツ丼を食べたほどである。最初のカツ丼の不味さが残りの人生に重い負担になりそうだったので口直しをしたのだ」というのだから、相当なものである。ここまで書かれてしまうと、逆にそれがどんなに不味かったかを確かめたくなってしまうほどである。センセイもまた、あの食堂をいつかまた訪ねるつもりだと書いている。考えてみれば、年をとってから「死ぬまで覚えている」ような強烈な体験をするというのは、幸福なことかもしれないのである。

 カツ丼の不味さの印象を残して本書の紹介を終えるのもなんなので、房州半島に自転車旅行へ行ったときの話を引いて、お口直しをしておこう。

 林道はいきなりかなりの登りであった。最初の百メートルだけ私たちはこいだ。そこでヨコチ君も私もへばってしまった。これが順当である。へばったあたりの道路には杉や真竹が覆いかぶさって暗かった。斜面にミカンの畑があって道路ぎわまでミカンが生っている。私たちはノドが渇いている旅人だったのでそれをひとついただくことにした。ずしりと重いミカンだが硬い。ナイフですぱすぱと気持ちよく皮を削って食べた。すごく酸っぱかった。酸っぱい一方のミカンだった。だが美味しかった。酸っぱいことは良いことなのであった。食べ終わってからヨコチがくんがミカンをもうひとつ枝から捥いだ。「九州にお嫁にいっている娘に送ってやる」と彼は言った。「九州にもミカンはあると思うよ」と私は注意した。

 こういう文章を読んで自転車ライフに憧れないでいることは難しい。疲労困憊して汗みどろになったときに食べたミカンの酸っぱさとそのすがすがしさが読者の口にも広がるかのようだ。「すぱすぱと」という擬音語もいかにもすがすがしい。文章にユーモアが漂っているのも好もしい。「九州にもミカンはあると思うよ」というところだけではない。まるで「彼は英語の上手な話し手です」みたいな文体で書かれている「私たちはノドが渇いている旅人だったので」というところに漂う微量のユーモアがいいのだ。

 先日、すでに定年退職を迎えた会社の先輩から、「伊藤センセイの本は読みましたか?」というe-mailをちょうだいした。60代半ばのサイクリストのその先輩は伊藤センセイのように気ままな自転車ライフを送っているらしい。酸っぱい一方のミカンやら、絶望的にまずいカツ丼にはもう出会っているだろうか。


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